ことでん車両の基礎知識
高松琴平電気鉄道@エムサ菌総合研究所

 

 つい何年か前まで、ことでんはさまざまな形式の車両を保有・運用し、『動く電車博物館』とも 言われてきました。 しかし相次ぐ冷房車の導入と旧型車の廃車によって車種が大幅に減り、往時 の豊富なバラエティはかなり失われましたが、今でもことでん車両群を語る上で『動く電車博物館』 当時のことは欠くことができないことだと思います。
 このページでは、ことでん車両を眺める上での基礎知識のような能書きや、各形式に共通する ことなどを書き連ねてみようと思います。

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 ことでんが車両を新たに導入する際、半ば伝統的に他社で使用された中古車両を譲り受ける ことによって行われていました。
 それは、琴平線の前身である琴平電鉄が開業の際に当時の最高水準の新車を揃えたことが、 後々まで経営に重くのしかかっていたからと言われています。 真偽の程は定かではありません が、現在のことでんが成立した1943年以降に在籍した自社発注車が15両しかなかったことからも、 現実味が高いように思えます。

 譲受車が多いのは他の地方民鉄でも見られたことなのでそれほど珍しいことではありません が、ことでんの場合は車両の規模が大きいことから全国の鉄道会社より譲り受けた車両が走る こととなり、車両のバリエーションが実に豊富だったことが特徴として挙げられます。
 例えば、1997年5月時点では83両が在籍していましたが、これに対する形式数は28にものぼり ました。 1形式あたりの平均は3両弱となり、1080形 (12両) や30形 (14両) といった大家族がいたことを考えると、『1形式1両』という 車両も多かったことが伺えます。
 さらに、『鋼体化車両』『買収国電』『唯一の東芝製電車』など、日本の電車史を紐解く上で 貴重な車両も在籍していたり、山形交通や東濃鉄道といった今では地図上から消えてしまった 鉄道路線で走っていた車両も活躍していました。 動く電車博物館と言われるのも、頷けるの ではないでしょうか。

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 もうひとつ、『動く電車博物館』を盛り立てかつ電車好きの目を見張るのが、その雑多な 車両たちが、ラッシュ時ともなると相互に連結・協調して運転していたことです。
 多種多様な車両を抱えることでんでは、車種の違いによる車両運用の硬直化を防ぐため、 形式の違いに関わらず制御・ブレーキ方式をほぼ完全に統一していました。


(左:京王、右:京急。 出身の異なる車両同士の連結・協調運転が今でも見られるのが、ことでんの魅力。)

 具体的には下記のとおりです。

 マスターコントローラー ・・・ ウェスチングハウス社製の間接非自動式。
 主制御装置 ・・・ 手動加速車は電空単位スイッチ式。 自動加速車は既存の主制御装置を用い マスコン指令のみ手動加速車に合わせてある。
 ブレーキ方式 ・・・ 電磁SME式 (電磁弁付三管式直通空気制動) 。  発電ブレーキは気圧スイッチにより自動的に作動する。
 ブレーキ弁 ・・・ 電気接点付直通空気式・非セルフラップタイプ。
 ブレーキシュー ・・・ 鋳鉄製のもの。
 他、連結器・ドア回路・放送回路等を共通あるいは互換性のあるものに。

 これらの装備によって、例えば手動加速車と自動加速車を混結している場合は手動加速車に 合わせてノッチを1段ずつ投入するといった制約があるものの、運用の共通化は図られてきま した。 ただ、高性能車を譲り受けてもダイヤ上は旧型車のランカーブに合わせる必要がある ため、スピードアップには必ずしもつながらないといった欠点がありました。
 しかし高性能車と旧型車の協調運転では、性能が微妙に異なるのかギクシャクした動きの中、 やや古いシステムである直通空気ブレーキを自在に操ってホーム長さの余裕がない駅でも停止位置 に合わせる運転士の技術は、素晴らしいものがありました。

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 そんなことでんの車両群も、他の鉄道会社と同様に近代化・冷房化の波がやってくるにつれて 車種が減っていくことになりました。

 もともと鉄道線で車両規格の大きかった琴平線では、1970年代半ばより名古屋鉄道・阪神電気 鉄道・三岐鉄道から17〜19m級の「大型車」を旧性能車であったものの譲り受け、14〜16m級の 「中型車」を長尾線・志度線に転属させるなどして、車両の大型化を進めました。
 大手民鉄で高性能車の廃車が増えてくると、車両の供給元が絞られる結果となりました。  これはことでんが地方民鉄には珍しい標準軌間で、高性能車の場合台車の別形式への振替や 狭軌台車の標準軌化改造が困難なことが原因のようです。 しかし、車種を減らすことによって 車両の保守・整備の負担は軽くなるといった長所があり、ことでんとしても車種の統一は長年の 悲願だったため、1984年から京浜急行電鉄・京王電鉄から譲受した冷房車を増備し、中型車に 続いて非冷房の大型車を順次置き換え、2005年に営業車の完全冷房化を達成しました。

 一方の長尾線・志度線は、ともに前身が軌道線であることから寸法や重量の制限が特に厳しく、 『全長16m級・積載時軸重10トン』という両線の規格に適合する中古車両の供給が無かったため、 旧型非冷房車が使われ続けました。
 事態が動いたのは1998年です。 その2年前までに、志度線に残っていた古い橋梁が全て架け 替えられ、ひとまず重量制限が緩和されました。 折りしも廃車となっていた名古屋市交通局の 地下鉄車両が両線の規格に適合していたことから、これを譲り受けて冷房化改造を行った上で 導入しました。
 しかしこの時点で全ての旧型非冷房車を置き換えることは出物が尽きたことからできず、 さらにことでんの経営破綻もあって、2002年に車両近代化の動きが一旦止まることになりました。
 これが再び動き出したのは2006年夏です。 これに備えて長尾線の一部の曲線や駅ホームなど の施設を改良し、同線に初めてとなる大型車を導入しました。 その後2度にわたり大型車の追加 投入を行なって長尾線の旧型車を直接置き換えたほか、一部の冷房中型車を志度線に移動させて 玉突きで志度線の非冷房旧型車も置き換えました。

 2007年7月31日、長尾線に残っていた旧型車の増結運用がこの日の朝をもって終了したことで、 全線完全冷房化を達成しました。

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 琴平線では、2011年12月1日現在1200形14両・1100形8両・1080形10両・1070形4両・600形4両の 5形式40両が在籍し、全ての形式が2両編成を組んでいます。 ラッシュ時には2組つないだ4両編成 も多く見られます。 運用上の制限などは特にないようですが、1070形や1100形の稼動機会は 少ないようです。
 また動態保存されている非冷房旧型車4形式4両と、事業用車2形式2両も仏生山工場に常駐して います。


(依然として車両のバリエーションが富んでいる琴平線。)

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 長尾線は、2006年7月から2007年7月にかけて3度にわたって大型車両が導入され、さらに2011年に 大型車の追加が行なわれた結果、2011年12月1日現在1300形8両・1200形8両・600形4両の3形式20両が 在籍しています。 大型車と中型車が混在していますが、志度線のような中型車の3両化は 行われず、全列車2両編成で運転されています。
 2011年の大型車追加までは1300形4両・1200形6両・600形8両の計18両の陣容で中型車が相対的 に多く、沿線で大きなイベントがあった時など中型車では輸送力不足になりかつ長尾線所属の 大型車では運用を賄いきれない場合は、一時的に琴平線の大型車が長尾線運用に就くことも ありました。


(車両大型化に伴い「京急色」が強くなった長尾線。)

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 志度線では、長尾線車両の大型化による中型車の転入を受けて残っていた非冷房車が引退、 600形・700形の2形式20両が在籍しており、名古屋市交通局出身車両で統一されました。
 大型車が入っていないために志度線では3両編成運転が継続されていますが、増結車が単独で 自走できないこと、運用途中での連結・切り離しは行われていないため、終日にわたって3両編成 の列車が走るようになっています。


(1系列に車種が統一された志度線。)

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 車両の向きについても、簡単な説明をしておこうと思います。
 ただ、ことでんの公式な車両の向きは解からないので、もっとも普遍的と見られる方法で解釈し、 当サイトの記述もそれに則ったものとします。

 まず路線の方向は、琴電琴平方面・長尾方面・志度方面に向かう列車が『下り』、瓦町・ 高松築港方面に向かう列車が『上り』となります。
 『ユニット車』と呼ばれる2両編成車の車両番号は、琴平線・長尾線の車両は『下り方の車両が 奇数』、『上り方の車両が偶数』になっています。 ただし志度線車両だけは逆で、『下り・ 琴電志度方が偶数』『上り・瓦町方が奇数』となります。 これは瓦町の線路が分断される前、 志度線が高松築港に乗り入れていたときの名残と見ることができます。 簡単ではありますが、 図でご説明しましょう。

 上図・志度線分断前は、線路配置の関係で高松築港に直通していた志度線列車が瓦町でスイッチ バックして目的地に向かっていました。 車両の向きは、線路を共用する琴平線や検査設備を共用 する長尾線のそれと合わせており、従って志度線内では路線の向きと逆になっていました。
 しかし、下図・志度線分断後は、車両の向きはそのままで、その後に入線した車両も分断前と 同じ向きとされたため、依然として車両と路線の上り下りは一致しておらず、ちょっと解かり にくくなっています。

 パンタグラフの搭載位置は、旧型単車では下り方に、旧型ユニット車は奇数号車の運転台寄り に、冷房車は奇数号車の連結面寄りに、それぞれ搭載されるのが通例になっています。  ただし、5000形・60形62・60形67は旧型単車であっても上り方に搭載されており、それが何故 なのかは1000形の搭載位置が過去2度変わっていることとともに定かではありません。 ただし、 60形65が陸送によって仏生山に異動してきた際に、パンタグラフの向きが1000形などと同じに なるように方向転換がされました (それに伴い床下のジャンパ栓の位置が左右 振り替えられた)

 優先座席の位置は、ユニット車の場合は2両とも連結面側車端部両側にあります。 それ 以外の1両単位の車両は、下り方車端寄りのロングシートの一角にあったように記憶しています。

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2011.12.17 エムサ菌