北総線観察記@エムサ菌総合研究所
西白井駅配線変更工事

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 西白井駅は都心方面から千葉ニュータウンに入って一番最初の駅で、隣接して1979年の 北総線第1期区間開業と同時に車庫が置かれ、出入庫に関係して当駅が始発・終着となる列車 も運転されるなど、運転上の拠点といえる駅でした。
 しかし2000年7月に印西牧の原〜印旛日本医大間が延伸開業した際、同駅間に規模の大きい 車庫を建設し移転したため、西白井の車庫は廃止され、西白井始発・終着列車もなくなりました。  その後しばらくは車庫を含む構内配線は手付かずのままだったので、錆びたレールとそのまま 残る建屋が寂しい雰囲気を醸し出していました (事務所とみられる建物は他の 目的に活用されている模様)

 新高速鉄道事業の一環によるものかはわかりませんが、最近になって出入庫線と一部の 検修庫を保線基地・資材搬入口として残す他は全ての線路が撤去され、上下線間の渡り線も 撤去、それまで運転扱いを行う『停車場』から運転扱いを行なわない『停留所』に格下げ されました。
 停留所格下げの少し前にはベルによる発車合図が省略され、発車時刻の調整も隣の白井駅で 行なうようになり、さらに地元自治体による駅前ロータリーと駅舎を結ぶ通路の改良が市役所 最寄りの白井駅に先を越されて行なわれていないなど、西白井駅にはある種の栄枯盛衰を見る ようです。

(2009年12月5日、このページの下のほうにあった「ロングレールの伸縮継目」 画像を、『その他の話題』ページに移しました。)

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 西白井駅の配線略図です。
 車庫の線路が撤去された後の状況として作成してあります。 下り方の渡り線は一旦撤去の上 横取装置化されていますが、工事用になっているものと判断されるため、『撤去部分』として います。
 車庫の配線を無視すれば、駅の両側に渡り線があった島式ホームの駅ということで比較的単純 な線路配置であると言えるでしょうか。

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2008.10.30 西白井

 まずは渡り線撤去前の西白井駅上り方の様子です。
 信号は表示からもわかるように『出発信号機』です。 通常は停止を現示し、列車が手前の ある地点に接近すると (タイミング的に白井駅を出たあたりではないかと 思う) 進行現示に切り替わっていたと思います。 縦に緑と赤の2灯が並んだ 『手信号代用器』も設置されています。
 この頃は写真左手 (南側) にあった車庫の線路の撤去がほぼ 終わった状態だったと思います。 余談ですが、線路の撤去に先立って架線の撤去が行なわれ ましたが、両工程が続けて行なわれたようではなく、架線撤去終了から線路撤去着手まで かなり長い期間空けられていました。 年度を跨いでいたように記憶していますが、工事予算 の都合があったのでしょうか?

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2008.10.30 西白井

 上の画像と同じ日の西白井駅下り方の配線です。 信号機は『出発信号機』で、上り方と 同様『手信号代用器』も設置されていますが、車庫への入庫の際に使用していたはずの 『入換信号機』が見つかりませんでした。 それだけ早々に撤去したのでしょうか?
 渡り線を通って上り本線を横断した先に黄色い保線機械が停まっているのが見えますが、 もともとそこは出入庫線で、そこでスイッチバックしていました。

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2009.4.7 西白井

 上り方渡り線の撤去工事中の様子です。 分岐器の先でレールが途切れ、枕木だけが 残っています。
 分岐器を見るとポイントモーターが撤去され、信号機柱に付いていた手信号代用器と 『出発』の表示も撤去され、『156』という表示 (おそらく建植位置= 高砂起点15.6kmを示すものと思われる) に変えられています。

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2009.4.7 西白井

 上り方渡り線撤去中の様子を、アングルを変えて見てみます。
 カーブしてくる下り線の分岐器は既に撤去され、袋に詰められたバラストが枕木の間に 入れられているのがわかります。 柵の外側には終電後の作業に使われていたであろう 照明器具も見えます。

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2009.5.28 西白井

 上り方渡り線の分岐器撤去が完了した後の様子です。 真新しい軌道敷と横を向いた4灯式 信号機、本設を窺わせる『156』の表示板、そして見るからに新しい器具箱が見えます。
 信号機の取付金具が、信号機の灯数が増えているにもかかわらず細いものとなっています。  新しい信号機は間違いなくLEDを使用しているものと思われるので、電球を使った従来品より 重量がかなり軽くなっていることが想像されます。
 上下線間の一部には、渡り線の枕木がまだ残っているようです。

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2009.6.25 西白井

 6月25日の乗車時に、上り旧出発信号機が切り替えられていたことを確認しました (その5日前にも利用しているが、確認していなかった)
 撮影したのが電車の到着間際で既に進行現示だったので、停止定位なのか進行定位なのかは 確認していませんが、閉塞信号機となった時点で進行定位になっているものと思われます。
 合わせて、その少し前から上り方渡り線跡の枕木が撤去されてバラストだけが残っていた 様子も捕らえてみました。

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2009.7.8 西白井

 ホームを挟んで上下に各一対あった渡り線のうち、上り方のものは5月の終わりまでに撤去され ました (上参照) が、下り方のものはしばらくそのまま残っていました。 保線基地の目の前だから多分そこの出入り用として継続して使用されるのだろう・・・ と 思っていましたが、7月上旬になってこれも撤去されているのを確認しました。
 画像でも、信号機の先で右に分岐するレールが剥がされたことが確認できます。 そして 右側に枕木の取り付けを済ませた新しい分岐器一式が見えます。
 ちなみにこの信号機、『YGF (青と黄の同時明滅) 』現示が出ます。

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2009.7.8 西白井付近

 ホーム端から渡り線部分までは微妙に距離があって状況の確認がしづらい (上 画像も撮影時点でズームを使った) のと、上下線間に建物があってホームからでは全容が 掴めない (2008年10月30日の画像を参照のこと) ので、上の画像に 見える陸橋まで行って上から確かめてきました。
 まずは下り線の分岐器撤去状況から見てみます。 この時点で既に分岐器一式の撤去は終わって いますが、分岐側のレールを締結していた痕跡が残る枕木はそのままになっています。 また隣に 置かれた新しい分岐器一式は、クロッシングの形状から『横取装置【下記注】』 のようです。 気のせいか、曲線側の半径が小さくなって分岐に要する距離が短くなっている ように見えます。

【注】横取装置・・・通常使用するレールの上を乗り越えるようにして異方向に 分岐させるもので、主に保線機械の転線に使用される。 通常は分岐しない『普通のレール』と 何ら変わりない。

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2009.7.8 西白井付近

 続いて上り線の分岐器撤去状況です。 画像手前が西白井駅で、左が下り線、真ん中が上り線、 右は車庫線の跡、上方に見える渡り線で上り線と出入庫線の位置関係がおわかり頂けるかと思い ます。
 上り線の分岐器のうち、トングレールとクロッシング、直線側のガードレールがまだ残って いますが、いずれ下り線と同様の手順で整備が行なわれるものと思われ、上の画像と別の横取 装置一式が画像右の重機手前の線路上に置かれていています。 つまり出番を待つ横取装置が 2組あることになります。

 一番最初に状況の変化に気がついた際、渡り線撤去には気付かずに新しい分岐器がやや上り方 に置かれているところだけが見えたので、上り線〜出入庫線間の分岐器を上り方にずらすのかと 思っていました。 しかし、車庫線の跡は上から分岐器が置かれた少し先で途切れているので、 そうであれば新しい分岐器は1組で済むはずです。 また上下線間の渡り線が撤去されたままでは 保線基地への出入りに制約を生じると思われます。
 そこで、渡り線の分岐器を横取装置化することで配線の単純化と高速運転への備えとするの ではないかと考えました。 さぁどうでしょう?

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2009.7.18 西白井付近

 下り方分岐器撤去のその後の様子を西白井駅下り方陸橋まで見に行くと、準備中だった横取 装置が上下線とも本線に設置されていました。
 まずは下り本線の横取装置の設置状況からご覧頂きましょう。 分岐器は2008年10月の画像 から判断するに画像右側の架線柱付近にあったと思われ、従来より下り方に20〜30mほど移動 しているようです。 枕木の色合いやバラストの盛り方にもそれらしい痕跡が見えます。  設置された横取装置の半分が画像から切れてしまいましたが、どれだけ移動したかがある 程度わかるような画像としたためです。 ご容赦下さい。
 なお、画像では分岐器があった部分の枕木は木枕木のままですが、11月1日時点で既にどこ からか転用されたと思しきPC枕木に変わっていました。

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2009.7.18 西白井付近

 一方で、上り本線の横取装置は分岐器時代とほぼ同じ位置に設置されています。
 横取装置の分岐側の線路は途切れたままで、どこかで一度使用されたと思しきコンクリート 枕木が準備されています。
 側溝の位置をポイントに見比べてみると、分岐器時代より分岐側の曲線半径が明らかに小さい のがわかります。 渡り線1組に要する距離も短くなっていることから、分岐角度も大きくなって いるのかもしれません。
 さらにもう1基の横取装置が重機の傍らに見えます。 右向きに分岐するものだったのと 渡り線の状況から、上り本線〜出入庫線跡間の上り本線に使われている分岐器 ( 画像左上に僅かに写っている) を置き換えるものと思われます。 ちなみに、陸橋の 上からは車庫内にある分岐器が全て合成枕木化されたように見えたので、本線に関係しない 分岐器の横取装置化は考えにくいです。

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2009.7.31 西白井付近

 7月18日時点で準備中だった横取装置が、26日夕方に上り線から出入庫線に分かれる分岐器を 置き換えるように設置されているのを確認、31日の昼間に撮影に行ってきました。 現場では 横取装置と出入庫線の線路を接続する作業が行われていました。 やや見づらい画像ですが、 中央の線路が上り線で手前の横取装置が上下線間の渡り線、右の線路が旧車庫線で、本線の奥に 今回取り替えられた横取装置が見えます。
 また、18日の時点で途切れていた上下線間の渡り線の接続作業は、既に終えているように 見受けられました。

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2009.6.20 西白井

 やや番外編的な画像ですが、北総線の千葉ニュータウンエリア内の一部の駅には、並行する 国道464号線の間でホームから見える位置に、見てのとおり成田新高速鉄道の早期実現を目指す 看板が建っています。
 看板自体はかなり長いこと存在しています。 白井市の『市』の文字が小さいのは、もともと ここに書かれていたのが『白井町』で、途中行われた市制施行の際に上から『市』の文字を 貼ったからです。

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2009.12.5 エムサ菌