高松琴平電気鉄道@エムサ菌総合研究所
2007年2月のレトロイベント
(その1)

▼   ▼   ▼

 2007年2月3日・土曜日、ことでんオフィシャルDVD『セピアの響』第3弾・琴平線編の発売を 記念して、また旅客車としては最後までピンクとクリームのツートンカラーで残っていた5000形 500号車が検査入場により茶色化されるのを前にした最後のお披露目として、旧型電車のイベント が行われました。
 今回のイベントでは、旧型車が3両編成・4両編成を組んで琴平線で運転されたり、仏生山工場 での形式写真撮影会・ライトアップ撮影会・DVDの先行販売会が催されました。

 私は3日のイベントから5日の朝ラッシュ輸送まで、じっくりとことでんで遊んできました。

 ここでは、3日のイベントの様子をお伝え致します。

▼   ▼   ▼

 今回のイベント列車は、上に画像で示した行路で運転されました。
 組成は、仏生山9時48分出庫の運用が高松築港方から315+300+120の3両編成、仏生山10時56分 出庫の運用が65の単行です。 滝宮での折り返しはすべて1番線を使用し、3232列車〜回送6032列車 は高松築港方から315+300+120+65の4両編成となりました。

▼   ▼   ▼


2007.2.3 太田

 1本目の列車は、太田で後打ちすることにしました。 これが三条であれば逆光であるものの 前側から撮れたのですが、定期列車との行き違いがあるため諦めました。
 編成両端にはデザインの異なる『セピアの響』ヘッドマークを付けていますが、行先板は イベントでのお約束・火付け役のT氏所有の白地のものは登場せず、各列車とも琴平線用の緑色の ものが使われました。

▼   ▼   ▼

 今回の運転では高松築港−仏生山間には1往復しか走りません。 当初3219列車は順光となる 栗林公園−三条間で撮影することも考えましたが、そこでは2両編成の回送ではあるものの過去 1度撮影していること、『琴平線を走るオリジナル車』に乗ったことがなかったので、瓦町から 滝宮まで乗ってみることにしました。

 近代的な瓦町駅から先頭の120に乗り込みました。 JR高徳線を跨いでいた築堤を吊り掛け モーター音を響かせて駆け上がる・・・のを体験し、いろいろ考えたけどやっぱり乗って よかったと率直に思えました。

 しかし、太田に到着した際にドアが開かなくなってしまいました。 正確には、開こうとしても すぐに閉まってしまう。 車内精算の都合か各車に乗っていた車掌、はたまた運転士まで動きが 慌しくなり、結局約5分遅れで発車。
 仏生山で最後尾の315に乗り換えるべくホームを歩いた時に、車掌同士の会話から
『315のバッテリーが上がり、同車から放送とドア扱いができなくなった』、『運転車掌は300に 乗り、ドア扱い・放送もそこから行うことで運転を継続する』
ということがわかりました。

 5分遅れで一宮に到着。 ここで本来ならば約10分停車するのですが、遅れていたため停車時間を 詰め、定刻に滝宮に向けて出発しました。

▼   ▼   ▼


2007.2.3 滝宮

 滝宮に到着した315。 イベント列車はここで20分ほど折り返し時間がありますが、私はその前を 走る定期列車に乗って移動することと、日陰だったため、ここではあまり撮っていません。

▼   ▼   ▼

 今回のイベントで旧型が走るのは6個列車、さあどこで撮ろうか? と考えた結果、私にとっての 定番である挿頭丘・畑田周辺でおさえることにしました。  そして、やはりヘッドライトが 点いている向きで・・・ ということで、列車と撮影場所を決めました。

▼   ▼   ▼


2007.2.3 挿頭丘

 上り列車を挿頭丘で降り、駅上の陸橋で2個列車撮ることにしました。
 まずは、岡本からの谷間を経て切り通しの挿頭丘に進入する65。 行先表示は『琴平』ですが、 実際には『滝宮行き』の回送でした。
 65が仏生山に移動になって、動いているのをはじめて見て撮ったわけですが、単行というところ からかあまり写欲が湧かず、とりあえず撮っておくに留めました。 画像からはわかりませんが、 原版には『適当感』が滲み出ています。

▼   ▼   ▼


2007.2.3 挿頭丘

 滝宮からやってきた、315+300+120の一宮行き・3228列車。 ・・・もうちょっと長いレンズに してもよかったかな?

▼   ▼   ▼


2007.2.3 挿頭丘

 上の列車の後打ちで、岡本に向けて22.7‰の下り勾配を駈けて行くシーン。

▼   ▼   ▼


2007.2.3 岡本−挿頭丘

 一宮を僅か1分で折り返してくる3223列車・滝宮行きは、1020形さよなら運転の際に訪れた 『谷間の築堤』で撮ることにしました。
 この日は晴れた空が綺麗だったので、広角側にして撮りました。

▼   ▼   ▼


2007.2.3 畑田

 最後・最後尾に65を連結した4両編成は、ことでんオリジナル車のみでの組成ではないものの、 琴平電鉄の遺構でもある『畑田変電所跡』といっしょに撮ってみました。
 撮影時は変電所の建屋を基準に垂直を採ったのですが、線路が勾配になっているのか、レンズの 焦点距離を28mmにしたことが原因なのか、なんとなく画面が歪んでいるような気がします。

▼   ▼   ▼

 畑田で旧型電車を見送ったあとは、仏生山工場での撮影会です。 しかし時間まで少々開きが あるので、昼食として瓦町までうどんを食べに行きました。

 しかしここで事件発生! うどんを食べ終わり仏生山に向かうべく瓦町駅2番線へ、しかしそこで 流れていた構内放送は、
  「この先の栗林公園−三条間の踏切で人身事故があったため、しばらく運転を見合わせます」
とのこと。 よりによってこんな時に・・・ と思いつつ、バスの便はないものか? と改札を 出てバスターミナルの案内所まで行ったところ、同じ電車に乗っていて一足早く降りていた同業者 2人連れがその前の乗り場にいて、やってきたバスに「あぁ、これに乗って仏生山で降りれば いい」と言いながら乗り込んでいる! 私も平静を装い乗車。 しかも幸いなことに、同業者が 仲間内で
  「仏生山で降りて左にまっすぐ行けばすぐ・・・」
と話していた声が丸聞こえ! 氏たちの話し方や外見などは同じに見られたくないものがありました が、ここはありがたくしっかり記憶。
 バスを降りて氏が別の人たちと落ち合っていた間にさっさと聞いたとおりに歩き、無事 仏生山工場に着くことができました。

▼   ▼   ▼

 仏生山工場での撮影会の様子は、次のページで。

▼   ▼   ▼

高松琴平電気鉄道@エムサ菌総合研究所 に戻る

2008.2.28 エムサ菌