萌える東海道! 伝説の美少女と7人の巫女
〜7人の巫女編 その2〜
浮島までやってきました。岳南江尾駅からそれほど遠くありません。時刻はまもなく14時。これより浮島の湿地帯を歩いて南下していきます。だいたい一時間もあればJR東田子の浦駅に辿り着きます。
立て札を見ると、大雨が降るとすぐ冠水するようなので、雨季に来るのはやめた方が無難ですね。
船津地区あたりから南の方角を望む。地平線の向こうまで見渡せます。
浮島の湿地帯です。広大な畑と水田が広がり、地平線の向こうまで高い建物が見えません。
一部は浮島工業団地として工業地帯に変貌した地区もあります。
詳しい場所までは記されていないのでわかりませんでしたが、国へ引き返す途中だった6人の巫女がおあじの後を追って浮島沼に身を投げたという言い伝えがあるのがここ、浮島です。
地下から水田に水をひく装置。
かつてこの辺りは沼だったこともあり、地下水が豊富なのでしょう。
このように地下から水を汲み上げて水をはる水田は多く見られました。
未整備の小さな水路も所々に残っていて、タニシや小さな淡水魚が住んでいます。
潜水艦の潜望鏡? 古い設備の残骸か?
日中でも畑仕事をしている方と犬の散歩をしている人以外はほとんど人影が無く、車もあまり通りません。
そのため、ここにはさまざまな野鳥が集まり、バードウォッチャーにはちょっと知られたスポットらしい。
この辺りの野鳥は警戒心が強い。
これが限界。これ以上近寄るとすぐ逃げます。
大人になって忘れていたものが、ここに来るといろいろ思い出させてくれます。
荒んだ心を取り戻せる場所。こういう場所は消してもらいたくありません。
日本のふるさとの風景がここにはありました。
こんな場所も、あと数年の後には無くなってしまうのでしょう。
荒廃した人間の精神を形成してしまったのは、我がままに山を穴だらけにしたり、乱開発を推し進める国の政治の責任であるとも言えます。
そんな人間を形成しておいて、いざ犯罪発生となると、罪のない国民まで法律で縛りあげるのだ。
何かが違う。世間は何かが狂っています。
四つ葉のクローバーを最後に探したのはいつだったかな…
十何年振りに見たアメンボ。
このような場所なだけに、粗大ゴミをコッソリ捨てるにはちょうど良いのでしょう。
ゴミ、ゴミ、ここにも、あそこにも…。
不法投棄されたテレビや掃除機、車など、粗大ゴミが草原のあちこちに散乱していました。
ゴミ処理を有料化したツケがこれです。
見て下さい。酷いです。まったく…神聖な場所を汚す悪者。
最終処分場前の川。ラジカセ、車のエンジン…いろんなものが沈んでいました。
処分場にゴミを持っていったら莫大な金を請求されたため、コッソリここへ投げ捨てた、といったところでしょうか。
不法投棄は法律や国民の生活が変わらない限り、永遠に無くならないと思います。
もう何をしに来たのかわからなくなってきました。
やるせない気分でいっぱいです。
ゴミを拾う気満々でしたが、ゴミの処理になぜか金が掛かる理不尽なご時世である。私は心無い人たちに代わって金を支払うようなお人好しではない。
なぜボランティアが損をしなくてはならないのだ。
善人から金を搾り取って私服を肥やす国や行政が目を覚まさない限りこの状態は改善されないだろう。
この様な立て札が沢山ありました。わかってて捨てる人が大半を占めるのではなかろうか?
浮島を抜けて、いよいよ国道に出てきました。時刻は1500。
そろそろいい時間です。さすがにもうこれ以上歩けません。
このまま東田子の浦駅まで向かいます。
六王子神社
東田子の浦駅まで歩いてきました。この駅のすぐ隣りにこちらの六王子神社があります。
この神社こそが、浮島沼に身を投げ、亡くなった6人の巫女を弔い、建てられたと言われる神社です。
これ以上のことは現在のところ不明ですが、機会があったらもっと掘り下げてみてもよさそうなテーマです。
無事に旅を終えることが出来た御礼に僅かですが賽銭を奉納し、これにて伝説の美少女を追い求めた今回の旅は終了。富士駅まで引き返します。
さて、ここまで朝も昼も食事らしい食事を摂っていません。ひとまず富士駅の立ち食いそば(月見そば:290円)で飢えを凌ぎます。
願わくばこのあと身延駅の立ち食いそばと逝きたいのですが、ヘタすると15時で閉めてしまうような店ゆえ、これから行ってもそばにありつけるかどうか微妙。それなら「富士宮やきそば」なんてどうだろうか? ということで、富士宮駅へ向かいます。
入山瀬駅
…ということで入山瀬で下車しました(汗)
旅とはなかなか予定通りに行かないもの。
いつも入山瀬駅を電車で通りかかるたび、電車の車窓から見えていて何となく気になっていたSL。今日こそ電車を降りて見学しようと思った次第です。
ここで降りて線路沿いにある公園に向かいます。
展示車両はD51とオハ35でした。
どうやら展示車両の車内が図書館として利用されている模様。しかしこの日は閉館していました。
ちなみに、ここに展示されているD51 943号機は、函館本線などで活躍していたそうです。保存されることになった経緯は不明…。
16時を過ぎたので、一通り見学して富士宮駅へ移動。駅構内改札外の富陽軒で富士宮やきそばの大盛りを注文しました。ここで食べるのが最も手っ取り早い。後から来たお客が、なぜ富士宮やきそばが有名なのかと質問していました。
答えを聞くと、どうやら「街興し」と「コシの強い麺」がキーワードらしい。やきそばの麺は、確かになかなかの歯応えでうまい。
しかし、やきそばをご馳走さましている間に1638発の甲府行き各駅停車が行ってしまった。
次の甲府行きまで一時間以上もある。こんな所でずっと待っているのも退屈ですし、かといって今の私の足に富士宮の街を散策するだけの余裕がない。こんな時はフリーキップの特権を生かし、電車に乗りまくることにします。
51分発の東海道線直通沼津行きに乗り、沼津で折り返せばちょうどいい時間であろうと私は読んだ。
沼津到着が1734。次の富士発の身延線甲府行きが1801。普通に考えれば間に合うのだが、ここで大誤算。特急「東海」の通過があり、49分まで電車が無いのだ。予定変更で「東海」飛び乗りもアリですが、たかが5駅のために大枚叩くのも考えモノなので我慢し、49分発の各駅停車で富士に戻った。
当然甲府行きは行ってしまったあとです。よく調べておくんだったとひどく後悔した。やむを得ず西富士宮行きに乗って終点まで行って、西富士宮駅で次の甲府行きを待った。
幸い、夕方の時間帯は甲府行きが多くあるのが救いです。
22分待って甲府行きにスイッチ。駅ノート管理のため、塩之沢まで向かいます。
塩之沢駅ノート
ここにノートを置いて、この日で一ヶ月少々経った訳ですが、書き込みがすでに始まっており、とりあえず交流ノートとしての機能を果たしていることを確認しました。とりあえずホッ…。
中にはまんがを読んだ感想もあり、ひとしきり和むことができました。とりあえず管理人として私も一筆書き込み、シャーペンと紛失していたケシゴムを補充し、次の甲府行き2134発に乗車しました。
電車の中には、うるさい小学生のボーヤと、中学生くらいの女の子数人、そして付き添いのおばあさんが乗っていました。
暗くなって車窓風景も見えず、退屈なのでいつものようにノートに落書きしていると、何やら後ろでヒソヒソと声が聞こえた。どうも背後から女の子たちが私の落書きを覗いて噂しているのです。
「また変人扱いか…」
よくあることなので気にせず、落書きを続けていました。すると
「見せてください」
と言われた。こんなこと言われたのは初めてだったので、これには驚いた。
こんなヘタレ絵なのですが、なにか?
しかし落書き帳はネタ帳や日記も兼ねているので見せるわけにもいかず、かといって断ると印象を悪くしてしまうので、ペラペラとめくって見せることにしました。
すると
「カワイイ〜」「うまい〜」
と、なかなかの好印象。そう言われて悪い気はしなかった。
苦節五年。やっと私の絵も世間さまにそれなりの評価が頂けるようになったのか…。そんな思いでした。
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