高松琴平電気鉄道@エムサ菌総合研究所
形式別写真・
60形65
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1948年に東京急行電鉄サハ5100形5102を譲り受けた車両です。 もともとは1913年6月に天野工場で製造された京浜電鉄・デ29形デ34で、第二次大戦中の合併 により東京急行電鉄京浜線となり (戦後の分離で京浜急行電鉄となる) 、 形式・車号も改められました。 戦後まもなくに東急が新造車両の割り当てを受けた際、その 見返りとして地方の私鉄に車両を供出することになり、僚車・サハ5105とともにことでん入り しました。 サハ5105は木造車体のまま電動車化され60形62になりましたが、この車両は木造 車体・付随車のままで、70形72という形式・車号となりました。
1960年、今橋工場で車体の鋼体化と電動車化改造を受け、同年3月30日付で60形に編入され65に
改番されました。 その際、側面の窓にHゴムを多用したいわゆる『バス窓』を採用し、7年前に
同工事を受けた62とはデザインが大幅に異なっていたほか、車体寸法なども細かい部分で
異なっていました。
全線完全冷房化とともに動態保存車に指定され、陸路琴平線に移動しました。 その際に
パンタグラフの向きを1000形などと揃えるために車両の向きが替えられ、他車と連結させる
ためにジャンパ栓も左右入れ換えました。 |
車号 | 竣工 | 瓦町分離時の所属 | 記事 |
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65 | 1948. | 志度線 | 2006.8. 琴平線に移動、2007.11. 廃車 |
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ご案内
資料としてはとても完全なものではありませんが、鉄道模型製作等の参考としても、
どうぞご活用ください。 ことでん旧型車の機器、特に台車・抵抗器などは、互換性のある別機種に 交換される事が頻繁にあったようですが、ここでは個々の機器の動向までは 追いかけていません。「写真撮影時における組み合わせ」とお考え下さい。
また車両の側面写真の向きは志度線時代を基準とし、 |
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2006.3.20 今橋
茶色化された65が、朝日を浴びて600形の瓦町方に連結されているシーンです。 パンタグラフが琴電志度方に設置されており、62や5000形同じ向きで、他形式とは逆でした。 側面の『バス窓』は、軽量化が図れるということでバスでの採用例が多かったことからこの名 が付けられました。 鉄道車両でも気動車を中心に採用例が見られましたが、撮影時点で鋼体化 工事から46年経っており、本家の残存例はほとんど聞かず、鉄道車両でも僅かしか見られなく なっていました。
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2002.12.17 瓦町
ファンタゴンレッド時代の65です。 志度線時代は非パンタグラフ側の前面にジャンパ栓
受けが取り付けられていました。 貫通扉は引き戸で、助手席側が戸袋になっています。 この写真を撮った2002年12月のイベントでは、65が昼間走る機会は少なかったように思います。 翌朝の増結運用に備えてか、335と組んで瓦町駅5番線で休息中のシーン。
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2004.10.18 今橋
右側の床下機器です。 画像左手 (=琴電志度方) から、電動発電機、
元空気ダメ、ブレーキシリンダーと奥には抵抗器、電動空気圧縮機・・・が並んでいます。
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2006.3.20 今橋
左側の床下機器です。 一番大きな箱は主制御装置です。 雨よけのような庇があり、
ケーブルが見えません。
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2006.3.22 今橋
瓦町方の台車です。 銘板には「昭和16年/川崎車両」と記されており、この当時の3000形と
同一品で旧30形 (旧・阪神881形) 由来のものと思われます。
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2006.3.20 65車内
車内の様子です。 基本的な作りは62や750形とよく似ています。 乗務員室の仕切りは運転台背後のみ壁になっていて、中央と助手席側はポールで仕切られて いるだけです。 またそのポールのすぐ手前まで座席が伸びているので、座りながらの前面展望 が可能でした。
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2007.6.12 仏生山付近
仏生山駅ロータリー横の引込線に停まっていた65を眺めているうち、「製造後90年以上経って
いそうなところを」と思い、非パンタグラフ側の台枠中梁を撮ってみました (
そこが該当する部位かはわからないが) 。 ATS車上子と排障器の取り付け枠が台車枠の内側から伸びていることと、方向転換によって 取り回しが変わった床下の配線が100円ショップでも見られるような結束バンドで留められて いることがわかります。
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2007.9.4 仏生山付近
動態保存車として琴平線に移動後、仏生山駅の構内側線北側終端付近に留置されていた頃。
方向転換の際、それまでジャンパ栓受けがなかったパンタグラフ側前面に栓受けが取り付け
られ、非パンタグラフ側の栓受けは撤去されました。 栓受けはステイを介して車体に
取り付けられています。 この少し後に廃車が発表され、私はさよなら運転にも行けなかったため、65を見て撮った のはこの時が最後になってしまいました。
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65の廃車が発表された当初、某巨大掲示板では「簡単に方針を転換した」「うそつきだ」と
いう批判的な書き込みも見られました。 しかしながら、通常の営業運転には投入しない車両の維持管理の費用が嵩むこと、それが 経営の重荷になることは理解でき、旧型車の動態保存のあり方についていろいろ考えさせられた ものでした。
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2008.9.27 エムサ菌