鉄道写真いろいろ@エムサ菌総合研究所
京成電鉄のリバイバルカラー車

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 京成電鉄では、2009年に創立100周年を迎えたことを記念して、鋼製塗装車として唯一残っていた3300形のうち4両編成3本に対して 過去の車体塗装である『青電』『(旧)赤電』『(新)赤電』を復刻させました。 その運転期間は特に定めず、100周年が終わった 2010年以降もそのまま通常の運用に組み込まれて走らせてきました。
 しかし、3300形は過去車体更新を行っているものの、製造から約40年、車体更新からも20年ほど経っており老朽化が進んでいる ため、一部は2012年度に3000形3026編成・3027編成(計16両)の導入によって廃車されることとなりました。 リバイバルカラー車は 全3編成とも2012年度の代替の対象となり、2013年3月までに運転を終了、順次廃車されました。

 このページでは、私・エムサ菌が撮った京成電鉄創立100周年記念のリバイバルカラー車の写真を展示してまいります。
 リバイバルカラー車の引退前に京成電鉄ホームページで告知が行われ、最終5日間の運用予定も公表されていたのですが、この時は 私は撮影に行っていません。 それどころか、これまでリバイバルカラー車を撮りに行こうと思って出かけたことはなく、他のネタを 撮るついでに来ればいい程度にしか思っていませんでした。 一方、2010年7月のダイヤ改定時に金町線の運行系統の独立と上野口普通 列車の編成増強が予告されましたが、上野口において金町行きが見られなくなると同時に4両編成列車が激減するのではないか、仮に そうであれば4両編成を組んでいる3500形未更新車や3300形の上野口における撮影機会も激減する・・・ と勝手に予想し、ダイヤ改定 前に車種に関係なく撮影に行きました。 このような経緯があるため、このページで公開している写真のほとんどは2010年6月に撮った ものとなっています。

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青電 (←上野)3356+3355+3354+3353

 緑色の濃淡で塗り分けられた『青電』塗装は、1982年まで都営地下鉄浅草線に乗り入れない車両に塗られていました。 従って、 地下鉄乗り入れ車である3300形には塗られたことが無かったカラーリングです。
 3300形による『青電』の運転は2009年6月30日に開始、2013年2月18日に終了しました。いずれも、リバイバルカラー車のトップを 切っています。

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2010.6.4 お花茶屋

 夕陽を受けて、ホーム途中からカーブを描いているお花茶屋に停車中の『青電』上野行きです。
 後に掲げる『(旧)赤電』と異なりヘッドライトが塗り分け線にかかっていないためか、本来の青電の車体形状とは全く異なるものの それほど不自然さを感じません。

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2010.6.10 お花茶屋

 金町行き『青電』が、緩やかにカーブしたお花茶屋に滑り込む。

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2010.6.10 関屋‐堀切菖蒲園

 荒川橋梁を渡り、綾瀬川橋梁に差し掛かろうという『青電』金町行きです。
 ここの撮影では、鉄パイプを組み合わせたものが欄干として設置されているのと、比較的低い位置に太い電線が渡されていて、 それらをいかに処理するかで苦労しました。

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2010.6.24 堀切菖蒲園

 堀切菖蒲園駅に停車中の『青電』金町行きです。 この駅は背景の高速道路の高架橋がややうるさいものの、京成上野〜京成高砂 間の各駅の中では数少ない「停車中の編成写真を撮るのに恵まれた環境」にあります。 故にここで撮った人も多いのではないで しょうか?

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(旧)赤電 (←上野)3324+3323+3346+3345

 『(旧)赤電』塗装は、窓下のステンレスで縁取りされたミスティラベンダーの帯を境に、下がファイアーオレンジ、上がモーン アイボリーに塗られたもので、1960年の都営地下鉄1号線 (→浅草線) との相互直通運転開始に備えて導入 された3050形で初めて採用され、青電塗装で登場した3000形もこれに塗り替えられたほか、3300形までこの塗装で登場しました。
 しかし3300形が車体更新を受け現在のスタイルに姿を変えた頃には後述の『(新)赤電』塗装になっていたため、これも青電同様 「色だけを再現」したようになっています。
 なお、このカラーリングに対しては(旧)を付けず、単に『赤電』と呼ぶことも多いようです。 後に掲げる『(新)赤電』を、 非公式かつ一部で『炎電』と呼ぶことがありますが、確かに新旧を付けるより簡単で直感的な印象すら覚えます。 従ってこの ページでも、以後は(旧)の文字は省略することとします。

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2010.6.4 関屋‐堀切菖蒲園

 荒川橋梁を渡って上野に向かう『赤電』です。 この橋梁も、架け替えられた押上線荒川橋梁と同じく周囲の地盤沈下が原因で桁下 の余裕が少なく、両岸の堤防も線路の部分だけが低くなっているなど河川航行と治水上の弱点を抱えているため、架け替える計画が あるようです。

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2010.6.4 関屋‐堀切菖蒲園

 上の写真の続きで、側面に陽を浴びて快走する『赤電』上野行きです。 バックの高層マンション群は隅田川沿いに建設されたもの でしょうか?

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2010.6.4 お花茶屋

 夕陽を背に、お花茶屋で客扱い中の金町行き『赤電』。
 3200形『リバイバル開運号』時もそうでしたが、ヘッドライトが腰に降りているにもかかわらずステンレスの飾り帯 (リバイバルカラー車においては、銀色の粘着テープ) は赤電塗装当時と同様に前面幌枠脇まで伸びている ため、塗り分け線が途切れてしまっています。

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2010.6.17 堀切菖蒲園‐お花茶屋

 高架線主体の京成上野〜青砥間において、短いながらも地上を走る区間もあります。 堀切菖蒲園の築堤を駆け下り、お花茶屋への 直線を快走する『赤電』京成高砂行きです。

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2010.6.24 堀切菖蒲園

 『青電』と同様に、形式写真はここで。 堀切菖蒲園に停車中の『赤電』うすい行きです。
 ヘッドライト周りのアレンジはともかくとして、側面は姿が変わっているもののこの塗装も似合っています。

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(新)赤電 (←上野)3312+3311+3310+3309

 1970年代の京成電鉄は、開業が遅れさらに輸送実績もなかなか上がらなかった成田空港新線と、急すぎた副業への投資が原因となって 経営が傾いてしまい、津田沼工場と谷津遊園を閉鎖し跡地を売却するなど立て直しを図っていました。そんな折、車体の塗装工程の 簡略化・コストカットを目的として、従来の赤電車両に対して窓下のステンレス帯はそのままにそれに囲まれた部分をモーンアイボリー とし、その上下をファイアーオレンジで塗りつぶすという『(新)赤電』が現れました。
 グレー地に赤と青の帯を巻いた現在の鋼製塗装車のひとつ前の塗装であり、1990年代まで見られたものでした。 この塗装の時代に なってから3300形の車体更新が行われたため、この塗装とこの車体形状の組み合わせは「重箱の隅つつき」となるような細かな違い があるだけでほぼ間違いはなく、従って違和感もない姿でした。
 先代の赤電と区別する意味を含めて『新赤電』と呼ばれることが多いようですが、ここでは前述の経緯から一部のファンから呼ばれて いる『炎電』と記すことにします。

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2009.12.16 京成上野‐日暮里

 博物館動物園〜堀切菖蒲園間の高架線は、JR山手線などの昭和初期に作られた他社線区間と同様に、高架下が工場や作業場、倉庫 などに使われていました。 近年では耐震補強工事のためか高架下の入居者を退去させ、高架橋がすっきりしてきましたが、日暮里駅 の上野方・JR線をまたぐ直前部分の高架橋に、高架下に入っていたであろうメッキ工場(?)の表書きと思しき表記が残っていました。  工事のため仮囲いがされていますが、3300形の炎電との組み合わせは撮影時期を錯覚する・・・ 人もいるでしょうか?

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2009.12.16 京成上野‐日暮里

 上の写真の反対側 (JR線の車内からも見える側) にも、メッキ工場の表書きが残っていました。 高架線 には青砥方面に向かう『炎電』が写っています。 しかし、背後には日暮里駅前の再開発でできた高層マンションと新しい京成下り線 の高架橋が見えるので、21世紀の写真であることがわかります。

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2010.6.4 京成高砂

 京成高砂駅4番線で発車を待つ、金町行き『炎電』です。 今にして思えば、ひっきりなしに電車が出入りしている京成高砂駅に あって、日中時間帯に金町線が折り返している4番線だけは時間の流れ方がちょっとだけゆったりしていたような気がします。

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2010.6.4 京成高砂‐柴又

 京成高砂駅金町線ホームの分断と金町線単線化により今では金町線内で見られなくなってしまった (と思う) 、 走行中のすれ違いシーンです。
 上野行き『炎電』が走っている線路は、出入庫用として京成高砂駅地上ホームに通じている線路になっていると思います。

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2010.6.17 堀切菖蒲園‐お花茶屋

 私が撮った中では唯一まともな、リバイバル『炎電』の走行写真です。 この頃の炎電は千葉線で稼働する機会が多かったようで、 撮影機会はあまり恵まれませんでした。
 最後に一度、塗装変更時に見られた現塗装車との混色6両編成を見られればよかったのですが、残念でした。

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 ご高覧ありがとうございました。
 例によって自己満足な構成でしたが、いかがでしたでしょうか?

 『炎電』の現役当時の写真は、こちらのページで公開していますので、あわせてご覧 頂けると幸いです。

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2013.3.28 エムサ菌