高松琴平電気鉄道@エムサ菌総合研究所
形式別写真・ 1000形

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 琴平線の前身である琴平電鉄が、最初の区間である栗林公園‐滝宮間の開業の際に準備した 車両で、1926年に汽車会社で5両が製造されました。

 本格的な高速鉄道として当時の最高水準の車両とされ、制御器・ブレーキ装置・主電動機・ 電動空気圧縮機などを商社を通じて琴平電鉄が輸入したものが使用され、全長15m弱の 半鋼製車体は側面配置が1D6D6D1、車端寄り戸袋窓が楕円形、1枚下降窓、妻面は緩やかな カーブを描くなど、同時に日本車輌で製造された3000形とは 基本的な設計が同じものとされました。

 戦後、電動空気圧縮機や基礎ブレーキ装置が変更され、1966・67年の更新工事により側面の 楕円窓がなくなり、1975年頃には貫通扉がHゴム支持のプレスドアに取り替えられましたが、 原形が大きく損なわれるようなことはなく、初期の半鋼製高速電車の雰囲気を色濃く残して います。
 1976年までに琴平線から撤退、同年に110と140が正面衝突事故を起こして廃車されました が、残る3両は長尾線・志度線で活躍を続けました。 志度線分断後は3両とも長尾線に所属 しましたが、1998年に130が、1999年に100が、それぞれ冷房車に置き換えられて廃車され ました。

 残る1両・120は、数度に渡る冷房車の導入や2006年の長尾線車両大型化もかいくぐり、 2007年の全線完全冷房化まで生き延びました。 その後は動態保存車として残されることに なり、普段は仏生山工場で休んでいます。

1000形 編成表  (2007年12月1日現在)
車号竣工瓦町分離時の所属記事
1001926.10.長尾線1999.7.廃車
1101926.10.1976.事故廃車
1201926.10.長尾線琴平線に所属
1301926.10.長尾線1999.1.廃車
1401926.10.1976.事故廃車

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ご案内
 資料としてはとても完全なものではありませんが、鉄道模型製作等の参考としても、 どうぞご活用ください。

 ことでん旧型車の機器、特に台車・抵抗器などは、互換性のある別機種に 交換される事が頻繁にあったようですが、ここでは個々の機器の動向までは 追いかけていません。「写真撮影時における組み合わせ」とお考え下さい。

 また車両の側面写真の向きは、
   長尾行き列車を基準として 進行方向右側面/左側面
とします。

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2002.12.16 長尾

 長尾駅で折り返しを待つ、ファンタゴンレッド時代の120号車です。
 側面に乗務員専用の扉がなく、両端に寄った側客扉、1枚下降窓、窓下辺と側面扉両脇の帯材 による補強 (それぞれ『ウィンドシル』『ドアシル』という) ・・・  更新工事によって戸板が交換されリベットもかなり減っているものの、撮影時点で製造から 76年経っている割には製造当時の雰囲気をよく残しています。

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2002.12.17 平木

 平木駅側線で憩う。 窓上のRが優雅な印象を醸し出しています。

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2002.12.18 高松築港−片原町

 玉藻城をバックに長尾に向けてスタート。

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2004.1.13 瓦町

 茶色化された120が、瓦町の引込線で冬の早い夕陽を側面に受けて出庫を待つシーンです。  検査入場の際に車体塗装が変更されただけで、それ以外に車体・車内に変更点は無いよう です。
 1000形は妻面で台枠が露出しているのも特徴で、高松築港方はジャンパ栓受けがないので、 その様子がよく分かります。

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2006.5.25 高松築港

 高松築港駅で発車を待つ120+760・長尾行きです。
 この日は『レトロ電車 最後の勇走』と銘打ったイベントが行なわれていましたが ( 画像も同ページより再掲) 、この当時の長尾線では朝ラッシュ時の増結と車両の 滞泊場所の関係から前日夜のうちに旧型車4両が長尾入りする運用が組まれており、旧型2両 運転が必ず2運用ありました。 そのうち1運用は早い日で朝ラッシュ終了直後から、もう1運用も 夕方から走っていたので、この日の姿は行先板と760に付けられたヘッドマークが普段と異なる だけでした。
 ちなみに助手席側窓下に茶色い縦線が2本見えますが、これはイベントなどで走る機会が多く なってから取り付けられたヘッドマークステイと思われるもので、現在は取り外されています。

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2007.8.11 挿頭丘−畑田

 全線完全冷房化による旧型車の定期運用の終了後、3000形315のさよならイベントの折に 120+300+315の3両編成で琴平線を行く。
 長尾線への大型車導入に伴う2006年のダイヤ改正で、朝の増結運用が2運用に減ってからは 120の稼動機会が減ったようで、一番のお気に入り車両ですが現役の姿をたくさんは残せません でした。

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2004.10.17 瓦町

 左側の床下機器です。 3000形とほぼ同じ配置です。
 分かりにくいですが、主抵抗器の傍らにブレーキシリンダーがあります。

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2005.6.25 花園

 右側の床下機器です。 こちらも3000形とほぼ同じ配置のようです。
 DH25形電動空気圧縮機には、プレスによると思われる三菱のマークが入っています。  この時点で3000形300も同じ物を吊っていました。

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2004.10.17 瓦町

 弓形のイコライザーが美しい台車は汽車会社製ボールドウィン78系、これに搭載している 主電動機はドイツ・アルゲマイネ社製USL-323B形 (出力48.5Kw、ギア比3.5) で、どちらも1000形の原形です。 ただしことでんでは旧型車の台車振り替えが頻繁に行われて いて、120も例外ではないため一貫してこの台車を履いていたという事実はなく、また基礎 ブレーキ装置も戦後間も無くに片押式から両抱き式に改造されているため、製造当時から 変わらない装備とは必ずしも言えません。
 1000形は1976年の事故で2両が廃車となりましたが、20形4両全車が晩年までこの台車を履いて いたので、事故車の分も含めて5両分すべてがごく最近まで現役でした。

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2004.1.13 120車内

 車内の様子です。
 3000形とほぼ同じで、壁面には木が多用され、草色に塗られています。 乗務員室と客室の 間は運転台背後のみ壁で仕切られ、それ以外はポールが渡してあるだけです。
 側面窓は1枚下降式で、アルミサッシ化されているもののバランサーがないので上げ下ろしが結構 重いです。 また日よけは『障子』を思わせる木枠に布が張られたもので、これも車体腰の部分 から引き上げて、下辺を引っ掛けて使います。 (使用状態は2つ上の画像をご覧 下さい。)

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2011.12.26 エムサ菌