高松琴平電気鉄道@エムサ菌総合研究所
形式別写真・
750形
▼ ▼ ▼
1965年、玉野市営電鉄モハ100形3両を譲り受けた車両です。 1951年、蔵王高速鉄道 (山形県) が日立製作所に発注した車両です が、同社線が開業せずに注文流れとなっていたところ、玉野市営電鉄の前身・備南電気鉄道 (岡山県) が1953年の開業にあたって引き取りました。 1956年に 経営難から路線ごと玉野市営電鉄に引き継がれ、さらに1965年に動力方式が変更 (電気→内燃) されたことにより余剰になり、ことでんが譲り受ける ことになりました。
車体前面は入線当時非貫通でしたが、1967年に貫通化されました。 搭載していた電装品の
うち、日立製MMC形制御装置はHL制御の他形式との併結運転ができずに運用上不便があり、
また大出力の主電動機は15m級の車体には大きすぎるため、1974年にHL制御化・主電動機の換装
(出力の小さなものに) を受けました。 同時に、当時長尾線のみ
架線電圧が600Vだったため、それにも対応した複電圧車となりました。 |
車号 (カッコ内は旧車号) | 竣工 | 瓦町分離時の所属 | 記事 |
---|---|---|---|
750 (102) | 1951. | 長尾線 | 1999. 廃車 |
760 (103) | 1951. | 長尾線 | 2006.9. 廃車、岡山県玉野市で静態保存 |
770 (101) | 1951. | ‐ | 1978. 事故廃車 |
▼ ▼ ▼
この形式については撮った写真そのものが少なく、甚だお粗末ではありますが公開致します。 ことでん旧型車の機器、特に台車・抵抗器などは、互換性のある別機種に 交換される事が頻繁にあったようですが、ここでは個々の機器の動向までは 追いかけていません。「写真撮影時における組み合わせ」とお考え下さい。
また車両の側面写真の向きは、 |
▼ ▼ ▼
2002.12.17 平木
ファンタゴンレッド時代の760。 1000形120と組んで、平木駅の側線で留置されているシーン。 製造が戦後ということもあるのでしょうか、扉上にも巻かれたウインドヘッダや前面の 張り上げ屋根、溶接を多用しリベットがない車体表面など、他の旧型車とは違った印象を 持っています。
|
▼ ▼ ▼
2004.10.17 瓦町
左側の床下機器です。
|
▼ ▼ ▼
2005.6.25 花園
右側の床下機器です。 車体は旧型車の中では比較的新しい部類に入り、デザインもかなり
異なりますが、床下機器は他形式との同一品を多用しているようです。
|
▼ ▼ ▼
2006.5.25 760車内
車内の様子です。 作りは60形62・65に近く、運転台も通路側に引き戸があり、完全に仕切れる
ようになっています。 側面窓は上段固定・下段上昇式で、日除けは巻き上げ式カーテンとなっています。
|
▼ ▼ ▼
居並ぶ旧型車の中にあった750形は、私にとっては魅力が今一つで、あまり真剣に追う対象
ではありませんでした。 それ故写真もあまり撮っておらず、今になっては悔やまれます。 玉野市電保存会の手で静態保存されている760ですが、車内公開日が限られていて、 ことでん遊びとの都合も合わせにくく、まだ会いに行けていません。 さよなら運転の様子は、こちらから。
|
▼ ▼ ▼
2008.9.27 エムサ菌