高松琴平電気鉄道@エムサ菌総合研究所
2005年6月のさよなら運転
( その1 )

 2005年夏に、琴平線に6両の冷房車が京浜急行電鉄から入線するのに伴い廃車となる、 1013形・1053形・1060形・1063形の計6両のさよなら運転が、夏の暑さを前にした 2005年6月25・26日の2日間に行われました。

 1020形引退後 (2004年11月) は予備車となっている1013形や、 朝ラッシュ時の専用車となっていてあまり撮影できなかった1053形・1060形、そして何より 仏生山工場の片隅で全く動かずこれまでカメラに収められなかった1063形が、昼間の通常運用 に入るということで、都合をつけて行ってまいりました。

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 2005年6月25日、土曜日。 今回もまた、夜行の高速バスで高松入りしました。
 今回は東京駅からのバスが満席であったため、横浜駅からのバスに乗って行きました。 琴参 バスのハイデッカー車で、ダブルデッカー車より居住性がよく思えたとともに、枕と耳栓装備で、 それなりに休むことができました。

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2005.6.25 (左)217レ(出庫前) (右)220レ 仏生山

 先の出庫は、元三岐鉄道の3両編成。 琴電琴平寄りから1063+1015+1016。

 運用は1020形の時と同様に、高松築港から一宮行きとして下ってきた列車と車両交換する 形で出庫し、高松築港〜琴電琴平間を2往復、その間に高松築港〜一宮間を1往復し、最後に 一宮行きとして下る途中の仏生山で車両交換の上入庫する、という運転パターンでした。 両 運車は琴電琴平まで1往復し、一宮往復の途中仏生山で切り離されて入庫、2度目の琴平往復は 2両編成で運用されます。

 写真は、仏生山で出庫待ちの1063+1015+1016 (左) と、高松築港行き 1203+1204 (右)
 特に1063は普段の場所から動いているのを初めて見て、感動的ですらありました。

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2005.6.25 217レ 仏生山

 1063形の車内。 ことでんでは標準的な、「長い」ロングシート。 扇風機には、三岐鉄道の マークがそのまま残っていました。
 ロングシートの中程にあるドアコックは、3扉時代の名残でしょうか?

 中吊り部分には、過去のさよなら運転と同様現役当時の写真が飾られていましたが、1013 形・1063形では三岐鉄道側からの写真提供もありました。

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2005.6.25 (左)22レ (右)219レ 仏生山

 続いての出庫は、元阪神電鉄の3両編成。 琴電琴平寄りから1061+1053+1054。
 阪神風にアレンジした「惜別」ヘッドマークをつけています。 左は高松築港行き1091 +1092。

 今回のさよなら運転は出庫時が3両編成で、車両交換の折に縦列に停めるとホームの長さに 余裕がないため、高松築港から走ってきた列車が3番線 (1060形の同じホーム 反対側) に入線し、2番線に停車中のさよなら運転の列車にバトンタッチする形を とっていました。
 交換された車両はすぐに車庫に転線され、3番線は通常どおり空けていました。

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 元阪神車が高松築港に向かって行くのを見送ると、今度の下り電車は元三岐車の琴電琴平 行き。 ということで、吊り掛け駆動の1063に乗って畑田へ、すぐ折り返して「お気に入りの 場所」挿頭丘に向かいました。

 1063は長いことほとんど使われなかったようで、ドアの開閉時にキュルル〜・・・と、まるで古い開き戸が開くかのような音を鳴らして いました。 とても、電車のドアが開くような音ではありません・・・

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2005.6.25 21レ 挿頭丘

 岡本からの谷を築堤で越えてきて、切り取りの挿頭丘に進入する1061+1053+1054。

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 列車待ちの間、地元のおじいさんが声をかけてきました。
 しばし立ち話をしましたが、そのときのお話によれば・・・

 琴平電鉄の車両の中央に「お茶」が置いてあった。
(おじいさんが父親から聞いた、ことでん琴平線が開業した当時の話。)

 琴平には現在のJR土讃線、ことでん琴平線のほかに、もう1路線鉄道が乗り入れていた。 その 鉄道は、善通寺 (坂出かも?) に向かう現在の国道の傍らを通って いて、中学生が走ると追い抜かれてしまうくらいのスピードでのんびり走っていたが、走ると 車体の前後を縦に揺らしていたらしい。
 さらにその鉄道には、夏になると鍬などを持った人が2駅とか乗っていた。 畑仕事に行くのに 暑いからと、農作業の往復に電車を利用したらしい。

 そんな話を聞かせてくれた大正10年生まれのおじいさん、高松築港行きの電車にIruCaで 乗っていきました。

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2005.6.25 30レ 挿頭丘

 先ほどの阪神車と、岡田ですれ違ってきた1016+1015+1063。

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 琴平から戻ってきた1061に乗って、両運車の入庫を見るべく仏生山に向かいます。

 この日は高松市で最高気温33度を記録、日差しは非常に強いとは言えなかったものの、 それでも暑いことには変わらず、非冷房車であったためほとんどすべての窓が全開の 状態で走っていました。 久々に乗った「窓の開いた電車」、たまには良いものですね。

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2005.6.25 234レ 仏生山

 元三岐車の編成が高松築港に向かう途中、最後尾の1063を切り離すシーン。 1063と1015の 連結部分に、切り離し作業を行う従業員がいます。

 1063の床下機器やパンタグラフがあまり汚れていません。 最近検査を実施したとは聞いて いないので、いかに走っていなかったかを物語っています。

 1016+1015は高松築港に到着後もう一度琴電琴平まで往復し、切り落とされた1063は一足先に そのまま入庫しました。

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2005.6.25 236レ 仏生山

 元三岐車編成から遅れること30分後、今度は元阪神車の編成から1061を切り離す作業。

 ことでんでは車両の連結・切り離し作業が機械化されておらず、その全てが手作業です。 普段 あまり見られなくなった作業に、ホーム上の多くの人の注目を集めています。

 1015+1016と同様、1053+1054は最後尾に連結していた1061を置いて高松築港に向かい、琴電 琴平まで2両編成でもう1往復走ります。

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2005.6.25 仏生山

 駅長さんが、何故か私に「車内の写真を撮りたい人はいるのか?」と聞いてきます。
 それに対して私は、「今後その機会がなさそうで、今撮れれば嬉しい」と答えました。
 すると駅長さん、上司 (本社?) の許可を取った上で、切り離された 1061を空いている3番線に転線させ、写真撮影用に車内を開放してくれました。素晴らしい!

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2005.6.25 仏生山

 1061車内。 ずらりと並んだつり革が壮観です。
 蛍光灯の数が1063より多いのは、大都市で活躍していた証でしょうか。

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2005.6.25 仏生山

 そしてまた、見張り役の駅員さんが 「撮りますか?」 と、今は使われないものを 含めてさまざまな行先板を用意してくれました。
 さすがに長尾線・志度線のものはありませんでしたが、その中から1枚、リクエストして 装着してもらった「岡本」。

 このアングルから見ると、元阪神車はフロントガラスが意外と大きいのがわかります。

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 仏生山を辞し、栗林公園駅周辺で撮影できそうかを確認に歩きました。 ちょうど1063ほかが 来ましたが、タイミングが悪く撮れなかった・・・。

 この日の琴平線の撮影はこれで終わりとし、長尾線の旧型車をちょっと撮り、早々にホテルに チェックイン、翌日に備えました。

(つづく)

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