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私とMAIDAS

今ではもう手放してしまったあのMAIDAS、あれから6年が経とうとしています。
私とMAIDASの出会いは十数年前になります。以下は、記憶をたどりながら?お話していきます。

出会いその1 1987年
あれはもう十数年前のある土曜日の夜のこと...その当時いつも私は「CAR GRAFIC TV」という番組を見ておりました。
その日はたまたまアルバイトの帰りで、遅くなってしまいもうエンディング寸前でした。
「あ〜もう終わりだ、ちょっと遅かったか〜」と何気なく画面を見た瞬間、私の目が釘付けに!
そこには「変な車」が映っていました。
「なんだ〜あの車は〜MIDAS?変な名前〜」と思っているうちにCMになってました。
いつもはVIDEO録画をしているのですが、その日に限ってタイマー予約もしてませんでした。
「なんだったんだろう、今のは?」そのあと胸の中にずっとそのことが残ってました。

出会いその2
そんなことがあって、数日が過ぎMAIDASのことも忘れかけてきたある日のこと。
いつもの書店で偶然に見た「driver」という雑誌にまたもやMAIDASの画が!!
「なになに、イギリス車でminiのエンジンが乗っかってbodyはプラスチック〜それで380万円!」
最後に日本代理店である「ツインカム」の記事が載っていたので、すぐさま電話をかけました。
「もっと、MIDASのことが知りたい」営業担当のO氏にそれまでのことを話した。
そしてまた数日後、写真とカタログが送られてきた。
もうこうなったら止まらない、実車が見たい!乗ってみたい〜!と電話すると、「いつでも見に来て下さい、お待ちしてます」との返事、次の日に伺いますと伝え電話を切りました。
その夜は眠れませんでした。MIDASいったいどんな車なんだろう?...

実車にのる
本社営業所は品川の白金台にあるマンションの一室でした。O氏に教えられたとおり地下鉄「高輪台」を降り徒歩約5分で到着、駐車場と思われるところには青い「MAIDAS」が止まってました。
営業所内にはO氏と美人の事務担当の女性がいて、周りにはパーツや雑誌が所狭しと並んでました。
早速MIDASについて一通り説明を受け外へ、そこには先ほどの青いMIDASが...
「試乗してもいいよ!」と言われ、え〜本当に乗せてくれるの〜?大丈夫かな〜と思いつつも
MIDASの独特のシートポジションに滑り込み、試乗開始。大通りへ恐る〃出ようと方向指示器を...
ととっあれっ?なんでワイパーが動くの?方向指示器のスイッチはどこ?
そうです、右ハンドルでもイギリス車、指示器のスイッチは左なんですね〜。
O氏が飛んできて説明してくれた、恥ずかしい〜!なんせ外車は初めてなんで...
これで一気に緊張の糸がほぐれました。短い時間でしたが、知らない道どこをどう走ったか覚えてません。
覚えてるのは歩いている人のほとんどが、振り返ってこちらを見ているということ。
なんという快感、クィック&シャープなハンドリング、バタバタと独特なエキゾースト音...どれもこれもが気持ち良い〜!。
試乗を終え、商談に入る。しかし、当時の自分には限界を超えた値段でした...。
「もう少し考えさせてください」あのころの自分ではこれしか言えませんでした。

購入の決意-1987/6
それから数日が経ち、ますますMIDASの魅力に惹かれていく。
もうこうなったら何とかして買うっきゃない!まずは親に相談、それまで二十数年下げたことのない頭を下げ一部借金、残業やアルバイトで稼いだ貯金及び乗っていた「MAZDA FAMILIA」を下取りにすることでようやく商談を再開!
それでも当時(1987年)は消費税という制度ができた頃、車両代金にその他諸費用合わせると総額450万円也!
残りは当然ローンである。月々4万円でボーナス21万円...
住宅ローン並だが、これで夢はかなった!!

納車-1988/1
それから数ヶ月後の1988年1月、My MIDASが出来上がったよ〜の連絡が入る。
納車は多摩陸運局に登録をした後、会社までO氏が持ってきてくれました。
残金を払い、登録書とKeyを受け取ると、「じゃ大事に乗ってくださいね〜」とO氏は去っていった。
そしてそれからが私とMIDASの戦いの始まりでした...?

続きはそのうち...


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