過去の車両
高松琴平電気鉄道@エムサ菌総合研究所

 ことでんでは、1984年以降京浜急行電鉄・京王電鉄・名古屋市交通局から冷房車の譲受 (名古屋市交車は冷房化改造の上) を行うことにより、冷房化率の向上を 進めてきました。 それにより、琴平線では2006年9月に、長尾線・志度線では2007年7月に、 それぞれ冷房化を達成し、全線で通常運行される車両の冷房率100%化を達成しました。  その影で引退していった車両があります。

 このページでは、数多くの「過去帳入りした車両」のうち、私が写真に撮ったものについて見て いこうと思います。

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2004.10.18 今橋
60形65

 60形62とともに東京急行電鉄サハ5100形5102を1948年に譲受したもので、1960年に木造車体の 鋼体化と電動車を行い60形に編入されました。
 車歴をたどると1913年に天野工場で製造された京浜電鉄 (現・京浜急行電鉄の 一部) デ29形デ34にあたり、日本の鉄道線旅客車両としては最も古い車両と言われて いました。
 志度線分断後は志度線に在って、製造から90年を経過してもなお朝ラッシュ時の増結車として 活躍していましたが、600形800番台車の登場で志度線での定期運用が終了したことから2006年に 動態保存車として琴平線に移動しましたが、2007年11月に廃車・解体されました。

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(2008.9.27 画像と車歴欄の追加。全1ページ・画像8枚)

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2002.12.18 八栗
30形

 京浜急行電鉄230形を導入したもので、そのルーツは1930年から1936年に製造された、湘南電鉄・ デ1形です。
 長尾線・志度線初の「ユニット車」として、1977年から1980年にかけて、31〜38、29+30、 27+28、25+26の順で14両入線しました。 偶数番号の全車は電装を解除され、また37+38以降に 導入された車両は正面に貫通扉が取り付けられた上で、それぞれ入線しました。
 600・700形の導入により2000年までに12両が廃車となり、志度線の27+28の2両1編成は600形最終 増備車が長尾線に導入されたため生き残りましたが、2007年7月のさよなら運転を最後に引退、 廃車〜解体されました。

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(2008.7.23 画像追加、全1ページ・画像10枚)

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2004.10.18 高松築港
750形

 蔵王高速電鉄 (山形県) が1951年に発注したものの路線が開業せず 注文流れになっていた車両で、1953年に開業した備南電気鉄道 (岡山県) に納入され、経営難から路線ごと玉野市営電鉄に引き継がれるも動力方式の変更 ( 電気→内燃) により余剰になったところで、1965年にことでん入りした車両です。
 最後まで残った760号車は2006年7月に引退、廃車されましたが、玉野市内に里帰りし、 静態保存されています。

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(2008.9.27 画像と車歴欄の追加。全1ページ・画像4枚)

さよなら運転の模様
(2006.7.28 公開、全1ページ・画像12枚)

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2005.6.25 仏生山
1063形

 三岐鉄道モハ130形を1983年に譲受した車両で、1両が在籍しました。
 新造当時より自動加速式・カルダン駆動の高性能車でしたが、譲受にあたって軌間が異なるため 自動加速式のまま手持ちの主電動機と台車を利用した旧性能車となりました。 また、片側3個所 あった両開き扉のうち車体中央を埋めて2扉車となりました。
 末期は仏生山工場の一角にあってほとんど走らず、2005年6月のさよなら運転を最後に引退 しました。

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(2006.3.17 公開、全1ページ・画像8枚)

さよなら運転の模様
(2005.8.20 公開、全2ページ・画像20枚)

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2004.10.18 仏生山
1060形

 阪神電気鉄道5101形の車体を購入し、足回りに京浜急行電鉄230形のものを利用、さらに2扉化改造 を実施した上で1980・81年に1061・1062の2両登場しました。
 2両とも両運転台車で、主に増結車として活躍してきましたが、高性能化されないまま1061は 2005年夏の1200形増備により引退しました。 また1062も、イベント用として残ったものの ほとんど走らないまま2006年夏に廃車、解体されました。

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(2006.4.13 一部訂正、全1ページ・画像8枚)

さよなら運転の模様
(2005.8.20 公開、全2ページ・画像20枚)

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2004.10.18 高松築港‐片原町
1053形

 阪神電気鉄道5231形2両の車体を購入し、2扉化改造の上1981年に登場しました。  形式・番号は1050形の続きですが、当形式は導入当初から新製した足回りを用いた 高性能車でした。
 冷房化されることなく2005年夏に引退しましたが、琴平線非冷房車としては最後まで 現役でした。

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(2006.3.8 公開、全1ページ・画像8枚)

さよなら運転の模様
(2005.8.20 公開、全2ページ・画像20枚)

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2002.12.18 仏生山
1013形

 1063形と同時に三岐鉄道モハ120形・クハ210形を5両譲受した車両で、950形950を形式・車号は そのままに組み入れ、2両編成3本として登場しました。
 1063形と同様譲受時に自動加速のまま旧性能化されましたが、1015+1016は1987年に高性能化 されました。 この2両は他の3両が廃車された後も残りましたが、冷房がないため2005年6月に 引退しました。

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(2006.3.17 公開、全1ページ・画像9枚)

さよなら運転の模様
(2005.8.20 公開、全2ページ・画像20枚)

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2004.10.17 仏生山
1020形

 1968年から1974年にかけて名古屋鉄道3700系を16両譲受、琴平線車両の車種減少と大型化に 貢献しました。 また、クリームとピンクのツートンカラーを初めて纏った車両でもありました。
 譲受よりしばらくは全車が旧性能車でしたが、1985・86年に1029〜1032の4両が高性能化され、 他の1020形が廃車になる中永く残りました。 しかし冷房がなく、2004年11月に1200形の増備に 伴い引退しました。

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(2006.4.13 更新、全3ページ・画像16枚)

さよなら運転の模様
(2006.4.13 更新、全4ページ・画像12枚)

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2002.12.19 片原町
1010形

 解りにくいですが、奥で明るく写っている車両です。  (何せこの1枚しか撮ら ないまま実車が引退してしまったので・・・)
 1960年に登場したことでんオリジナル車で、琴平線の急行車として「りつりん2号」の名称が 与えられていました。
 末期は、京成風の前面にいわゆる「バス窓」の側面、制御方式は手動式、台車はSミンデン・ 空気バネ式という、某雑誌の投稿で「迷車」とまで書かれていた独特な取り合わせでした。
 私見ですが、側面雨樋が屋根の深さの割に低く、「バス窓」のHゴムの「黒」も
あいまって、どことなく「濃い」側面デザインという印象があります。
 2003年3月、1200形の導入により引退しました。

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2002.12.19 片原町
1050形

 高加減速性能で著名な阪神普通車「ジェットカー」の試作車・5101形の車体を譲り受けて 1977年に登場した車両です。
 ことでん入りにあたっては、足回りを京浜急行電鉄230形のものに履き替え、同時に3扉車体の 2扉化をされました。 前面デザインは1053・1060形とほぼ同一ですが、側面は全く異なり、 窓の幅が広く間柱が太いため、ゆったりとした印象があります。
 1984年に高性能化されましたが、2003年に1200形の導入により引退しました。

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2002.12.17 高松築港−片原町
820・8000形

 元・国鉄クハ5610形で、戦時中に豊川鉄道 (現・JR東海 飯田線の一部区間 )
路線もろとも国鉄に買収された、いわゆる「買収国電」「社形国電」です。
 ことでんには1963年に登場しました。 当初8000形810・820の形式・車番で、どちらも 高松築港向きに運転台のある制御車でしたが、導入翌年に820が車号はそのままで方向転換の上 電動車化され、形式も820形となりました。 後年車体更新されましたが、2両でその時期が 異なり、特に前頭部のデザインに差異がありました。
 2両編成の車両としては琴平線に最後まで残った旧性能車でしたが、2003年に引退しました。  2両とも解体されず、個人に引き取られたらしいです。
(画像がポジフィルム由来だからか、色の出方がすごいことになっていますね・・・)

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2002.12.19 長尾
60形67

 元・国鉄クハ300形で、宮城電鉄 (現・JR東日本 仙石線) 出身の買収 国電です。 ことでんには1953年に入線し、当初2000形220を名乗っていました。
 1965年に木造車体の鋼体化と電動車化を行い60形に編入されましたが、窓配置などに木造車の 面影を濃く残し、晩年はファンの人気が特に高い車両でした。
 2002年12月に600形最終編成に置き換えられ、廃車・解体されました。

さよなら運転の模様
(2008.2.10 更新、全2ページ・画像21枚)

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2002.12.19 長尾
60形62

 60形65と同様京浜電鉄デ29の一員で、東京急行電鉄5100形を経て1948年に導入された車両です。
 1953年、ことでん車両のトップを切って木造車体の鋼体化工事が実施され、当初は前頭部が 2枚窓の「湘南スタイル」でしたが、後に貫通化されました。
 2002年12月に67とともに引退しましたが、「香川県立さぬき子供の国」で静態保存 されています。

さよなら運転の模様
(2008.2.10 更新、全2ページ・画像21枚)

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(2008.2.10 公開、全1ページ・画像8枚)

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  補足 (1) 何故、3扉車が2扉化改造されたのか

 1050形が導入された当時、瓦町駅の琴平線ホーム部分には急カーブがあり、車体中央部では ホームと車両の間が大きく開いて危険であるという理由で、片側3扉だった1050形・1053形・1060形・ 1063形は中央の扉を埋めて2扉化されました。
 1080形導入時も同様な状況でしたが、同車は他車より二つの台車の間隔が若干短く隙間が開かない ため、3扉のまま導入されたそうです。
 現在では、瓦町駅の駅ビル化に伴う配線変更が行われ、ホーム部分の急カーブも解消された ので、3扉のままでも問題なく入線できています。

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  補足 (2) 「高性能車/化」・「旧性能車/化」について

 「高性能車」は、主電動機から車輪に動力を伝達する方法が「カルダン駆動式」となっている 車両で、加速性能が良く騒音も小さいという長所があります。 これに対して「旧性能車」は、 「吊掛駆動式」となっている車両で、駆動装置の構造が簡単な反面加速性能が劣り騒音も 大きい・乗り心地も悪いという短所があります。
 旧性能車として登場した1013形や1020形、1050形には「高性能化」改造された車両がありますが、 いずれも主電動機・駆動装置だけでなく台車についても新造したものに交換されています。

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  補足 (3) 「手動加速」・「自動加速」について

 主電動機に直流電動機を装備した列車を加速させる際、主制御装置内部で10〜30程度 (もっと多い場合もある) に分かれている回路をつなぎ変えていきます。
 この「つなぎ変え」を主制御装置が自動で行うのが「自動加速」、運転士が手動で行うのが「手動 加速」です。 (「手動加速」とは言え実際は運転士がマスターコントローラーで 主制御装置を遠隔操作している) 
 加速方式と駆動方式の間には絶対的な関係はなく、ことでんでは加速方式や駆動方式の別を 問わず全ての車両が連結して運転できるようになっています。

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2008.10.8 エムサ菌