北総線観察記@エムサ菌総合研究所
新鎌ヶ谷駅改良工事

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 新鎌ヶ谷駅は、北総線と新京成線・東武野田線が交差する位置にあり、北総線が京成高砂 まで延伸した1991年3月に開業した駅です。
 1979年に北総線の第1期区間 (北初富〜小室間) が開業した当初 から駅を設置する計画があり、島式ホーム2面4線に対応した構造物が準備されていましたが、 駅開業時は下り線側にあるホーム1面のみの供用とされ、上り線側のホームは仕上げ工事も 行なわれずにしばらくそのままの姿を残すこととなりました。 線路は4線とも敷設されて いたものの、上り線側2線は側線となっていました。

 総合駅や区画整理事業の構想もかなり前からあったようですが、北総線の駅ができる前は 新京成線にも東武線にも駅がなく、駅前も1997年時点で民家が数軒あった以外は伸びきった草が 生えた土地が広がるだけ (私がほんの少し歩いたときの記憶による) で、とても東京都心から30km・1時間圏内とは思えないほどでした。 それ故高架の北総線 ホームからはかなり遠くまで見渡すことができ、夜になると初富駅前の雑居ビルのネオンサイン まで見えたものです。
 東武線の駅開業 (1999年11月) に合わせるように、駅前の区画 整理事業が始まりました。 その後しばらくは区画が整備された土地ばかりが広がっていました が、成田新高速線の整備が現実のものとなって以降注目を集めているのか、特にここ1〜2年の 間に総合病院をはじめ商業施設が入ったビルなどが林立するようになりました。 また 新京成線の高架化工事も進むなど、駅周辺は鎌ヶ谷市の新たな中心地として姿を変えつつ あります。

 北総線の新鎌ヶ谷駅では、成田新高速鉄道を受け入れるにあたって当初計画どおり待避 設備付き2面4線の配線とするため、上り線側ホームの整備と配線の変更を行なっています。

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 新鎌ヶ谷駅の配線略図です。
 改良工事前は下り線側ホームとそれに接する2線のみを営業用に使用し、上り線側ホームに 接する2線は高砂方からのみ出入りできる側線となっていました。 側線は工事の直前まで 上り新鎌ヶ谷行き最終列車が翌朝の始発列車として出庫するまでの間滞泊する場として、また 営業運転開始前の7500形の従業員研修の場としても使われていました。
 渡り線は構内の高砂方に正・逆1組ずつあり、下り方向から来た列車が折り返す時や側線から ホームに据え付ける (あるいはその逆) 際には本線上で折り返して いました。

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(2点とも)2006.8.3 新鎌ヶ谷

 まずは改良工事前のホームの様子です。 画像はどちらも上り線側ホームの下り方終端近くで 撮ったもので、上の画像に写っている電車は発車していく上り列車 (後 打ち) です。
 下り線側ホームには高架下にあるコンコースからの階段を設置するものと思われる開口部が 2か所あり、その部分には蓋が被せられていました。 この開口部の高砂方には開き戸があり、 その扉から出入りする従業員の姿を何度か見たことがあります。

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2007.4.27 新鎌ヶ谷

 それまで他の工事は進んでいたと思いますが、その進展が目覚しく思い、また本事業に 目が向くきっかけになったのは、やはりこの上り線側ホームの屋根の新設されたことでした。  それまでは何もなかったところにごく短期間のうちに骨組みが出来たので、その変貌ぶりに 驚いたものでした。
 この時点では、屋根と外壁の骨格がほぼ組み上がっています。

 高架下では、改札内コンコースの拡幅に備えて新京成線との連絡改札口の移設が早いうちに 行なわれていたと思いますが、当時は新京成線にはほとんど乗っていなかったので、それが いつ頃だったのか記憶になく、また写真にも残していません。
 また余談ながら、屋根新設工事の都合で側線の使用が早いうちに停止されたようで、 それまで新鎌ヶ谷駅の側線で滞泊していた上り最終列車は客を降ろしたあとそのまま上り 方向に走り去るようになりました。 滞泊場所を矢切駅に変更していたものと思われます。

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2007.5.29 新鎌ヶ谷

 大部分の屋根と下り線側外壁が取り付けられたところです。 4月末時点でホーム縁に並べ られていた銀色の物体は、一体なんだろう? 屋根の骨組みは出来てるようだけど・・・ と 思っていましたが、2本のホームの屋根をつなぎつつ架線柱の代わりも果す部材であることが わかりました。
 そして今度はホームの縁を整備するために既存の縁を取り壊していて、中の鉄筋が剥き出しに なっています。

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2007.6.15 新鎌ヶ谷

 ここで、線路付け替え前の上り側配線をホーム端から見てみます。
 真ん中の箱の右の線路が下り本線、左が上り本線で、さらにその左に引込線2線があります。  先の方で片渡り線が正逆各1組あり、新鎌ヶ谷以東の区間で運転されていた列車や引込線に 転線する列車は、本線上で折り返していました。
 上り本線は分岐器の曲線側を通過するルートをとっていたので、発車時は40km/hの速度制限が かけられていました (その他のカーブは60〜70km/hの制限だったと思う) 。  ここを通過する際、ノッチオフせず定速ノッチを使う運転士もいましたが、都営5300形で それをやられるとモーターの騒音がひどく、かなり迷惑でした。
 また下り本線から逆向きに延びる短い線路はもともと北初富駅に向かっていた連絡線の跡で、 撤去後は1本だけ保線機械置き場に転用された模様です。

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2007.6.29 新鎌ヶ谷

 列車本数の増加に備えてか、ホームのLED式列車案内表示も従来の2段表示から3段表示のもの に取り替えられました。 この時点では表示機自体は稼動しているもののまだ『調整中』で、 わかりにくいですが表示機のガラス内側にその旨の紙が貼られています。
 2段目のスクロール表示は従来どおりの内容ですが、列車が遅れて到着する際は左側3段目に 見られるように『列車が遅れています』と表示されるようになりました。 遅れの程度や列車の 現在位置までは表示されませんが、コンコースからホームに上がったところにあるのでほぼ 間違いなく目に付くこととなり、この情報提供は大きな進歩のように思ったものでした。  ただ、この頃の夕方以降の下り列車は毎日のように何かしらの遅れが発生しており、この表示 は早くも日常の光景になってしまった感もありました。
(ちなみに遅れの原因としては、構内放送によれば京急蒲田での上下列車の 輻輳・都営線内での多客混雑・八広での臨時の追い抜かれなどが言われていました。)

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2007.10.15 新鎌ヶ谷

 ホームの縁や点字ブロックの整備が進んだ上り線側ホームです。 このあと、ホーム上面を アスファルトで舗装するようになります。
 真ん中に見える黒い箱状のものはコンコースに下りる階段の壁です。 ホーム上の設備と してはエスカレーター1本を併設した階段2か所と、その間に待合室 (冷暖房 完備) とエレベーターがあり、既存の下り線側ホームの設備もこれと揃えるべく、 エスカレーター1基の追設とエレベーターの新設、待合室の建て替えが行なわれました。
 ちなみにこの時点で既に上り線側ホームに新しい駅名標が取り付けられていましたが、日本語・ 英語の他に中国語・ハングルでも書かれており、国際空港に向かう路線になるんだなぁという 印象を強くしました。

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2007.11.8 新鎌ヶ谷

 下り線側ホームの使用開始と線路切り替えに備えて、新・上り本線となる線路が切り替え点 まで延びてきて、現・上り本線の移動部分のバラストが土嚢のように白い袋に詰められている 様子が伺えます。 この段階では下り本線の直線化はまだ行なわれませんでした。
 右側に写っている重機は線路上を走行できるようにキャタピラの前後に車輪が付けられて いました。 このような重機を見るのは初めてだったのですが、走る姿が滑らかで重機らしさ がなく、違和感を憶えました。

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2008.2.14 新鎌ヶ谷

 下り本線の線路付け替え (直線化) がなされたところです。  切り替え点の線路にまだ工事の生々しさが残っています。
 一連の線路付け替えによって速度制限がなくなりキビキビと走るようになりました。

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(2点とも)2008.10.30 新鎌ヶ谷

 上下本線の直線化後しばらくして、待避線に分岐器が入れられました (上り 線進出側は既存のものかもしれない) 。 わかりにくいですが、上の画像は下り方向を、 下の画像は上り方向を、それぞれ下りホームから見たものです。
 上り本線の出発信号機は、側線だった頃は左側に見える非常信号が付いている柱にありましたが、 高速運転とそれによる過走余裕を大きくとったのか、かなり遠くの架線柱に移設されました。  また、完成後上り待避線となるであろう引込線の出発信号機も撤去されています。
 なにやら間違い探しのような様相を呈しています。

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2009.3.7 新鎌ヶ谷

 北総線改札内コンコースの突き当たりに新設された列車発車案内表示です。 それまでこの手 の表示がコンコース内にはなかったため便利にはなりましたが、改札口から見ると遠くて 読みにくいのが難点です。 LEDの色数は恐らく3色、文字フォントや表示方法もホームにある ものと同じと思われますが、列車が遅れている旨の表示はされなかった気がします。
 突き当りには商業スペースが準備されているようです。 そういえば改良工事以前に、 連絡改札を新京成線側に入ったところに『そば屋』がありました。 場所柄立ち寄る機会は ほとんどありませんでしたが、やたらと広くて殺風景な店内の雰囲気と、天ぷらそばには 天ぷらが2個載っていた姿 (しかも種類がいくつかある中から好きなものを 選べた) がデフォルトだったことは憶えています。

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2009.6.6 新鎌ヶ谷

 改札内コンコースの突き当たり近く・上りホームへの上り口付近から下りホーム側を見た ところです。 改良工事着工前は新京成線との連絡改札が正面にありました。 当然のこと ながら工事によってすべて作り直されてしまい、当時の痕跡は見られないどころかはっきり した記憶がないこともあって連絡改札の具体的な位置までもがわからなくなってしまいました。
 エスカレーターの増設とエレベーターの設置によって乗り換え駅として設備が整ったものと なりましたが、コンコースでは整備事業の一環で行なわれた耐震化工事の関係で柱が明らかに 太くなり、そのおかげで階段周りのスペースが非常に狭くなったように感じます。 画像に 偶然写っている人物 (成人男性) と比べると、左にある柱の左側の 通路幅が特に狭いことがおわかりいただけるかと思います。 出口改札・新京成線連絡改札 ともに画像の左手にあるので、いきおいこの狭いところに旅客が集中することになり、この柱 が常々邪魔に思うところです。
 エレベーターの設置位置を階段の間から外した上で、柱の位置や構造に工夫していただき たかったところです・・・。

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2009.6.20 新鎌ヶ谷

 下りホームから上り方面を見てみるとと、一時姿を消していた待避線の出発信号機が上下線 ともに改めて設置されていました。 手許の記録と記憶によれば、下り待避線のものだけその 1週間ほど前には既に設置されていたので、日数を少し空けて行なわれたようです。 どちらの 信号機も黒いビニールで包まれており、配線工事もまだのようでした (下り線 側のみ確認済み)
 この先に2組あった渡り線のうち、下り本線高砂方から直接上りホームに入れる線は撤去され ましたが、下りホームから上り本線に入れる線は残されているので、4線あるすべての線路から 上り本線に直接列車を出せるようにしたことになります (これは配線改良前と 同様)

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2009.6.20 新鎌ヶ谷

 一方で下り方面の出発信号機の様子を見てみると、一時姿を消していた下り待避線のものは 改めて設置されていますが、依然として上り線2線に対しては何もありません。
 下り方向には渡り線がなく、仮に新設するとしても既存の軌道がスラブ式で工事規模が大きく なることから、上りホームから下り方向への出発は考えていないようです。 従って、輸送障害 の際に新鎌ヶ谷で折返し運転を行なう場合は下りホームをメインに使うものと思われます。
 上り本線のレール間に「8」の停車位置目標がありますが、下り本線の上り方には入換信号機が 残っていることも考えると、入換によって下りホームから上り本線高砂方に一旦引き上げた上で 上りホームに据え付けるルートも残しているようです (他の入換信号機の残存・ 設置状況は把握していない)

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2009.6.20 新鎌ヶ谷

 下りホーム本線側には、上り方面に発車させる際に車掌が乗降状態を確認するテレビモニタが あります。
 撮った時は線路切り替え前に使っていたものだろう・・・ と思って特に気にしていません でしたが、このページの1枚目の画像と比較すると明らかに位置が違うので、上り方に移動した 停車位置に合わせて移設されたようです。

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2009.9.7 新鎌ヶ谷付近

 改良工事以前、新鎌ヶ谷駅ホームの外壁はホームが供用されていた下り線側ホームだけに 設置され、上り線側は省略されていましたが、上りホームの整備に合わせてこちら側にも外壁が 設置されました。
 今更という気もしますが、駅全体を外から見た画像はこれまで撮影していなかったので、 整備された上りホーム側から撮ってみました。
 手前に写っている地上の線路は新京成線で、現在進められている高架化工事のために仮線で 営業しています。 高架線は北総線と仮線の間 (もともとの線路用地) に建設されているので、いずれこのアングルで北総線の駅を捉えることが難しくなります。  どうせ同じ高さの高架橋がすぐ横に並ぶのに、北総線の外壁をわざわざ作ることはないのでは ないか・・・ とも思いますが。

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2009.9.7 新鎌ヶ谷

 6月20日時点では黒いビニールに包まれていた下り待避線の上り出発信号機ですが、ビニールに 替わって使用停止を示す「×印」が取り付けられていました。 6月時点では軌道から信号に伸びて いるケーブルが無かったので、「×印」もケーブル工事に関係しているのかもしれません。
 但し手信号代用器と非常信号はビニールに包まれたままです。

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2009.12.4 新鎌ヶ谷

 待避線が完成し、11月中旬より全列車とも待避線側を発着するように改められました。  これも、成田新高速鉄道の工事に関係しているそうで、12月中旬まで行われるようです (詳しい期間は失念)
 画像はコンコースの発車案内表示で、上り列車が『1番線』、下り列車が『4番線』となっている ことからも、待避線に発着することがわかります。 

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2009.12.4 新鎌ヶ谷

 下りホームから見た、1番線に停まる上り列車です。 ホームの2番線側LED表示のうち、 発車時刻・行先を示す1段目と3段目は無表示ですが、別の日には1段目に『通過』と表示 されていました。 深夜にスカイライナーの試運転が行われているらしく、その関係も あるのでしょうか?

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2009.12.4 新鎌ヶ谷

 一時的に使用が停止されている下り3番線のホーム縁石が新しいものになっていました。  高さも周りのホーム面より少し嵩上げされています。 上下線間に溶接されたレールが 置かれているので、ロングレール化に合わせて更なる重軌条化と、それに伴うホーム扛上を 行っているのでしょうか?

【2010.1.1 追記】 2009年12月30日現在、下り本線のロングレール 化が終わり、縁石内側のシートも外されていました。 シート部分はきれいに舗装されました が、やはり縁石部分は少し高くなっているようで、緩い勾配がついています。

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2010.1.1 エムサ菌