高松琴平電気鉄道@エムサ菌総合研究所
形式別写真・
5000形
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1928年に加藤車両で製造された制御車です。 全長15m弱、半鋼製の車体や1D6D6D1の側面配置は1000形・ 3000形に準じていますが、妻面が平面で貫通扉も引き戸に なっていること、車端寄りの戸袋窓が新製当初から楕円形ではなく、窓上部もごく小さなRが 付いているなど、差異が見られました。 1953年に電動車化が行なわれた際には高松築港方にパンタグラフが搭載され、琴電琴平方に パンタグラフを載せた車両がほとんどを占める中で異彩を放っていたそうです。 また高速性能が 優れていたことから比較的遅くまで琴平線に残り、冷房車 (1070形) と の連結運転も行なわれていました。 5000形は1000形や3000形に対して行われた本格的な更新工事が行われておらず、屋根上通風器が 撤去されたものの車体各部のリベットが多く残っているなど、原形を留めています。 1070形の導入で520が、600形の導入で510が、それぞれ廃車されましたが、残った500は動態保存 車として現存しています。 |
車号 | 竣工 | 瓦町分離時の所属 | 記事 |
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500 | 1928.3. | 長尾線 | 琴平線に所属 2007.11.茶色化 |
510 | 1928.3. | 長尾線 | 1999.1.廃車 |
520 | 1928.3. | ― | 1985.廃車 |
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ご案内
撮った写真がまだまだ少なく甚だ準備不足の感もありますが、ひとまず
公開致します。 ことでん旧型車の機器、特に台車・抵抗器などは、互換性のある別機種に 交換される事が頻繁にあったようですが、ここでは個々の機器の動向までは 追いかけていません。「写真撮影時における組み合わせ」とお考え下さい。
また車両の側面写真の向きは、
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2010.8.19 仏生山
茶色になった500です。 塗装変更に合わせて車体外板の一部を張り替えたため、半年ほど工場入りしていたようです。 あわせて前面腰右側に掲出する行先表示板を差し込み式から引っ掛け式に改めたため、 サボ受を撤去しています。
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2006.5.26 瓦町
ファンタゴンレッド時代の500です。 この日はイベントが行なわれていたものの3000形315とともに仏生山で検査を受けており、 写真は検査を終え瓦町に回送後引込線で待機していたところを踏切から撮ったものです。 待機中でも500のヘッドライトは点灯したままで、おそらく現場のご厚意だったのでしょう。 雨だったので同じ時間帯に他にカメラを向ける人はいませんでしたが、おかげで三脚を立て、 傘を差しながらじっくり撮影できました。
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2006.3.21 瓦町
左側床下機器です。 現役時代に私が行くと、大抵ここ (瓦町駅留置線)
で「運用予備」として待機していて、走っているシーンを見たのは検査のために
仏生山へ回送するシーンだけ。 保存車となったあとも私が行ったときはイベントとの都合が
合ってなかったり入場中だったりで、2011年12月現在乗ったことがありません。 基本的な機器配置は1000形や3000形に近いようで、画像からは極めてわかりにくいのですが、 中央扉の奥 (台枠相当位置と思われる) に主抵抗器があり、その手前に ブレーキシリンダーがあります。 電動発電機は20形と同様枕木方向に取り付けられています。
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2006.3.21 瓦町
台車です。 イコライザー式で3000形や60形65のものと似ていますが、これは名古屋鉄道から
購入した日本車輌製78-30A形だそうです。 制御車時代に履いていた原形の台車は電装されてデカ1に転用され、2007年まで使用されて いました。
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2007.2.3 仏生山工場
右側の床下機器です。 こちら側の機器配置もやはり1000形や3000形に準じています。 屋根上にベンチレーターがないことがおわかりいただけるかと思います。
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2006.5.26 瓦町
右側の床下機器を、ちょっとアングルを変えて見てみましょう。 車体側面に数多く残っているリベットの様子が、おわかりいただけるのではないかと思います。 なお、側面扉のステップは、長尾線車両の大型化に伴うホーム改築により隙間が大きく開いて しまうのを防ぐために取り付けられたもので、当時在籍していた中型車全てに装備されています。 そしてこれのおかげで、それまで安全上行われなかった琴平線での旧型車の運転が、 行われるようになりました。
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2011.12.26 エムサ菌