光る物が、怖くなったのよ。
男は、長い沈黙の後、ぽつりとそう言った。
答えは何となく予想していたからシリウスは何も答えなかった。ただ、彼の顔を見上げていた。
「…………あんたは、」
微かにためらって彼は言った。
「光るもんを覚えてるね、御守りみたいに大事に抱えてるね」
「………」
「でも、それは―――
そのうちあんたを蝕む毒に変わるよ」
神父が死刑囚の前で最後の十字を切るように、厳かに男は頭を垂れた。それは神託かと、そう問うてみたくなるような重みを、男は注意深く言葉に乗せていた。
死ぬまで
光を、恐れるよ
「……早く楽になったらいい、あんたもう手遅れなんだよ」
ことりと音を立てて椅子から立ちあがると、男は生気の無い動きで独房を出ていった。もう一度小さく礼を言ったが、物憂げに頭を振っただけだった。向きを変えた拍子に男の頭部が濃い影絵になって壁に落ちた。男には左耳が無かった。
ゆっくりと廊下を遠ざかっていく足音を聞きながら、シリウスは目を閉じた。微かに響く波の音は耳の底を洗う子守唄のようで、痛む身体もゆるゆるとまどろみに落ちていく。それは、ほんの束の間の休息でしか無かったけれども。
狂う事も、記憶を手放す事も、出来はしないのだ。
忘れてしまうには、あまりにもこの慟哭は深く、狂おしい。
狂える物ならば、とうに手放していた記憶。
世界にほとばしる、鮮やかな深紅。目を閉じれば何度でも繰り返される色の残像は、呆然と膝を突く床にこときれていた親友達の鮮血だったか、自分自身の涙だったか。
名を思うだけで息が止まる。あまりにも惨たらしい別れ。
あの時。自分がひとつ、判断を誤らなければ。
信じていた幸福、信じていた世界、
……たったひとつの裏切りで引き裂かれた幾つもの未来。
低く、うめいた。涙はとうに枯れきっている。
男の言う通り、恐らく生涯、この疵からは血が流れ続けるだろう。決して癒える事の無い後悔を引き摺るだろう。
それでも。
この擦り切れた胸の内には、まだはっきりと、光る記憶が残るのだ。
あの小さな命を抱えて漆黒の空を飛んだ時、不思議なほどに世界は澄んで、深かった。震える手で撫ぜた柔らかな額に、痛ましくのたうつ呪いの傷を見つけた時でさえ。
一人々の、笑った顔が好きだった。
自分の名を呼ぶ、幾つもの優しい声。
ジェームス。
リリー。
リーマス。
………ピーター。
この闇の底で、狂気がどれほど身の内を焦がし尽くそうとも、どうしようもなく、記憶の底には光が溢れている。
世界の果てのこの監獄で、こうして行われている拷問の日々になんの意味も見出せなくても、全てを投げ出して彼岸に渡る事は出来ないのだ。
この光が、いつか死に至る病に変わったとしても。
決して、手放しはしないのだと。
煉獄の底に、それはただひとつ残された祈りだった。
Fin