高松琴平電気鉄道@エムサ菌総合研究所
形式別写真・
1100形
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1997年に京王帝都電鉄5000系を譲り受けた車両です。 京王5000系は京王線の架線電圧昇圧と特急運転開始に備えて1963年に登場したもので、京王で 初めて全長18000mm・最大幅2744mmの車両寸法を採用しています。 1968年に登場した車両は、 通勤車として国内で初めて冷房装置を採用したことで知られています。
ことでん入りしたのは1969年に製造された最終グループの8両で、京王重機北野工場でことでん
向け改造を受けた上で入線しました。 なお京王5000系を譲り受けた車両は、富士急行・伊予鉄道・一畑電車にも在籍しています。 |
車号(下段カッコ内は旧車号) (←琴電琴平) | 竣工 | 記事 | ||
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1101 (5023) | + | 1102 (5073) | 1997.7.12 | 琴平線所属 |
1103 (5022) | + | 1104 (5072) | 1997.7.27 | 琴平線所属 |
1105 (5772) | + | 1106 (5722) | 1997.10.27 | 琴平線所属 |
1107 (5771) | + | 1108 (5721) | 1997.12.2 | 琴平線所属 |
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ご案内
資料としてはとても完全なものではありませんが、鉄道模型製作等の参考としても、
どうぞご活用ください。
車両の側面写真の向きは、 |
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2010.8.20 高松築港−片原町
1200形1203+1204を従えて、1105+1106が『城バック』を行く。 朝ラッシュ時のみに見られる
仏生山行きです。
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2010.8.19 片原町
1107+1108+1211+1212の4両編成・一宮行きが片原町に進入。 1100形は通過表示灯が活かされており、前部標識灯と連動して点灯します。 ファンには うれしいアイテムではないでしょうか?
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2005.6.25 仏生山
琴平線塗装の1101+1102です。 京王時代と同様淡い色合いで似合ってはいますが、エンジ色
の帯のような引き締める要素がないためか、個人的には当初今一つパンチに欠ける気がしていた
ものでした。 現在1100形でラッピング車になっている車両はなく、全てこの塗装を纏っています。 側面の行先表示は向かって右側の表示窓を使用し、左側の種別表示窓は埋め込まれているのが わかります。
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2010.8.20 片原町
奇数号車右側の床下機器です。
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2010.8.20 片原町
偶数号車右側の床下機器です。 中央に鎮座する電動発電機が目立ちます。
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2010.8.20 栗林公園
奇数号車左側の床下機器です。 右手から、主制御装置・遮断機・・・でしょうか?
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2010.8.20 仏生山
偶数号車左側の床下機器です。 やはり電動空気圧縮機にC-1000形を積んでいます。
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2007.9.4 1101車内
車内の様子です。 京王当時に乗った記憶がなく (京王そのものに
数えるくらいしか乗っていない) 、どこがどう変わったのか、私にはわかりません。 画像には映っていませんが、車内の車号板の取り付け位置がそれまでと異なっています。 1080形までの各形式は貫通路上縁中央にあって中吊り広告に隠れることが多かったのですが、 1100形は600形と同様妻板の左上に取り付けられています。
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2007.9.4 1101車内
天井には扇風機がついておらず、冷房吹き出し口の形状も独特です。 それとも、真ん中の部分
に扇風機の変わりのようなものが付いているのでしょうか?
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2007.9.4 1102車内
運転台です。 ステンレス磨き出しの計器盤は種車と変わっていないそうですが、眩しくない
のでしょうか?
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2005.6.26 仏生山
2005.6.26 仏生山
『そごう色』時代の1107+1108です。 琴平線にこのカラーの車両が走ったのは8年ほどの間と長くはないですが、これの元になった 『コトデンそごう』の影響でことでん本体まで経営破綻したので、関係者にとってはあまり 良い色ではなかったのかもしれません。
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2004.10.17 挿頭丘
当初、タイトルに使っていた画像です。
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1992.5.28 高幡不動
京王帝都電鉄当時の姿です。 この当時は8000系が登場した頃で、5000系の非冷房車も僅かに
残っていました。 右に写っている5721号車は、ことでんに転じ1108になっています。 この頃はまだことでんに 興味が湧いておらず、京王にも縁がないためほとんど興味がなかったので、停まっていたのを 適当に撮っただけです。 まさか10年後に再会することになろうとは思ってもいませんでした。
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2011.12.17 エムサ菌