高松琴平電気鉄道@エムサ菌総合研究所
形式別写真・ 750形

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 1965年、玉野市営電鉄モハ100形3両を譲り受けた車両です。

 1951年、蔵王高速鉄道 (山形県) が日立製作所に発注した車両です が、同社線が開業せずに注文流れとなっていたところ、玉野市営電鉄の前身・備南電気鉄道 (岡山県) が1953年の開業にあたって引き取りました。 1956年に 経営難から路線ごと玉野市営電鉄に引き継がれ、さらに1965年に動力方式が変更 (電気→内燃) されたことにより余剰になり、ことでんが譲り受ける ことになりました。

 車体前面は入線当時非貫通でしたが、1967年に貫通化されました。 搭載していた電装品の うち、日立製MMC形制御装置はHL制御の他形式との併結運転ができずに運用上不便があり、 また大出力の主電動機は15m級の車体には大きすぎるため、1974年にHL制御化・主電動機の換装 (出力の小さなものに) を受けました。 同時に、当時長尾線のみ 架線電圧が600Vだったため、それにも対応した複電圧車となりました。
 1978年11月、770が踏切事故に遭い横転・大破したため、廃車されました。
 1999年、600形の導入により750が廃車となりました。
 最後まで残った760は長尾線で活躍を続けましたが、2006年7月に旧型車の運用が見直された 際に余剰となり、同年9月に廃車されました。 その後 玉野市電保存会 に引き取られ、岡山県玉野市奥玉・『すこやかセンター』敷地内で静態保存されています。

750形 編成表  (2007年12月1日現在)
車号
(カッコ内は旧車号)
竣工瓦町分離時の所属記事
750
(102)
1951.長尾線1999. 廃車
760
(103)
1951.長尾線2006.9. 廃車、岡山県玉野市で静態保存
770
(101)
1951.1978. 事故廃車

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 この形式については撮った写真そのものが少なく、甚だお粗末ではありますが公開致します。

 ことでん旧型車の機器、特に台車・抵抗器などは、互換性のある別機種に 交換される事が頻繁にあったようですが、ここでは個々の機器の動向までは 追いかけていません。「写真撮影時における組み合わせ」とお考え下さい。

 また車両の側面写真の向きは、
   長尾行き列車を基準として 進行方向右側面/左側面
とします。

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2002.12.17 平木

 ファンタゴンレッド時代の760。 1000形120と組んで、平木駅の側線で留置されているシーン。
 製造が戦後ということもあるのでしょうか、扉上にも巻かれたウインドヘッダや前面の 張り上げ屋根、溶接を多用しリベットがない車体表面など、他の旧型車とは違った印象を 持っています。

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2004.10.17 瓦町

 左側の床下機器です。

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2005.6.25 花園

 右側の床下機器です。 車体は旧型車の中では比較的新しい部類に入り、デザインもかなり 異なりますが、床下機器は他形式との同一品を多用しているようです。

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2006.5.25 760車内

 車内の様子です。 作りは60形62・65に近く、運転台も通路側に引き戸があり、完全に仕切れる ようになっています。
 側面窓は上段固定・下段上昇式で、日除けは巻き上げ式カーテンとなっています。

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 居並ぶ旧型車の中にあった750形は、私にとっては魅力が今一つで、あまり真剣に追う対象 ではありませんでした。 それ故写真もあまり撮っておらず、今になっては悔やまれます。
 玉野市電保存会の手で静態保存されている760ですが、車内公開日が限られていて、 ことでん遊びとの都合も合わせにくく、まだ会いに行けていません。

 さよなら運転の様子は、こちらから。

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2008.9.27 エムサ菌