高松琴平電気鉄道@エムサ菌総合研究所
2005年6月のさよなら運転
( その2 )

 2005年夏に、琴平線に6両の冷房車が京浜急行電鉄から入線するのに伴い廃車となる、 1013形・1053形・1060形・1063形の計6両のさよなら運転が、夏の暑さを前にした 2005年6月25・26日の2日間に行われました。

 1020形引退後 (2004年11月) は予備車となっている1013形や、 朝ラッシュ時の専用車となっていてあまり撮影できなかった1053形・1060形、そして何より 仏生山工場の片隅で全く動かずこれまでカメラに収められなかった1063形が、昼間の通常運用 に入るということで、都合をつけて行ってまいりました。

▼   ▼   ▼

 明けて2005年6月26日、日曜日。
 昨夜のうちに仕入れておいた朝食をホテルの部屋で摂って、いつものことでん詣でよりも 遅い時間に出発、のんびり仏生山に向かいました。

▼   ▼   ▼


2005.6.26 (右)222レ 仏生山

 この日は元阪神車が先の出庫となり、しかも昨日と異なり元阪神・元三岐ともに両運車は 高松築港寄りに連結されていました。 これにより、すべての「顔」を撮影できることになります。

 写真は、仏生山に回送されてきた600形・750形・3000形の長尾線車両4両編成 (左 ) と、出庫後一宮から戻ってきた高松築港行き (前から) 1061+ 1054+1053の元阪神車編成。

▼   ▼   ▼


2005.6.26 (左)219レ(出庫前) (右)22レ 仏生山

 続いて元三岐車の出庫。 今日の組成は、琴平寄りから1015+1016+1063。
 右は1200形1203+1204の2両編成。 同型車が夏に増備され、1013形は引退します・・・。

▼   ▼   ▼


2005.6.26 229レ 栗林公園付近

 昨日の下見結果を踏まえて、昼の一宮往復を栗林公園駅前の踏切で撮影することに しました。 幸いにして柵がなく、同好者もいなかったため、一人自由に撮ることが できました。 しかし日陰がまったくなく、まともに日差しを浴びることになり、暑かった・・・。

 写真は1053を先頭とした、元阪神車3両編成。 かつて地平だった高徳線を越える 築堤を駆け下りてきたところ。 (現在の高徳線は、築堤上のことでんをまたいでいる)
 行先板が通常バージョン (白地に黒文字は、イベント用)。 何故?

▼   ▼   ▼


2005.6.26 32レ 栗林公園付近

 続いて、上り勾配に挑む元三岐車3両編成の高松築港行きを後打ち。 先頭の1063から、吊り掛け モーターのサウンドが響きわたります。

▼   ▼   ▼


2005.6.26 234レ 栗林公園付近

 一宮から戻ってきた元阪神車。 一宮に向かう途中の仏生山で1061を切り離し、2連の身軽 な姿で高松築港に上っていきます。

 貫通扉周りの凹みは幌受けがあった部分です。 幌を使わないときには車体と面一になる ように収納されていたようで、同様の例が京成でも過去見られたそうです。 しかし幌が撤去 された姿は、かなり大柄に見えますね・・・。

▼   ▼   ▼


2005.6.26 231レ 栗林公園付近

 高松築港から戻ってきた元三岐車3両編成。 栗林公園に停車中。 最後尾の1063は、この後 仏生山で開放されます。

 地方の中小私鉄が、車両を自社発注できた頃の時代を感じさせるデザイン。 特に1063形の 側面窓が一段下降式であることも、珍しい存在だと思います。

▼   ▼   ▼


2005.6.26 31レ 栗林公園

 琴電琴平に向かって、栗林公園を発車する1053形。
 高松築港から続く複線区間はここまでで、ことでんではごく普通に 見られるスプリングポイントを渡って単線区間に踏み出していきます。

▼   ▼   ▼


2005.6.26 243レ 仏生山

 1013形営業運転の最後を、仏生山で迎えました。 通り雨が降ってきました。 これは 涙雨なのでしょうか?
 一宮行きとして下ってきた1013形が、朝バトンを受け取った1100形1107+1108にこれより 先の輸送を託します。 1100形の後に、駅員の誘導によって止まります。

 先に入庫していた1053形は、代替の冷房車が入ってくるまでのしばらくの間は朝ラッシュ時 の運用に就くことになっており、それに備えて1070形1071+1072と4両編成を組んで、車庫に 留置されていました。 駅員の後に写っています。

▼   ▼   ▼


2005.6.26 仏生山

 営業運転を終えた1013形。 行先板・ヘッドマークが外され、仏生山駅側線群の 高松築港寄り一番外れに回送されます。
 ヘッドマークステイは、今回の運転のために取り付けられたのでしょうか。 (過去の車両のページに掲載してある2002年12月撮影の画像には確認できない)

▼   ▼   ▼


2005.6.26 太田−仏生山

 このところの所定位置となっていた場所に到着して留置準備中の1013形を、高松築港行き 列車の車内から窓越しに捕らえてみました。
 パンタグラフを畳まれ、貫通路上にいる係員が持っている手歯止め (車輪 止め)と思われる・・・ を取り付けられて、もう走ることはないでしょう。

▼   ▼   ▼

 高松築港で乗ってきた1100形を見送り、今回のことでん詣では終わりとしました。

 某駅職員のお話では、今回のイベントをこの時期にしたのは、走らせるのが非冷房車で 冷房車の到着を受けてからでは遅く、1ヶ月前の時点で雨という予報が出ていたから・・・ と考えたからだそうです。 しかし2日間通して晴れて暑く、その目論見は見事に外れた ようで、他のお客様からの苦情がこないかを、非常に気にかけているようでした。

 今回の非冷房車置き換えにより、琴平線営業車は100%冷房化を達成します。 冷房車は まだかと言われつづけて30年、やっと念願がかなったと、ある従業員は感慨深げに話して くれたのが印象的でした。

 なお、今回さよなら運転されなかった1060形1062ですが、検査を行ったことと、 事業用として、あるいはイベント用として、まだしばらくの間残るそうです。

▼   ▼   ▼

2005年6月のさよなら運転( その1 ) に戻る

▼   ▼   ▼

過去の車両 に戻る

2008.3.1 エムサ菌