鉄道写真いろいろ@エムサ菌総合研究所
北総鉄道7260形さよなら運転に寄せて
〜さよなら運転当日の様子〜

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 2006年4月より活躍していた『北総鉄道7260形』8両編成1本が、2015年3月に引退することとなり、3月22日 (日曜日) にさよなら運転が行われました。

 7260形は、京成電鉄3300形・4両編成2本のリースを受け、改装の上登場した車両です。
 北総鉄道には、京成電鉄からのリース車が常に8両編成2本・計16両在籍しています。  1本は比較的新しい3700形を改装し『7300形 (7800番台) 』としてリースを受け長期間使用していますが、もう1本は“赤電”と呼ばれる鋼製車の中でもより経年の高い車両のリースを受けていて、こちらは車両の検査期限が切れる際に廃車し、別の赤電をリース車に充当することで比較的頻繁に代替を重ねながら使用していました。  7260形は、3200形のリースを受けた7250形に代わって前述のとおり2006年4月に登場したのですが、京成では成田スカイアクセス線開業に備えた車両増備を行っていた際、一時的に老朽化した3300形・3500形未更新車の代替新造を停止していたこともあり、7260形は赤電のリース車としては長く在籍していました。
 近年では京成の代替新造が再開され、本家ともいうべき3300形が数を減らしていく中で、7260形の去就も常に注目されるところではありましたが、ついに3300形に続いて7260形も姿を消すことになったのです。  これは、京成の一時代を築いた『赤電』の最期でもあります。

 当初、一般公募により印旛車両基地での撮影会+印西牧の原〜矢切間往復の乗車会というイベントが企画されましたが、その後事前応募なしで誰でも乗車できるさよなら運転が、印西牧の原〜京成上野間の1往復で行われることが追加で決まりました。
 私は、撮影会に応募したものの落選したため、一般乗車可能なさよなら運転に乗ることとして、当日を迎えました。

 ここでは、私がその折に撮った写真をご覧頂こうと思います。  いかんせんカメラがいわゆる『コンデジ』ということもあり、スナップ写真ばかりですが、お楽しみ頂ければ幸いです。

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 さよなら運転当日は北総線の一日乗車券が通用する日で、これを使うのは間違いなく、それならばさよなら運転の始発駅である印西牧の原まで「迎えに行って」全区間乗ろう・・・ ということで、印西牧の原9時06分着の列車に乗って行きました。
 ちょっと出遅れたかな? と思いましたが、幸いにも7260形はまだ入線しておらず、最初から付き合うことができました。

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2015.3.22 印西牧の原

 車両基地を出た7260形は、9時10分ごろ、印西牧の原駅2番線に入線してきます。
 思い思いの場所に待ち構えている人たちが、一斉に視線とカメラを向けています。

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 7260形の発車まで15分ほどあったのですが、上り寄りホーム端の引きがあまり得られず、加えて3番線から撮るとほぼ逆光になること、そしてこれまで線路を挟んで7260形を撮る機会があまりなかったこともあり、床下機器や編成中間など、さよなら運転とはあまり関係ないようなものを中心に撮っていました。  イレギュラーなヘッドマーク類を私があまり好まないことも、あります。

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2015.3.22 印西牧の原

 M2車・7268の山側床下機器を撮ってみました。
 「赤電らしい音」の発生源である、CLG-355B1形電動発電機 (MG) とA-3K-A形電動空気圧縮機 (CP) が見えます。

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2015.3.22 印西牧の原

 続いて、M1'車・7267の山側床下機器を撮りました。
 こちらには、主制御装置や遮断機が見えます。

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2015.3.22 印西牧の原

 7260形は8両編成1本として扱われていますが、外見上は4両編成を2本連結したようになっています。  そこで、中間に組み込まれた先頭車同士の連結部分を撮ってみました。
 奥 (左) が7264、手前 (右) が7265で、両者の台車がそれぞれ異なっているのがお分かり頂けるかと思います。
 これは、京成では車体・電装品のメーカーを1社に絞っておらず、また赤電では電装品や台車などにおいてメーカーによる差異を認めていたこと、そして7260形となった車両はメーカー2社から4両ずつが選定されたため、このようなことになっています。
 なお、3300形は製造年次により台車のマクラバネが空気バネのものとコイルバネのものがありますが、7260形はどちらも空気バネ車が充当されています。  京成では、空気バネ車とコイルバネ車の併結運転を積極的には行っていなかったようです。

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 3番線で撮影しているうちに、3番線に回送列車が入ってきました。  印旛車両基地を出庫し、印旛日本医大駅に回送される列車ですが、これがために線路を挟んで7260形を撮ることができなくなったため、下り方ホーム端まで行ってみました。

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2015.3.22 印西牧の原

 下り回送列車は7300形7808編成で、リース車同士の並びとなりました。
 7801の青帯の剥がれが、ちょっと気になります。

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2015.3.22 印西牧の原

 あんまりノンビリ撮影していて乗り遅れてしまっては元も子もないので、2番線に移動しました。  しかしまだ5分ほどあったので、2番線側からもリース車同士の並びを収めました。
 進行方向後ろ側となるこちらで撮影している人は、思いのほか少なかったです。
 運行番号表示が『01N』になっています。  臨時列車なので、てっきり『99N』になるものだと思っていて、これはいわばネタなのか・・・ と思っていましたが、北総鉄道の中の人に聞いてみたところ、実際に『01N』でダイヤが設定されていたそうです。  従って、列車番号は上りが『900N』、下りが『1001N』ということになります。

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2015.3.22 印西牧の原

 普段では絶対に表示されない、『特急 京成上野』のホーム発車案内表示も、撮っておきました。
 成田スカイアクセス線開業を前に、発車案内表示器の代替を進めていたようですが、ここでは旧タイプのものが使われていました。

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2015.3.22 7264車内

 それなりに撮影を終え、7260形に乗り込みました。
 そしてまず、中間に組み込まれた運転台を撮ってみました。  数年前に編成中間の貫通扉が交換され、種別幕の表示窓が消えたことは把握していましたが、ATSがどうなっているのかは確認していなかったため、見ておきたかったのです。
 『ATS開放』の表示灯はあるものの、制限速度を示す表示器が無いので、中間運転台にはC-ATSが設置されていないようです。  7260形の前のリース車である7250形は8両貫通編成だったので、やはり最初から8両固定編成としてのみ使うつもりでいたことが伺えます。
 ちなみに、北総線の定期列車で4両編成が見られたのは、平日の朝ラッシュ時に運転されていた西白井〜矢切間の区間列車が最後で、2001年9月のダイヤ改正以前の話ですから、古い話ではあります。  さらに余談を重ねると、普段この区間列車には7050形が充当されていましたが、9100形9128編成は導入直後の1週間ほど、この区間運転に充当されて足慣らしを行っていました。

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 今回のさよなら運転は、事前の告知のとおり印西牧の原〜京成上野間の『特急』として運転されました。  通常の特急列車は青砥から押上方面に向かいます。  そしてアクセス特急通過駅と上野方面とを直通する列車は存在しないので (高砂で行先変更を行い、結果的に上野から北総線へ直通する列車は、現行ダイヤでは毎日夜の下りに1本ある) 、乗っていて新鮮でした。
 編成中間に乗っていた私が見た印象では、北総線内の乗車率は概ね座席定員程度だったでしょうか?  もちろん、7260形目当てに乗っている人が大多数でしたが、京成線内では特に狙わずに来た列車が7260形だったから乗ったという体の一般客も加わり、高砂〜日暮里間は空席にありつけなかったが故の立ち客が何人もいました。
 ダイヤは、新鎌ヶ谷でスカイライナーの退避を行ったものの、全区間で“スジが立って”いて、快調に飛ばしておりました。  そして、臨時列車だというのに千住大橋で先行する普通列車 (3000形6両編成) を追い抜いたのは、痛快でした。

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2015.3.22 京成上野

 上野での折返しは7分しかないこともあり、落ち着きのないまま過ぎていきました。  私も、普段見られない『上野に北総車が入った』シーンを残そうということで、駅名標と一緒に7260形を写しましたが、これだけで終わってしまいました。

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 下り列車は、京成線内では上りとはうって変わって“スジが寝て”いて、先行する普通列車を追い抜くでもなく、後続の優等列車に抜かれるでもなく、のんびり走っていました。
 そんな中、堀切菖蒲園駅先の踏切で停止信号が出たとかで、非常停止したこともありました。  一旦停止後、安全が確保されたということですぐ走り出したので、何かが“障検”に引っかかったのかな?  と思いましたが、堀切菖蒲園2号踏切に制服姿の京成従業員の姿を見たので、あるいは非常停止ボタンを押されたのかもしれません。
 件の踏切を過ぎるとノッチオン、何事もなければソロソロと通過していたであろうお花茶屋は、ノッチを入れっ放しで通過していました。  それでも、青砥の手前で待たされました。

 今回のさよなら運転は、北総サイドの都合によるものではありますが、京成線内での車内放送で、7260形がこの日限りでの引退となる旨の告知がされ、また「最後の走りをお楽しみください」といった一節まで付け加えられていました。  やはり、赤電最後の運転ということもあって、京成サイドも何か思うところがあったのでしょう。

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 矢切では、後続の普通列車とスカイライナーを先に通すため、12分ほど停まりました。  しかも、特急という種別・案内の関係からか、扉が開かない『運転停車』扱いとなっていました。

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2015.3.22 矢切(7260形車内より)

 7260形が待避線に入り、後続の普通列車を先に通します。
 ホームの発車案内表示には、『特急 11:00 印西牧の原』と出ていました。  本来、特急は通過しますから『通過』としか表示されないはずですが、この特急は「通過しない」ためにこのような表示となったのでしょうか?  冷静になって考えてみると、謎が深まるばかりです。

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2015.3.22 矢切(7260形車内より)

 続いて、スカイライナーを先に通します。

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 私は、下り列車でも編成中間付近に乗っていたのですが、撮影会に向かう人もこの列車に乗っていたようで、車内は明らかに上り列車よりも混んでいました。  東松戸・新鎌ヶ谷から乗ってくる人もいて、乗車率は上がる一方です。  新鎌ヶ谷発時点での私の目測では、ラッシュピーク並とは言わないまでも、ピークサイドの列車の混み具合に近いのではないか・・・ と思いました。  中間車でこんな具合ですから、きっと先頭車の前寄りはラッシュ並の乗車率だったことでしょう。  そして混雑のためか、矢切を発車した下り列車は北国分の先のトンネル出口まで長く緩い勾配を登るのですが、7260形の足取りは重いように感じられました。
 また、各停車駅ではホームで待ち構えて撮影してから乗る人もいて、停車時間が伸びる傾向にあったようです。  結果、矢切は定時発車だったものの、印西牧の原着は数分程度遅れていました。

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2015.3.22 印西牧の原

 私にとっての最後の乗車機会が終わり、印西牧の原に到着。  到着後、客が降りてドアが閉まるまでの短い間を狙って、私が座ってきた座席を撮りました。  さすがに、車内の全景は撮れませんでした。

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2015.3.22 印西牧の原

 いわゆる北総特急は、上り方面の都営線直通列車に見られるのみです。  加えて、現行ダイヤにおける京急線内では『快特』または『エアポート急行』となっており、やはり北総線行の特急は見られないため、『特急・印西牧の原』の表示は貴重です。
 それを知ってか、この表示を撮るために群がる人は多くいましたが、私は「幕だけ撮るのも芸が無い」と思って、車内も見えるようにして撮りました。

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2015.3.22 印西牧の原

 7265の南方山側妻面に見られる、銘板類です。
 自重を示す銘板が一部削り取られているのは、冷房改造による自重の変更によるのでしょうか?
 ちなみに7265の車歴としては、京成モハ3313として1968年11月20日に竣工し、冷房改造は1986年7月31日、更新修繕と台車の前後振り替えは1990年4月28日に、それぞれ行われました。  竣工から46年、更新修繕からでも24年経っています。  『東京 汽車會社 昭和43年』の製造銘板が、長く活躍してきた誇りのように見えてきます。

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2015.3.22 印西牧の原

 2番線に移動し、撮りに回りました。
 まずは下り列車の先頭付近に行ってみましたが、どちらのホームも御覧のような人だかりで、短時間のうちに入り込んで撮影後速やかに離脱するような余地はなさそうでした。

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2015.3.22 印西牧の原

 影が気になるものの、光線状態は悪くない・・・ ということで、形式写真も撮っておこうと思いましたが、やはり先頭付近に入り込めないために、7261に関しては後ろから撮りました。  車両は7261。

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2015.3.22 印西牧の原

 7262。  軸バネに板バネを併用した、住友金属製FS-361A台車が、とてもどっしりしているように見えます。

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2015.3.22 印西牧の原

 撮影途中で、7260形はあと15分ほど留め置くということを知ったので、2番線下り方ホーム端の群衆に入り込んでみましたが、こんな写真が精々でした。  それでも、規制線が張られていたため、まだ平和と言えるような状況と見受けられました。

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2015.3.22 印西牧の原

 乗車前と同じように、床下機器も撮ってみました。  M1'車・7267の海側です。
 どこの会社でも抵抗制御車の廃車が進んでいる昨今、床下に抵抗器が並んでいるのを見る機会は減ったものです。

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2015.3.22 印西牧の原

 M2車・7268の海側床下機器。  こちら側は、『四角い』機器類が並んでいます。

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2015.3.22 印西牧の原

 M2車海側北寄り台車の横にあるMG抵抗器は、京成では黄色く塗られていて、アクセントになっています。
 この車両の台車は汽車会社製KS-121Aで、やや小ぶりな18m級の車体には似合っています。

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2015.3.22 印西牧の原

 7260形をじっくり眺めることは意外になかったのでこれまでなかなか気づきませんでしたが、車体外観はそこここに痛みが見られ、老朽化が進んでいることを嫌が応にも感じさせられました。

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2015.3.22 印西牧の原

 撮影会参加者を乗せて矢切まで一往復走るのは撮影会の後だと聞いたため、改札を出て駅の南側から眺めてみました。
 下り列車の最後部であるこちら側は、先頭部ほどの人だかりはありませんでした。
 そして12時ちょうど、撮影会参加者を乗せた7260形は、印旛車両基地へと向かっていきました。

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 さて、撮影会参加者を乗せて矢切まで一往復する列車は、どこで撮ろうか・・・ と考えました。  撮影会前に走るのであれば、移動時間が少ないため松飛台か北国分のホームで・・・ と思っていましたが、どうやら1時間半ほど余裕がありそうだということで、駅間で撮ることにしました。  駅間と言っても、掘割と高架とトンネルばかりの北総線内で撮れそうなところは限られ、また勝手知ったるところはもっと限られます。

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2015.3.22 新鎌ヶ谷−西白井

 結局、上り列車は行き慣れた近所の陸橋上で撮ることにしました。
 わかりにくいですが、運転台背後の側窓から手を出している人間がいます。  沿線 (駅間) では、線路脇の県有地(?)に公然と立ち入り撮影している人物も多くいて、一部マナーの悪い人間が目立つこととなりました。  一方で各駅においては、ホーム端に規制線が張られて立ち入りが禁止されたり、三脚・脚立使用が禁止されるなどしたようで、駅間よりもマナーが良く平和だったようです。
 ちなみに、この列車の運行番号表示も『01N』でした。

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2015.3.22 新鎌ヶ谷−西白井

 貸切列車の行先は無表示で、種別は『臨』と、面白みに欠けるというのが私の感想でした。
 2枚付いているヘッドマークが写真では小さく映ることになってわかりづらいのもありますが、戻ってくる下り列車の前面が逆光になってしまいます。  そこで、陸橋から線路南側を西白井駅方向に少し進み、中木戸公園の木立をバックに側面を撮ることにしました。
 ほぼ真横の流し撮りは普段あまりせず、またデジカメのバッテリー残量が極めて厳しかったこともあり、ぶっつけ本番での撮影となりました。  上に載せている画像はサイズを小さくしているのでバレにくいのですが、原盤は列車が微妙にぶれています。

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 この日の入手品たちです。 左上・・・記念乗車券。 右上・・・撮影会落選通知はがき。 左下・・・京成『下町日和 きっぷ』。 中下・・・北総『一日乗車券』。 右下・・・乗車証明書。
 数年前にやっていた、北総一日乗車券と下町日和きっぷのセット販売は今回行われていなかったので、7260形に乗る前に高砂まで“下町日和きっぷを買いに”行っていたのでした。
 記念乗車券は、地元の駅では早々に売り切れていましたが、上野まで一往復のさよなら運転に乗った後、印西牧の原で無事に買えました。  購入希望者の列が無くなりかけたタイミングで、残り50枚程度でした。  券面の印刷は文字がかすれ気味で、あまりきれいではないです。
 乗車証明書は、券番が“7260”で、おっ! と思いましたが、すべての券番が7260だったらしいです。

 なお、さよなら運転後は「どうせ切符があるんだから」と、秋葉原まで往復しました。  そのため、この日は地元駅から高砂までの北総線を3往復、高砂〜上野は2往復したことになります。
 秋葉原からの帰り、北総線内では7500形に乗りましたが、矢切から北国分にかけての上り坂での走りは、7260形とは比べ物にならないほど鋭いものがありました。  7260形はたまに乗る分には楽しい車両ではあったのですが、もう走り続けるのは無理だったんだなぁと、思ってしまいました。  しかしながら、重大な故障を起こして走れなくなり、イベントも何もなく廃車・・・ とはならなかったのは、せめてもの救いと言えましょうか。

 北総鉄道の公式発表によれば、さよなら運転の往路は約600名、復路は約1100名の乗客がいたそうで、特に復路の車内が混んでいたのは納得でした。
 私は勝手に、22日にさよなら運転を行いつつ31日の朝ラッシュまで使いつぶし、31日日中に宗吾参道へ回送されるんだろう・・・ と思っていましたが、既に触れたようにさよなら運転の車内で「7260形はこの日限り」と告知されていたので、単なる希望的観測に過ぎなかったようです。  それどころか、さよなら運転の翌日である3月23日の日中に、解体のため宗吾車両基地に向けて回送されたそうです。 

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 こちらのページでは、7260形がごく普通に走っていた頃に撮った写真をまとめてみました。
 併せてご覧いただければ、幸いです。

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2015.3.28 エムサ菌