首都圏でも屈指のターミナル駅である横浜駅を起点とし、神奈川県の県央に向かって路線を伸ばしている相模鉄道は、高度経済成長期に沿線の都市化が急速に進んだことから輸送量・輸送力とも増大し、その結果中小私鉄から大手私鉄へ格上げされたという唯一の経歴をもっています。
また首都圏の大手私鉄の中で唯一東京都心へ路線を伸ばしていない会社でもあり、沿線はベットタウンが広がり観光的な要素が無いこともあって神奈川県民以外には馴染みが薄い私鉄ではありますが、輸送効率・輸送密度で見ると全国の大手私鉄のなかでも上位にあるという実力派で、地元では相模鉄道という正式名称より『相鉄線』という愛称のほうが通じやすいという点では地域に密着した鉄道と言えるでしょう。
私はこの沿線で幼少期より成人後までの20年近くを過ごしました。 自宅があったのは駅からバスを利用した地区だったため、相鉄線の利用機会はそれほど多くなかったのですが、1991年以降はそれまでと
比べて頻繁に利用するようになり、特に1995年の前後2年は利用頻度が特に高く印象も強く残っています。
つい思い出話が長くなってしまいました。 ここでは、私が所有する相模鉄道の車両の模型について、思うがままに書き込んでまいります。 |
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2016年10月1日に鉄道コレクションの事業者限定品として発売されたものを、新造直後の9704×10の姿を再現させるべくN化整備を行いました。 9000系は、個人的には相鉄で最上の車両だと思っていたので、その旧塗装車が鉄コレで製品化されると聞いて、色めき立ちました。そして塗装を伴う工作が無かったこともあって、私としては『購入後約10日』という異例の早さでN化整備を一応完了させました。
製品のエムサ菌的レビューとしてはこちらのブログ記事をご覧頂くとして、造形は素晴らしく、3両セットとなって10両編成を組む際の無駄が少なくなっていること、車体に貼付されたロゴマークがステッカー対応となっていることなど、マニヤには嬉しい商品構成となっています。 Nゲージとして走らせられるようにするため、購入後約10日のうちにN化整備を行いました。 その詳細はこちらのブログ記事をご覧頂くことしますが、その際にVVVFインバータ装置やコンプレッサーなど、一部の床下機器をGMパーツに交換しました。 しかし、製品のままとしていたカプラーが原因とみられる列車分離が頻発する事態に見舞われました。
2017年夏、列車分離事案に対する抜本的な解決策として、カプラーを撤去し自作のドローバーに換装しました。 これにより、ようやく走らせることができるようになりました。
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2013年1月にマイクロエースより発売されたもので、商品名としては『相鉄8000系・シングルアームパンタ』、品番はA-8374 (6両基本セット) とA-8375 (4両増結セット) で、プロトタイプは8702×10の編成の“製品化時点における、最近の姿”となっています。 8000系は、1995年当時9000系とともに毎年増備が進められていたこともあって、見かけたり乗ったりの機会も必然的に多く、やや面白みに欠ける形式という認識でいたのは事実です。 しかし、その頃の相鉄線を再現する上ではやはり外せない形式だということで、若干仕様が異なるものの買いました。 製品のエムサ菌的レビューとしては、こちらのブログ記事に写真入りで載せたので詳細はそちらをご覧頂くこととして、側面扉のフレームや窓の外枠の凸モールドが大袈裟、屋根の色が明るい、アルミ部分のシルバーがラメっぽい・・・ など気になる点はあり、このようなマイナーなネタを製品化するということも含めて、良くも悪くも「マイクロエースここにあり」といった感じです。
前述のように2012年頃の姿を再現しているため、1995年当時の姿とは細かなところで違ってきていますが、ひょんなことをきっかけとしてそれらについて手を加えることとなり、2017年夏に実施しました。
時代適正化工作を行ったものの、屋根の色など不満な点はなくなったわけではありません。 |
2014年4月に発売された、事業者限定品の鉄道コレクション『相鉄モニ2000形』をN化整備したものです。 月に1回の架線検測を主な任務とする“事業用車”で、運転機会は少なく不定期でそのダイヤも部外者にはわからない、いわば“謎の列車”ですが、私は本線走行中のこの列車を2回ほど見たことがあり (イベントに関係する本線回送の機会を除く) 、これも外せないということで買いました。
N化整備は、施工順に付属パーツの取り付けとパンタグラフの仮整備、動力ユニットとカプラーの整備、車番入れとパンタグラフの銀色化と3回にわたって行いました。
詳細はそれぞれのブログ記事をご覧頂くこととして、カプラーはTNカプラーですが『インチキボディマウントタイプ』で、パンタグラフはTOMIX・0224『PS13』に対して銀色に塗装したもの、車番は製品付属のステッカーを貼っています。
元が鉄コレですから、塗装の塗りや色味、2023屋根上のサーチライトはモールドすらない・・・ といったところに不満が無いわけではありませんが、このテの車両は金属キットの領域だと考えていたので、手軽に楽しめるようになったという点では非常にありがたい存在です。
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相模鉄道創立90周年記念として、6000系新塗装車とともに鉄道コレクションの事業者特注品として2008年2月に発売されたものです。
そして6000系ともども、私の鉄コレの「N化整備」施工第1号です。 鉄コレを見るにあたって、どうしても塗装の具合に目が向いてしまいます。 5000系では曲面部分を中心に塗り分け線の乱れが見られますが、複雑な車体形状や塗り分けが細かいことを考えるともっと乱れていてもおかしくなく、また個体差が激しいこともあるので、私が買った個体に関しては上出来と言える仕上がりでしょう。 それよりも前面サボのモールドが横に少し大きいようで、写真で見た印象とちょっと違う気がします。 私は5000系を2個、計4両買いました。 N化整備にあたっては、2両は製品のモデルとなった18m級車体・KH-22台車装備の『3次車 (5011〜5016) 』から5011+5012とし、残る2両は18m級車体にKBD-108台車 (枕バネ改装後) を装備した『2次車 (5005〜5010) 』から5005+5006としました。 どちらも厳密な特定番号車とは考えず、動力ユニットは5005に装着させることにして、整備に着手しました。
台車は、5011+5012は製品のまま、5006はグリーンマックス (GM) ・5029-1「TR62(JR東海)」に履き替え (センターピンは鉄コレ台車のものを使用) 、動力車とした5005にはトミーテック製動力ユニット・TM-06を装着し、その台車枠にはTM-08に付属している「DT21台車枠」を使用しました。 DT21台車については外側のブレーキテコ・ブレーキシューを切り落としてKBD-108台車に似せていますが、ブレーキシリンダーの撤去は行なっていません。
TR62は外から見えるブレーキ関係機器がなくDT21との違いが余計に目立つため、台車形式をTR69に揃えるべきでした。
金属車輪・カプラーポケット・ウエイトにはトミーテック・TT-04『走行用パーツセット』を用いましたが、アーノルドカプラーのみKATO・11-707『KATOカプラーN』に換装、その際カプラー底面を少し削った上で組み込んでいます。
スペーサーは『短』を基本としていますが、GM製台車のカプラー突き出し長さが鉄コレ台車より1.5mm短く半径280mmの曲線通過が怪しいので、5011の運転台側と5005の連結面側の台車のスペーサーを短より2mm長い『長』としました。
これでも数値上0.5mmの差が生じますが、走らせてしまえばまずわからないと思われので、そのままにしています。 (数値はいずれも「おおよそ」) 。
車番は車体に印刷されておらず、付属のシールでの対応となっています。
試しに貼ってみたもののシールであるのが丸わかりで、車体の色が濃いのに加えて文字の色が悪く印刷もきれいではなくて読めないため、GM・京急新600形塗装済みキットに付属しているインレタ (分売品) を転写しました。
インレタの転写経験が少ないことに加えてツギハギしながらの転写となったので、位置が揃っていないなど見苦しい点もありますが、付属のシールに比べれば出来はいいかな? などと自画自賛しています。
床板の付け外しの際、車体形状と断面寸法の兼ね合いからか側板が非常に薄く破いてしまう (「割る」ではない) のではないかとハラハラしたり、床下機器が車体と面一のカバーとなっているので車体を広げにくく少し手間取りました。
また一連の床板付け外しを終えて、一部車両の外板が波打ってしまったような気がするのと、車番入れの際に位置合わせに使ったセロファンテープによって5005の車体裾の塗装が若干剥がれてしまったようです。 |
どちらも鉄道コレクションの事業者特注品をN化整備したものです。 2008年2月に発売された新塗装車は、発売当時マイクロエースからの製品化発表がなされる前だったために「私の記憶にある相模鉄道」をがっつり再現させるツールとして必要な数を買い、N化整備は考えていませんでした。 しかしがっつり計画が変わって2両が宙に浮いてしまったため、N化整備対象車に加えることにしたという経緯があります。 2009年2月の5000系さよならイベントに合わせて発売された旧塗装車は、最初からN化整備して5000系と並べるつもりで4両買いました。 モデルとなっているのは、6000系の最初期に製造されたディスクブレーキを装備しない先頭車ばかり20両 (6001〜6010、6501〜6510) です。 全体的にあっさり、すっきりとまとまっていますが、窓パーツ側に再現された側面の2連窓の間柱が細い上に銀色に塗装されていることと、連窓間柱側の縦サッシがなぜか再現されていないところが、すっきりしすぎているように感じてしまいます。 また、前面の窓が僅かに大きいようにも見えます。 さらに、旧塗装当時から存在していた側面種別表示窓がシール対応となっていて、Hゴムのモールドすらないのは実に惜しいところです。 台車が5000系と同じKH-22となっているのは、止むを得ないところでしょう。 N化整備を行う上で、車番は旧塗装車は6001+6501・6003+6503、新塗装車は6008+6508としましたが、例によって特定車番ではありません。 雑誌の写真や記事によれば、塗装変更途中だった1975年頃の編成両数は昼間の一部列車に4両があった以外は6両以上だったそうなので、動力ユニットはとりあえず6003にのみ入れました。 連結器は組み替えに備えて統一しています。
N化整備の具体的な方法・要領は、基本的に5000系と同様です。
車番と前面行先表示幕は5000系と同様としました。
前面と旧塗装車側面に関しては車番を入れる位置の割り出しは比較的容易でしたが、新塗装車側面は高さ方向のガイドとなるようなものがなく、全体的に高すぎたようです。
いずれの場合もツギハギで転写したため左右方向の位置や文字の間隔がバラバラで、窓間柱を基準にすると中心がずれているのがよくわかるので、技術の習得が課題ですね。
シールに収録されている側面の種別表示幕は、Hゴムの縁にぴったり合わせて切らないと車番以上に汚く見え、その作業、特にR部分の切り出しが極めて困難に思えたこと、シールの質が相変わらずだったため、新塗装車にはエラーになるのを承知で省略しました。
前述のとおり1975年頃の姿を少し参考にしつつN化整備しましたが、この時点では先頭車だけで組んだ編成がなく、また時代的に5000系とのマッチングも微妙なので、もう少し時代を遡らせることも考えるかもしれません。
その場合、新塗装車の処遇を考える必要がありますが・・・。
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