高松琴平電気鉄道@エムサ菌総合研究所
60形 62・67
〜2002年12月の「旧型電車祭り」から〜
( その1 )

 ことでんでは、車両の寸法・重量の制限が特に厳しかった長尾線・志度線に、名古屋市交通局 より譲受した車両を冷房化して導入し、老朽化した旧型車を順次置き換えてきましたが、2002 (平成14) 年12月に2両1編成を長尾線に投入したのを最後に、1998 (平成10) 年から始まった一連の旧型車置き換えがひとまず終了しました。

 この時入線した613+614号車は、ことでんが経営破綻した後初めて導入された車両で、新たに 制定された路線別カラーを纏い、イメージキャラクター・イルカの「ことちゃん」の四国遍路装束 姿のイラストが車体に描かれ、「ことちゃん遍路号」の愛称を授かって活躍を始めました。 この 600形は当初志度線に投入し、同線の30形27+28を置き換える計画だったそうですが、運用数が多く 実質的な冷房化率が低い長尾線に投入することとなり、志度線の27+28は生き残り、その影で 長尾線の60形62・67の2両が引退することになりました。

 62・67の引退にあわせて 「旧型電車まつり 〜大正浪漫、レトロ体験 !〜と銘打ったイベントが8日間に渡って開催され、5駅を巡るスタンプラリーの ほか、普段はラッシュ時の増結車や予備車となっている旧型車を日中の運用に投入、あまり見られ なくなった旧型車の活躍シーンが盛大に展開されました。

 私は、このイベント告知で67がまだ生きていたことを知り、そして念願叶って初めてのことでん 詣でが果たされました。

 このページでは、その時に撮った62・67の写真を眺めていこうと思います。

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 このイベントで62と67は、車体塗装を昭和40年代当時のものである茶とクリームのツートン カラーに、車号も当時の書式に準じたものに戻され、両車が装備する行先板も当時のデザイン・ 書式のものが用意されました。

 さよなら運転としては昼間の2両運転時の運転時刻が事前に公表され、62と67が2両編成で長尾線 を走行しましたが、ラッシュ時間帯の3両運転の際にはそれぞれ別々に増結車として活躍し、旧型車 のみの3両運転も見られました。
 また期間中、62と67の連結位置が何度か入れ替わり、さまざまな写真が撮れるように配慮され ました。 前述の、増結車となったときに入れ替わったと思うのですが。

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2002.12.16 2052レ 長尾


2002.12.16 2052レ 長尾

 2002年12月16日、新幹線「のぞみ」と瀬戸大橋線「マリンライナー」を乗り継いで昼頃に高松入り しました。 高松駅でJRの写真を撮ってから、とりあえず来た600形で長尾に向かい、途中木太東口 ですれ違った62・67が来るのを待って撮りましたが、時間が下るにつれて雨が本格的に降ってきて、 どんどん暗くなってしまったので、この日はそれ以降の撮影を諦めました。

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2002.12.17 2029レ 高松築港‐片原町

 翌17日朝、まずはことでん撮影地の定番である高松築港−片原町間の線路に並行する道路で、 玉藻城をバックに走る電車を撮影しました。
 朝から良く晴れて光線状態も良好! 多いときで十人程度が集まり、盛んにシャッターを切って いました。おばさん数人連れもいたなあ・・・。
 ピークはもちろん、62・67が通過するときです。

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2002.12.17 2039レ 平木

 形式写真を平木駅で撮りました。
 この日は長尾方に67が、高松築港方に62が連結されていました。

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2002.12.17 2039レ 平木

 目の前を走り去る62の台車を撮ってみました。
 ATS車上子が車体からはみ出さんばかりになっています。

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2002.12.17 2047レ 平木

 長尾で折り返してきた列車を、高松築港側から撮ってみました。
 戻ってくるまでの間は、運用の都合で側線に留置されていた760+120を撮ったり眺めたりして 時間をつぶしていました。

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 18日、朝の運用を終えた62・67は仏生山に検査のため回送されたため、昼間の運転はありません でした。 なので昼間は志度線で20形や30形の撮影に充てていました。
 そしてこれも撮りたかった613+614も仏生山で検査を受けていて、夕方に出てくるということ だったので、それにあわせて仏生山に移動しました。

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2002.12.18 仏生山

 18日夕方前の仏生山。 出庫待ちの67です。
 検査の際、さよならヘッドマークが装着されました。

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2002.12.18 仏生山

 62の、長尾に向かって左側の側面です。 ちょっと明るめにして、床下機器を見てみましょう。
 長尾線の旧型車の中で、パンタグラフを高松築港方に装備しているのは62と5000形500の2両のみ (この当時では) です。
 次に掲げる67の画像と見比べると、主制御装置がこちら側にあるなど、床下機器も67と逆向きに なっていることが解ります。

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2002.12.18 仏生山

 同じく出庫待ちの67。 これも長尾に向かって左側の側面で、床下機器を見るべくかなり明るく しています。
 左に電動発電機が、右に電動空気圧縮機が見え、他の旧型車とも機器配置が異なるようです。

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2002.12.18 仏生山

 仏生山駅1番線に出庫してきました。 組成は高松築港方から67+62+614+613。 置き換えら れる車両といっしょに出てくるとは、驚きました。 4両編成で瓦町に回送されます。

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135-14〜17 2002.12.18 仏生山

 確かに、62と614が連結されています。

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2002.12.18 仏生山

 瓦町に向かって、元気よく出庫していきます。 瓦町で2両ずつに切り離され、一旦留置線に 入った後、別々に活躍を始めました。

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その2 につづく

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2008.2.28 エムサ菌