高松琴平電気鉄道@エムサ菌総合研究所
315号さよならイベント
〜さよなら運転 編〜

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 2007年7月に京浜急行電鉄から譲り受けた1300形がことでん入りしたことで、かねてから 進められてきた長尾線車両大型化は終了し、合わせて同線に2運用残っていた朝ラッシュ時 における旧型車両の増結運用も2007年7月31日の朝をもって終了しました。
 その少し前から、旧型車数両をイベント用として動態保存することが決まっていましたが、 3000形315は残念ながらその選に漏れ廃車されることになり、2007年8月11・12日にイベントが 行なわれ、私も楽しんできました。

 このページでは、『さよなら運転』の模様をご覧頂きます。

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2007.8.11 畑田

 まずは、各駅に掲出されていたイベント告知のポスターです。
 それによると、イベントとしては『さよなら運転会』『記念乗車証の配布』『さよなら撮影会』 『さよならキーホルダー発売』などが行なわれ、また発売駅・数量限定ではあったものの1日 乗車券のセット券購入で『315号車竣工図』の特典も付きました。 記念乗車証は、これまでの イベントの際に1日乗車券の購入特典として配られた『ポストカード』とほぼ同じ要領で作られた もので、パソコン出力と思しき告知ポスターともども、全体的に「手作り感」に満ちている イベントでありました。

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 今回のさよなら運転のダイヤです。 両日とも同一ダイヤですが編成は異なり、11日は琴平 寄りから315+300+120、12日は同じく315+300+23でした。
 出庫から3223列車の滝宮到着までは3両編成で運転され、折り返す間に315を切り離し、残り 2両が3232列車となって一足先に一宮へ向かい (到着後仏生山へ回送) 、 残された315は6034列車となって仏生山に向かいます。 この6034列車は単行運転で、他社で 相次いだ旧型車両による事故を受けて出された国土交通省の通達に従って旅客の乗車はでき ませんでしたが、ことでん側の計らいで『撮影用列車』とされ、途中駅での追い抜かれこそない もののダイヤ上可能な限り遅い速度で運転され、それなりにシャッターチャンスが得られました (ただ、個人的にはあまり興味が湧かなかった)
 運転時間は実質的に半日とやや短く感じられますが、1日目は運転後に撮影会があったこと、 2日目はことでんの業務上これ以上遅い時間まで運転できない事情があったそうです。

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2007.8.11 仏生山

 1日目、仏生山駅発車前の様子です。 一般営業列車に影響を与えないようにするため、 3番線からの出発となっています。 イベント列車で、記念乗車証の配布もあるとくれば、 やはり多くの人が集まりますね。 それでも、大都市圏のイベントと比べれば人手は少ない と思いますが・・・。

 この時は、ファンに混じって某国営放送のテレビスタッフが取材に来ていました。 それ自体 は結構なことですが、ファンが撮影している前にカメラマン (右の白シャツの男 ) が無言で入り込み、時間をかけてカメラのセッティングから撮影まで行なっていた のは、非常に不快でした。 さすがに罵声は飛びませんでしたが、折りしも不祥事続きで受信料 の支払い拒否件数が多かった頃で、このカメラマンの行動は某巨大掲示板でも叩かれていました が、当然でしょうね。

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2007.8.11 仏生山

 1日目は高松築港方から120+300+315という編成でスタート、その高松築港方の先頭も 撮影してみました。 主役はあくまで315というわけか、さよなら列車であるものの編成の 高松築港方にはヘッドマークが取り付けられていませんでした。
 仏生山駅3番線の高松築港寄りホーム端は1人が撮影するのがやっとの幅しかありませんが、 撮影を終えた人が次の人にその場所を速やかに譲るということが自発的に行なわれていて、 少し感動してしまいました。

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2007.8.11 仏生山

 3020列車発車前のひととき。 列車は9時過ぎに私が着いた時点で既にホームに据え付け られており、いろいろなアングルの撮影をする人、車体や車内をじっくり見回す人、それぞれが 思い思いに発車を待つことができたようです。
 このテのイベントに欠かせない小道具『白サボ』を片手にホームを走る、サボ所有者のT氏が 偶然写っておりました。 あるいは、T氏のお仲間かもしれない。

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2007.8.11 三条−太田

 仏生山で記念乗車証を受け取り、3020列車に2駅間だけ乗って三条で下車、太田に向かって 少し歩いたところにある踏切で滝宮行き3219列車を撮りました。
 やはり一宮−円座間の鉄橋や、高松築港−片原町間の所謂『城バック』、また確実なところ で駅撮りに動く人が多いのでしょうか? ここでは他に撮影するファンの姿がなく、ちょっと 拍子抜けしてしまいました。

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2007.8.11 挿頭丘−畑田

 緑の絨毯を駆け抜ける3223列車・滝宮行きです。
 この写真を撮ったのは畑田駅の近くですが、ここまで挿頭丘から歩いてきました。 と いうのも、挿頭丘駅前の陸橋上以外に撮影場所が思い当たらなかったので一応そこへ行って みましたが、駅停車狙いのアングルでは築堤の桜の枝が伸びていて立ち位置・アングルに制約が 多く (そもそもそれだと315は写らない) 、反転して315を狙おうにも 私の技術では生かしきれないと感じたこと、一方挿頭丘から岡本に向かって歩いた築堤は、 線路際の草の生え具合が車内からはわからず行ってみてダメだった時に場所を変えるほどの 時間的余裕がないため、結局畑田に向かって歩きながら行き当たりばったりで撮ることに した・・・ という経緯があったからです。
 まぁ、それなりのものが残せたので結果オーライですね。

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2007.8.11 岡本付近

 岡本駅のすぐ近く、奈良須池のほとりを走る315単行の6034列車です。
 前述のとおり扱いとしては回送列車ですが、撮影用ということで『佛生山』の白サボが 掲げられました。 またさよならヘッドマークは白基調のものと青基調のものが1枚ずつ 用意され、それぞれ315の琴平寄りと高松築港寄りに取り付けられました。

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 翌・8月12日は琴平寄りから315+300+23の3両編成で出庫し、11日と同じダイヤ・要領で 運転されました。
 この時点で23には琴平線・長尾線のホームに対応できるドアステップが取り付けられておらず、 車両とホームの空隙が大きいことから安全面の懸念があって当初は23の運転は危ぶまれていた ものの、ことでんが監視要員を配置することで実現したそうです。 感謝!

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2007.8.12 高松築港

 1日1往復のみの高松築港乗り入れの2日目は、高松築港のホームに隣接した玉藻城の石垣と 315とのおそらく最後の組み合わせを撮ることにしました。
 記念乗車証をもらいつつ3020列車に仏生山から乗ってもよかったのですが、高松築港での 折り返し時間は僅か2分で、乗り続けながら撮影する余裕はないように思われ、また無理をしたり 列車を遅らせたくなかったので、3020列車を高松築港で迎えました。 実際には、3219列車の 発車が2分近く遅れていたような気がしますが・・・。

 11日とは、さよならヘッドマークの取り付け位置が逆になっています。

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2007.8.12 一宮−円座

 3228列車・3223列車は、無難に一宮−円座間の鉄橋の円座方で狙うことにしました。  とはいえここには行ったことがなく、方向感覚だけを頼りに向かいましたが、3219列車を 円座で降りてそのまま来たので、結果的には余裕でした。
 このアングルだと、23の雨樋と屋根の高さがことでんオリジナル車よりも若干高いことが わかります。

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2007.8.12 仏生山

 315最後の本線走行列車になるであろう6034列車は、仏生山で迎えることにしました。
 1番線に到着後一旦本線を下り方に引き上げて、1番線をかすめて車庫に入っていきました。  このひとときが、私が315の姿を生で見た最後となりました。
 80年間、お疲れ様でした。

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 仏生山工場での撮影会の様子は、こちらから。

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2009.8.1 エムサ菌