相模鉄道の車両
Nゲージの間@エムサ菌総合研究所

 

 首都圏でも屈指のターミナル駅である横浜駅を起点とし、神奈川県の県央に向かって路線を伸ばしている相模鉄道は、高度経済成長期に沿線の都市化が急速に進んだことから輸送量・輸送力とも増大し、その結果中小私鉄から大手私鉄へ格上げされたという唯一の経歴をもっています。  また首都圏の大手私鉄の中で唯一東京都心へ路線を伸ばしていない会社でもあり、沿線はベットタウンが広がり観光的な要素が無いこともあって神奈川県民以外には馴染みが薄い私鉄ではありますが、輸送効率・輸送密度で見ると全国の大手私鉄のなかでも上位にあるという実力派で、地元では相模鉄道という正式名称より『相鉄線』という愛称のほうが通じやすいという点では地域に密着した鉄道と言えるでしょう。

 私はこの沿線で幼少期より成人後までの20年近くを過ごしました。 自宅があったのは駅からバスを利用した地区だったため、相鉄線の利用機会はそれほど多くなかったのですが、1991年以降はそれまでと 比べて頻繁に利用するようになり、特に1995年の前後2年は利用頻度が特に高く印象も強く残っています。
 当時は大手私鉄になっていたとはいえ中小私鉄の雰囲気がまだ色濃く残っており、車両も直角カルダン駆動やアルミ車体、制動表示灯など独特の設計や装備品を備えたものばかりでした。  それが20年近く経った今ではJR東日本に乗り入れて東京都心方面への直通運転を行うための各種工事を進め、車両もそれに備えてJR東日本と設計を共通とした車両が走り回っています。  沿線風景も開発が進んだり一部では再開発も行われ、雰囲気が大きく変わっているようです。  一方で少子高齢化の影響か朝ラッシュピーク時の運転本数が減り、車両保有数も減っていて、輸送量が増える一方だった20年前の姿しか実感がない私にとってはちょっと複雑な印象を抱くところはあります。
 Nゲージをやっている私が転居という形で沿線から離れ、その後の変化が激しいとなると、「記憶にある」相鉄線を模型で残したいという思いが強くなってきました。  それまでは中小私鉄の模型が発売されるのは稀で、国鉄型の使えそうなGMキットを種に改造するか全自作するかしかなかったのですが、この10年ほどで私鉄を得意とするメーカーやサークルが出てきたり『鉄道コレクション』が現れて、相鉄線を模型を楽しむ上でのハードルのようなものが低くなってきました。

 つい思い出話が長くなってしまいました。 ここでは、私が所有する相模鉄道の車両の模型について、思うがままに書き込んでまいります。
 なお、鉄道コレクションの記事にある『N化整備』とは私が勝手に名づけたもので、Nゲージの線路で走らせられるよう動力ユニットを入れ、車輪やパンタグラフもNゲージで使われているものと同じものに交換する・・・ といった工作のことを言います。

★ミ ★ミ ★ミ ★ミ ★ミ

9000系 9704×10
相模鉄道9000系  2016年10月1日に鉄道コレクションの事業者限定品として発売されたものを、新造直後の9704×10の姿を再現させるべくN化整備を行いました。
 9000系は、個人的には相鉄で最上の車両だと思っていたので、その旧塗装車が鉄コレで製品化されると聞いて、色めき立ちました。そして塗装を伴う工作が無かったこともあって、私としては『購入後約10日』という異例の早さでN化整備を一応完了させました。

 製品のエムサ菌的レビューとしてはこちらのブログ記事をご覧頂くとして、造形は素晴らしく、3両セットとなって10両編成を組む際の無駄が少なくなっていること、車体に貼付されたロゴマークがステッカー対応となっていることなど、マニヤには嬉しい商品構成となっています。
 鉄コレにおける懸念材料である塗装は、赤帯はおおむね綺麗に再現されているものの、地色のグレーがアイボリーと言えるような明るさとなっていて、実車の9701×10の登場時の色のようにも見えなくもないです。しかし、模型として見るとそれほど違和感が無く、華やかさすら感じるから不思議です (もっとも、実車と同様のグレーを模型に再現しようとすると、いろいろ難しいのかもしれない)

 Nゲージとして走らせられるようにするため、購入後約10日のうちにN化整備を行いました。 その詳細はこちらのブログ記事をご覧頂くことしますが、その際にVVVFインバータ装置やコンプレッサーなど、一部の床下機器をGMパーツに交換しました。 しかし、製品のままとしていたカプラーが原因とみられる列車分離が頻発する事態に見舞われました。

 2017年夏、列車分離事案に対する抜本的な解決策として、カプラーを撤去し自作のドローバーに換装しました。 これにより、ようやく走らせることができるようになりました。
(掲載開始日 2016.10.13、最終更新日 2017.11.28)

★ミ ★ミ ★ミ ★ミ ★ミ

8000系 8702×10
相模鉄道8000系  2013年1月にマイクロエースより発売されたもので、商品名としては『相鉄8000系・シングルアームパンタ』、品番はA-8374 (6両基本セット) とA-8375 (4両増結セット) で、プロトタイプは8702×10の編成の“製品化時点における、最近の姿”となっています。
 8000系は、1995年当時9000系とともに毎年増備が進められていたこともあって、見かけたり乗ったりの機会も必然的に多く、やや面白みに欠ける形式という認識でいたのは事実です。  しかし、その頃の相鉄線を再現する上ではやはり外せない形式だということで、若干仕様が異なるものの買いました。

 製品のエムサ菌的レビューとしては、こちらのブログ記事に写真入りで載せたので詳細はそちらをご覧頂くこととして、側面扉のフレームや窓の外枠の凸モールドが大袈裟、屋根の色が明るい、アルミ部分のシルバーがラメっぽい・・・ など気になる点はあり、このようなマイナーなネタを製品化するということも含めて、良くも悪くも「マイクロエースここにあり」といった感じです。

 前述のように2012年頃の姿を再現しているため、1995年当時の姿とは細かなところで違ってきていますが、ひょんなことをきっかけとしてそれらについて手を加えることとなり、2017年夏に実施しました。
 『時代適正化工作』と称したこの工作では、『SOTETSUロゴマーク』『号車札』『弱冷房車』『女性専用車』『車椅子スペース』などの印刷の消去、側面種別表示窓の復活、先頭車前面寄り屋根上のアンテナ除去、パンタグラフ換装、編成端のダミーカプラーの黒色化を行いました。 こちらのブログ記事をご覧頂けると幸いです。

 時代適正化工作を行ったものの、屋根の色など不満な点はなくなったわけではありません。
 それでも、手を付けていなかったころと比べれば、私が知っている8000系の姿にはなったかな? と思っています。
(掲載開始日 2013.4.29、最終更新日 2017.11.28)

★ミ ★ミ ★ミ ★ミ ★ミ

モニ2000形 モニ2005・2019・2023
相模鉄道モニ2000形  2014年4月に発売された、事業者限定品の鉄道コレクション『相鉄モニ2000形』をN化整備したものです。
 月に1回の架線検測を主な任務とする“事業用車”で、運転機会は少なく不定期でそのダイヤも部外者にはわからない、いわば“謎の列車”ですが、私は本線走行中のこの列車を2回ほど見たことがあり (イベントに関係する本線回送の機会を除く) 、これも外せないということで買いました。

 N化整備は、施工順に付属パーツの取り付けとパンタグラフの仮整備動力ユニットとカプラーの整備車番入れとパンタグラフの銀色化と3回にわたって行いました。  詳細はそれぞれのブログ記事をご覧頂くこととして、カプラーはTNカプラーですが『インチキボディマウントタイプ』で、パンタグラフはTOMIX・0224『PS13』に対して銀色に塗装したもの、車番は製品付属のステッカーを貼っています。
 なお、床下機器は旧型国電のパーツがそのままあてがわれているため、一部機器の形状や配置が異なりますが、こちらはとりあえずそのままとしています。  3両中少なくとも1両は旧国由来ではない電動発電機を装備していた記憶があるのですが、私が撮った実車写真ではそのあたりの判断ができず、こだわる割にはエラーがあるという結果になりそうだったためです。
 また、実車が本線走行する際は“試”の円い表示板を編成前後に掲げていて、鉄コレのステッカーにも収録されているものの、これの装着は省略しました。  それは、連結順序変更の際の付け替えを考慮しステッカーをプラ板に貼ったうえで円くカットしようと試みたものの失敗し、デコボコのステッカーを貼るくらいだったら現状ではいっそ貼らないほうがマシだと思えてきたためです。

 元が鉄コレですから、塗装の塗りや色味、2023屋根上のサーチライトはモールドすらない・・・ といったところに不満が無いわけではありませんが、このテの車両は金属キットの領域だと考えていたので、手軽に楽しめるようになったという点では非常にありがたい存在です。
(掲載開始日 2015.5.6)

★ミ ★ミ ★ミ ★ミ ★ミ

5000系 5005+5006・5011+5012
相模鉄道5000系  相模鉄道創立90周年記念として、6000系新塗装車とともに鉄道コレクションの事業者特注品として2008年2月に発売されたものです。  そして6000系ともども、私の鉄コレの「N化整備」施工第1号です。
 鉄コレを見るにあたって、どうしても塗装の具合に目が向いてしまいます。  5000系では曲面部分を中心に塗り分け線の乱れが見られますが、複雑な車体形状や塗り分けが細かいことを考えるともっと乱れていてもおかしくなく、また個体差が激しいこともあるので、私が買った個体に関しては上出来と言える仕上がりでしょう。  それよりも前面サボのモールドが横に少し大きいようで、写真で見た印象とちょっと違う気がします。

 私は5000系を2個、計4両買いました。 N化整備にあたっては、2両は製品のモデルとなった18m級車体・KH-22台車装備の『3次車 (5011〜5016) 』から5011+5012とし、残る2両は18m級車体にKBD-108台車 (枕バネ改装後) を装備した『2次車 (5005〜5010) 』から5005+5006としました。  どちらも厳密な特定番号車とは考えず、動力ユニットは5005に装着させることにして、整備に着手しました。

 台車は、5011+5012は製品のまま、5006はグリーンマックス (GM) ・5029-1「TR62(JR東海)」に履き替え (センターピンは鉄コレ台車のものを使用) 、動力車とした5005にはトミーテック製動力ユニット・TM-06を装着し、その台車枠にはTM-08に付属している「DT21台車枠」を使用しました。 DT21台車については外側のブレーキテコ・ブレーキシューを切り落としてKBD-108台車に似せていますが、ブレーキシリンダーの撤去は行なっていません。  TR62は外から見えるブレーキ関係機器がなくDT21との違いが余計に目立つため、台車形式をTR69に揃えるべきでした。

相模鉄道5000系・台車とカプラー突き出し長さの差異  金属車輪・カプラーポケット・ウエイトにはトミーテック・TT-04『走行用パーツセット』を用いましたが、アーノルドカプラーのみKATO・11-707『KATOカプラーN』に換装、その際カプラー底面を少し削った上で組み込んでいます。  スペーサーは『短』を基本としていますが、GM製台車のカプラー突き出し長さが鉄コレ台車より1.5mm短く半径280mmの曲線通過が怪しいので、5011の運転台側と5005の連結面側の台車のスペーサーを短より2mm長い『長』としました。  これでも数値上0.5mmの差が生じますが、走らせてしまえばまずわからないと思われので、そのままにしています。 (数値はいずれも「おおよそ」)
 パンタグラフは当初5005・5011ともにTOMIX・0238『PG16』を載せていましたが、2013年4月にGM・80-1『PS16 (旧仕様品) 』に載せ替えました。

 車番は車体に印刷されておらず、付属のシールでの対応となっています。  試しに貼ってみたもののシールであるのが丸わかりで、車体の色が濃いのに加えて文字の色が悪く印刷もきれいではなくて読めないため、GM・京急新600形塗装済みキットに付属しているインレタ (分売品) を転写しました。  インレタの転写経験が少ないことに加えてツギハギしながらの転写となったので、位置が揃っていないなど見苦しい点もありますが、付属のシールに比べれば出来はいいかな? などと自画自賛しています。
 シールには行先表示板も収録されており、編成の組み方によって複数の行先パターンが組めるように貼りました。  それにしてもこのシール、文字が印刷されたフィルム部分とフィルム状の接着剤が簡単に分離してしまうのにはまいりました。  保存状態があまり良くなかったとはいえ、製造から2年経っていないうちに分離してしまったので、品質に問題があるとしか思えません。  ディスプレイモデルであることを考えれば、車番も印刷としてシールを付属させない方がかえって親切だったのではないかと思ったものです。

 床板の付け外しの際、車体形状と断面寸法の兼ね合いからか側板が非常に薄く破いてしまう (「割る」ではない) のではないかとハラハラしたり、床下機器が車体と面一のカバーとなっているので車体を広げにくく少し手間取りました。  また一連の床板付け外しを終えて、一部車両の外板が波打ってしまったような気がするのと、車番入れの際に位置合わせに使ったセロファンテープによって5005の車体裾の塗装が若干剥がれてしまったようです。
 なお、KBD-108台車代用の件とKATOカプラーの底面を削る件は、インターネット掲示板の過去ログにて情報を得ました。  諸先輩方に感謝。
(掲載開始日 2009.12.18、最終更新日 2013.4.29)

★ミ ★ミ ★ミ ★ミ ★ミ

6000系 6001+6501・6003+6503・6008+6508
相模鉄道6000系  どちらも鉄道コレクションの事業者特注品をN化整備したものです。
 2008年2月に発売された新塗装車は、発売当時マイクロエースからの製品化発表がなされる前だったために「私の記憶にある相模鉄道」をがっつり再現させるツールとして必要な数を買い、N化整備は考えていませんでした。  しかしがっつり計画が変わって2両が宙に浮いてしまったため、N化整備対象車に加えることにしたという経緯があります。  2009年2月の5000系さよならイベントに合わせて発売された旧塗装車は、最初からN化整備して5000系と並べるつもりで4両買いました。

 モデルとなっているのは、6000系の最初期に製造されたディスクブレーキを装備しない先頭車ばかり20両 (6001〜6010、6501〜6510) です。  全体的にあっさり、すっきりとまとまっていますが、窓パーツ側に再現された側面の2連窓の間柱が細い上に銀色に塗装されていることと、連窓間柱側の縦サッシがなぜか再現されていないところが、すっきりしすぎているように感じてしまいます。  また、前面の窓が僅かに大きいようにも見えます。  さらに、旧塗装当時から存在していた側面種別表示窓がシール対応となっていて、Hゴムのモールドすらないのは実に惜しいところです。  台車が5000系と同じKH-22となっているのは、止むを得ないところでしょう。

 N化整備を行う上で、車番は旧塗装車は6001+65016003+6503、新塗装車は6008+6508としましたが、例によって特定車番ではありません。  雑誌の写真や記事によれば、塗装変更途中だった1975年頃の編成両数は昼間の一部列車に4両があった以外は6両以上だったそうなので、動力ユニットはとりあえず6003にのみ入れました。  連結器は組み替えに備えて統一しています。

 N化整備の具体的な方法・要領は、基本的に5000系と同様です。
 金属車輪・ウエイト・カプラーポケットはトミーテック・TT-03またはTT-04を用い、カプラーはKATO・11-702または11-707『KATOカプラーN』に換装しました。 動力ユニットはトミーテック・TM-08『20m級』を用いましたが、適合する動力台車枠がないので、KH-22台車枠を事務用の両面テープで貼り付けました。  軸受け部分の凹みもドリルで少し広げましたが、もう少し掘り込んでもよかったようです。  なお、台車は5000系とは異なりすべて鉄コレ由来のもので連結器の突き出し寸法も一定なので、スペーサーも『短』のみを使用しています。
 パンタグラフは当初TOMIX・0224『PS13』を載せました。  しかしこれは繊細なのですが黒メッキがされていて、私が勝手に抱いている「6000系のパンタ=全検上がりで銀色のPS13」というイメージとは異なります。  これに対して銀色に塗装しても良かったのですが、繊細であるが故なのか設計もかなりタイトになっているようで、やや壊れやすい印象があります。  そこで、2013年4月にGM・80『PS13 (旧仕様の、銀色のもの) 』に載せ替えました。  もともとそれはがっつり工作を行った車両に付けようとして温存していたのですが、3個しかなくそれ以上増やすこともままならず、見た目も相対的に劣るため、こちらに転用することにしました。

相模鉄道6000系・インレタによる車番と省略した種別表示幕  車番と前面行先表示幕は5000系と同様としました。  前面と旧塗装車側面に関しては車番を入れる位置の割り出しは比較的容易でしたが、新塗装車側面は高さ方向のガイドとなるようなものがなく、全体的に高すぎたようです。  いずれの場合もツギハギで転写したため左右方向の位置や文字の間隔がバラバラで、窓間柱を基準にすると中心がずれているのがよくわかるので、技術の習得が課題ですね。  シールに収録されている側面の種別表示幕は、Hゴムの縁にぴったり合わせて切らないと車番以上に汚く見え、その作業、特にR部分の切り出しが極めて困難に思えたこと、シールの質が相変わらずだったため、新塗装車にはエラーになるのを承知で省略しました。

 前述のとおり1975年頃の姿を少し参考にしつつN化整備しましたが、この時点では先頭車だけで組んだ編成がなく、また時代的に5000系とのマッチングも微妙なので、もう少し時代を遡らせることも考えるかもしれません。  その場合、新塗装車の処遇を考える必要がありますが・・・。
(掲載開始日 2009.12.18、最終更新日 2013.4.29)

★ミ ★ミ ★ミ ★ミ ★ミ

Nゲージの間 トップページに戻る