高松琴平電気鉄道@エムサ菌総合研究所
形式別写真・ 20形

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 1962年から1963年にかけて、近畿日本鉄道モ5620形を譲り受けた車両です。
 前身は1925年10月に川崎造船所で製造された大阪鉄道デロ20形で、関西急行電鉄と合併した際に 5620形となり、さらに近鉄に引き継がれましたが、7両製造されたうちの4両が1960年に台車と電気品 を他車に譲って廃車されることになり、その車体をことでんが譲受して登場させました。

 ことでん入りに際しては、阪神電気鉄道より譲受した台車やことでんが持っていた機器類を組み 合わせて使用した電動車として整備され、車体は曲面妻・非貫通5枚窓が切妻・貫通3枚窓と改造され ましたが、側面窓配置や22・24に残された側面窓上部の飾り窓に種車の面影を残していました。  形式・車号は20形21〜24と大阪鉄道当時と同じものとなり、琴平線で使用されたのちに志度線 に活躍の場を移しました。

 その後の更新工事で車体外板の張替えが行われ、飾り窓はなくなり、ウインドヘッダー (窓上の凸状の帯) の撤去とウインドシル (窓下の凸状 の帯) の平帯化も行われ、外見上は側面窓配置 (1D222D222D1) に 原形を残すのみとなりました。
 しかし23・24の2両の車内の木の部分はニス塗りのままとされ、しかも23には側扉脇に彫刻が 施された柱が残りかつニス塗りの面積が広いなど、車内照明の蛍光灯化がなされているものの 大正末期の雰囲気をよく伝えていました。

 晩年まで4両全車が残り、志度線で朝ラッシュ時の増結車として運用に就いていましたが、長尾線 から600形800番台車が転入したことにより、21・22・24の3両が2006年9月に廃車されました。  23号車は動態保存車として陸路琴平線に移動し、普段は仏生山工場で待機しています。
 なお、動態保存車は当初21が予定されており、その後これが23に変更された経緯がある ため、2006年5月のイベントでは21は走らず、23にさよならマークが取り付けられていました。

1000形 編成表  (2007年12月1日現在)
車号
(下段カッコ内は旧車号)
竣工瓦町分離時の所属記事
21
(5621)
1962.11.20志度線2006.9.廃車、解体
22
(5622)
1963.5.23志度線2006.9.廃車、解体
23
(5623)
1963.7.10志度線琴平線に所属
24
(5624)
1963.12.4志度線2006.9.廃車、解体

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ご案内
 資料としてはとても完全なものではありませんが、鉄道模型製作等の参考としても、 どうぞご活用ください。

 ことでん旧型車の機器、特に台車・抵抗器などは、互換性のある別機種に 交換される事が頻繁にあったようですが、ここでは個々の機器の動向までは 追いかけていません。「写真撮影時における組み合わせ」とお考え下さい。

 また車両の側面写真の向きは、
   瓦町行き列車を基準として 進行方向右側面/左側面
とします。

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2004.1.14 今橋

 車庫で休む、旧塗装時代の24です。
 ことでん入りにあたり、非貫通5枚窓だった正面は切妻貫通扉つき3枚窓に改装され、 その後の更新工事により側面窓上部の飾り窓がなくなるなど、外見上の原形は失われ つつあります。

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2006.3.22 今橋

 今橋で入庫を待つ、茶色の24です。 車体の印象は変わっていますが、茶色化されたことで 旧型車としての雰囲気を盛り上げているようです。
 各車とも塗装変更の際クリーム色部分の再塗装は省略されたようで、木製の雨樋に塗装の 剥がれや汚れが見られました。

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2006.3.22 八栗

 朝ラッシュ時の増結運用に就き、八栗で行き違う24 (左) と23。  ホームには八栗寺に向かうと思しきお遍路さんの姿が見えます。
 車体6か所の車号は23のみペンキ書きで、それ以外は『切り抜き文字』になっています。

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2007.8.11 仏生山

 志度線での営業運転が終わり、動態保存車として琴平線へ移動した23。
 3000形315の引退に際して行なわれた仏生山工場内での撮影会の後、本線を挟んだ側線に 移動する過程で見られた、1080形1087+1088との顔合わせシーンです (画像は 3000形315さよなら運転ページより再掲)
 撮影会では1両ごとに展示していたのを翌日の運転に備えて組成してからの転線作業で したが、連結順序が真逆となっていたため、正しく連結されていれば順光でのこの顔合わせ はありませんでした。 転線後に正しい順序に連結し直したようですが、まさか順光での 行き違いシーンが見られるからとわざと順序を逆にしたということはないですよねぇ?

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2006.3.20 今橋

 左側の床下機器です。 車両は23。
 主制御装置や電動空気圧縮機など、他の旧型車と同じようなものが使われていますが、 配置は他の形式と異なります。

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2006.5.24 今橋

 23の右側床下機器です。
 こちら側も、他の旧型車と同一の機器を搭載しながら配置は異なっています。  台車は全車1000形由来の汽車会社製ボールドウィン78系を履いています。

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2004.10.18 24車内

 24の車内です。 照明は全車蛍光灯化されていますが、23と24の2両は木の部分がニス塗りと なっており、ことでん旧型車の中でもレトロな雰囲気が一番だと思います。 日除けも、 1000形などと同様の構造・形状ながらニス塗りの木枠に布の張られたものとなっています。
 24の幕板部分はニス塗りの枠とクリーム色に塗られた金属板の構成になっています。 同様の 金属板は、各車運転台仕切りの客室側にも使われています。

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2006.3.20 23車内

 23の車内扉脇には、彫刻が施された円柱が付いています。 大阪鉄道当時のものと思われ、今の 車両では見られなくなった装飾に、時代を偲ばせます。
 また23は車内幕板部分の作りが24とは異なり、幕板全面が美しいニス塗りになっています。 これ で照明が白熱灯だったら・・・と思うのは、さすがに贅沢でしょうか?

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2006.3.22 24車内

 24の車内扉鴨居部分には、23とはまた異なる彫刻が施された装飾があります。 これが 原形のものかはわかりませんが、これもまた貴重で美しいです。

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2006.5.26 今橋

 22の車内を、ホームから撮ってみました。
 21とともに、車内壁面はクリーム色に塗りつぶされています。 22の幕部分の外見は23に似て 枠が見えませんが、この部分は金属板になっています。 画像からはわかりにくいですが、荷物棚の 取り付け部分に金属板の継ぎ目があったように記憶しています。

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2011.12.26 エムサ菌