高松琴平電気鉄道@エムサ菌総合研究所
こどもの国の62
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2002年12月、600形613+614の入線に伴い、60形62・67の2両が廃車となりました。 67は惜しくも解体されましたが、62はさよなら運転の際に国内の鉄道線旅客車両としては 最古の車両であると脚光を浴び、またことでんが自社で鋼体化改造を行った初めての車両で あったため、引退後に香川県に譲渡、高松市香南町の 『さぬきこどもの国』 で静態保存されることになりました。
62は私が初めて高松に訪れるきっかけとなった車両で、保存・展示されていることは情報として
入ってはきていました。 2004年1月の訪問時は航空機で高松入りした際に機内から62の姿を
眺めることはできましたが、当時は公共交通機関でこどもの国まで直接行けず、高松空港からも
迂回を強いられかなり距離があったため、なかなか会いに行けませんでした。
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2007.8.12 さぬきこどもの国
立派な鉄骨屋根に守られて保存されている62です。 ここは高松空港の滑走路に隣接しており、
航空機で来ると保存機・YS-11とともに出迎えてくれます。 車体はさよなら運転の際に塗り替えられた茶色とクリーム色のツートンカラーです。
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2007.8.12 さぬきこどもの国
プラットホームへの上り口横に、62についての案内板が掲げられています。
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日本一長く走りつづけた電車
形式 60形62号 長さ 15メートル 高さ 3.96メートル 幅 2.74メートル 重さ 23トン
この電車は、大正2年(1913年)に東京で製造され、スタートは京浜電気鉄道(現京浜急行電鉄)
で29年間走りその後東京急行電鉄で6年間走った後、昭和23年に高松琴平電気鉄道にやってきて、
この香川県で54年間はたらきつづけました。 |
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2007.8.12 さぬきこどもの国
パンタグラフ搭載側の前面です。 現役当時、高松築港側の先頭でした。 現役当時は貫通扉に行先表示板差しがありましたが、それがなくなっています。
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2007.8.12 さぬきこどもの国
電気は通っていませんが、車内も公開されています。 側面窓は全て下から10センチほど開けた場所で固定されています。 車内肩の広告差部分には62が現役だった当時の写真が多数飾られ、4ヶ所ある側扉の鴨居部分 には路線図が掲げられています。 どちらも経年のためか退色が進んでいます。
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2007.8.12
運転台にも立ち入ることができ、運転席に座ってマスコンハンドルやブレーキハンドルを
動かすこともできます。
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2007.8.12 さぬきこどもの国
車内クシゲタ部分には、1953年に今橋工場で鋼体化改造されたときに取り付けられた銘板が
今もそのまま残っています。
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2007.8.12 さぬきこどもの国
床下機器です。 汚れていないことから、保存の前に再塗装されたようです。 こちら側は現役当時右側で、さよなら運転の際に左側の床下機器は撮ったので、奇しくも 両側の写真を撮ったことになります。
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2002.12.18 仏生山
これがその左側床下機器の写真です。(再掲)
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廃車から4年半経過していましたが、車内に荒らされている様子が無く、車体の状態も素人目
には良好と見受けられました。 保存場所がこども向けの施設だということもあるのでしょうが、
車両に施された策と管理が行き届いていることが要因だと思います。 これからも大切にしてほしいものです。
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60形62・67 〜2002年12月の「旧型電車祭り」から〜 ページへ
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2008.2.28 エムサ菌