神岡鉄道


2006年11月いっぱいで廃止が決定している第三セクター。国鉄時代は神岡線と呼ばれていました。

営業キロが19.9キロ、駅数8。猪谷駅以外の各駅には七福神の木彫り人形が飾られています。

長いトンネルが多く、沿線風景を楽しむ観光路線とはちょっと言い難いです。
沿線には3大公害病で一躍有名になった神岡鉱山の精錬所がある。

神岡鉄道を走る列車には「奥飛騨号」の愛称が付けられ、客室内に囲炉裏を設けて親しまれています。
この「奥飛騨号」の愛称は、飛騨市神岡町にお住まいの池内さんが名付け親ということです。


漆山駅

2006.09.09 訪問
漆山駅です。
国鉄時代は「西漆山」と呼ばれていたようです。
何故「西」だけ省いたのでしょう?

ホームは片側一線だけで、駅のホーム上には待合室と、木彫りの七福神が祭られているだけです。
ちなみに、漆山駅は「寿老人」です。

駅名標には隣りの駅名が「こうざんまえ」と書かれていますが、この駅名は「神岡鉱山前駅」の誤りです。
全てを平仮名表記にすると書き切れないので短く端切ったのかもしれません。
漆山駅は、隣りの駅との間の距離が結構長く、その殆どが長いトンネルで占められていました。

距離的には神岡鉱山前より茂住の方が遥かに近い。
駅舎は無く、傾斜のある屋根を持ったプレハブ小屋の待合室が駅ホーム上に建っています。
待合室には長〜いベンチが取り付けられていました。
待合室の中です。
どうやら神岡鉄道の駅待合室には、本が提供されているようですね。
「マイレール文庫」と名付けられています。

ちなみに、漆山駅の本棚には文庫本以外に少女漫画も数冊見受けられました。

置き傘、ゴミ箱、座布団、ほうき、ちりとり…。
小さな駅にしては備品の品揃えが充実しています。
駅前には遮断機のない踏切。
ザッと周りを見渡しても民家は目につきません。とてものどかです。
国道の方へ歩くとすぐ目の前に高原川が流れています。川には赤い橋が架かっています。
やはり近くに民家は見当たりませんし、人影もありません。
誰か駅を利用する人はいるのでしょうか?
誰もいないと思っていたら、橋の下で数人が釣りをしていました。

竿の長さやイデタチから察すると、アユ釣りでしょうか?
見た感じ、綺麗な川です。
昔、この流域で全国的にも有名な公害病「イタイイタイ病」が発生したなんて、外見からは想像もつきません…。
国道の下の地下道を通って道路を渡った先にはバス停や電話ボックスがあります。

誰も来そうにない場所に作られたバス停にも関わらず、結構洒落た待合室ですよ!

田舎のバス停というと、卒塔婆みたいな板切れに「停留所」と書かれているだけのバス停を思い出してしまいますが…。

こちらでは過疎地もそれなりに優遇されている印象を受けますね。



奥飛騨温泉口駅

2006.09.10 訪問
神岡鉄道の終点、奥飛騨温泉口駅です。
昔は神岡駅と呼ばれていたようです。

終点という割には、ホームに片側一本だけしか線路がなく、神岡鉄道の中心的な駅の貫禄が駅のホームからはイマイチ感じられません…

国鉄時代は2線だったそうですが、当時線路があったと思われるホームには白い柵が設けられているのが写真から伺えますね。
もう使っていないようです。
駅に備え付けられた周辺案内板。
奥飛騨温泉口という駅名に反して、温泉街まで行くにはバスで45分も掛かるとはあんまりな気がする…。廃線になったら温泉までの足はどうすればいいのだろう?

ところで、もしも温泉街までこの線路が延びていたとしたら、今頃神岡鉄道はどうなっていただろうか…。
となりの駅は神岡大橋駅。神岡鉄道に転換された時に新しく新設された駅のようです。
どうやら右手の駅舎が旧神岡駅駅舎。
今は喫茶店になっている模様…。

奥が現在の奥飛騨温泉口駅舎らしいです。

無人駅のようですが、当然昔は駅員が常駐していました。その名残りはあちらこちらに見られます。

それでは行ってみましょう!
奥飛騨温泉口の待合室の中です。

何だか待合室という雰囲気ではありません。ギャラリーです。

神岡鉄道の写真コンクールでしょうか?
奥に行くと、まるで洒落た喫茶店か鄙びた旅館の食堂という雰囲気。
木の香りがとても良かったです。
どれも真新しく、恐らく建てられてまだ日が浅い駅舎なのでしょう。

廃線されたらこの建物はどうなってしまうのか…

ああああもったいない…

深夜に有料休憩所として営業してくれれば有難いと思う人は多いはず。
駅待合室には自動券売機、トイレ、ベンチと、一通りあります。

無人駅と言いつつ、JRの中堅の駅に匹敵するくらい広いですね。
こちらが駅舎外観。いういう駅舎は個人的に大好物です。
かなり大きい…なのに無人駅。
勿体無い…

しかし、これはいかにも山奥の駅ならではといった味です。

無人駅でなくても、小さな駅は建物が無機質でコンパクトなる一方な時代なので、こういう手の込んだ無人駅の例は実に嬉しく、そして珍しい。

駅前にはバス停と、タクシー停車場。

廃線後は壊さずに鉄道記念館として再出発してくれることを強く望みたいです。
駅前に静態保存されているディーゼル機関車KM‐DE101。
平成3年までJR四国で使われていたものだそうで、神岡鉄道が硫酸タンク輸送のために購入し、平成8年3月まで貨物輸送に活躍したらしい。

おそらくJRでは型名がDE10となるのではないかと…。
奥飛騨温泉口駅のホームの裏側に、「がおろの道」という散策道が神岡鉄道の線路に沿って続いています。

写真がその入り口で、道は神岡大橋駅まで続いています。
通り沿いに設けられた駅案内標識。
都会の標識と違って実に味わいがあって宜しいです。

しかし、廃線になったら撤去されてしまうのか?
あーあ、もったいない…



神岡大橋駅

2006.09.10 訪問
神岡大橋駅です。
短いホームと待合室が陸橋の上から眺めることが出来ました。
終点の奥飛騨温泉口駅から歩いて20分くらいで来ることが出来ます。

奥飛騨温泉口駅から神岡大橋駅までの区間に「がおろ道」と呼ばれる散策コースが線路に沿って設けられています。

木陰に隠れてよく見えませんが、ホームには弁天様の木彫り人形が設置されていました。
奥飛騨温泉口駅から続いている「がおろ道」は、ここが終点になっています。
駅前には、濃飛バスの神岡大橋バス停と、キノコの形をした建物。
これはトイレと思われます。

独特のプロペラが付いていないようなので、水洗でしょうか?
入っていないので真相は不明です。
誰か教えてください。
駅舎は無く、そこそこの広さがある三角屋根の待合室がホーム上にあります。
しっかりとしたアルミサッシの待合室。
雪の多い地域らしい設備です。
ここにも駅文庫が設置されていましたが、本の在庫が極端に少ないのが気になりました。
まもなく廃線なので、それほど気に留める人もいないのかもしれません…。
あまりにも寂しいので、私の自作のまんがのコピー本を寄付しました(笑)

誰か読んでくれないかな〜





(後日、この本を読みましたというハガキが一通届きました。嬉しかったです)
駅のホームの真正面にはちょっとした渓谷美。
澄んだ水とそれが流れる音が心地いいです。
こういう駅ってちょっと珍しいかも。

マイナスイオン〜マイナスイオン〜
駅前には、駅名にもなっている神岡大橋。
真っ赤な手すりが風景によく映えています。
ちゃんと歩道も設けられていますね。

どうやら、神岡鉄道沿線の橋は、このように赤で統一されているようです。
駅のすぐ近くには、ちょっと大きめの神社もあります。朝浦八幡宮というらしい?

神社のすぐ脇に散策道がありました。
どこにつづいているのでしょう?



飛騨神岡駅

2006.09.10 訪問
飛騨神岡駅。
かつて国鉄の頃は飛騨船津と呼ばれていたそうですが、昭和59年、お隣に神岡大橋駅が出来た時に飛騨神岡と駅名が変更されたようです。
ベンチと灰皿がポツンと鎮座する一面一線のまっすぐな駅ホーム。
他にこれといって特筆することはないですが、場所的に好都合なのか、防災無線のスピーカーのようなものがホームの一番隅に設置されていました。

駅は左右をトンネルに挟まれた場所に位置しています。
ちなみに、駅はこのような高架駅。
高架の下を山田川が流れる。
駅の上に見える道路が国道41号で、高架の下の道路がこの先で国道41号と合流しています。
橋の下には飛騨神岡駅バス停があります。

高架橋の橋脚にはこんな絵が描かれていました。なんとなく田舎を想わせていて良い。
向こうにも胡散臭いミッキーが描かれていますね。
駅前に湧き水があり、これを飲んでみると冷たくておいしい…。
空いたペットボトルに入れて旅のお共に持っていくのにはちょうどいい。

「幸土泉水」というらしいです。
昔から清水の湧く地として知られていて、水源を求めて訪れる人が絶えなかったらしい…。
バイパス道路が出来てもこうして水が湧いているとは、まさに奇跡の水と言えます。
湧き水のお隣に電話ボックスがあり、のぼり階段がありました。

この階段は駅の上を走る国道41号まで繋がっていて、国道を徒歩で移動する人への近道となっています。
こちらが飛騨神岡駅の駅舎。
駅舎には改札や駅事務室といった設備が見られず、代わりに何と美容室が営業していました。
おそらく昔は駅事務室だったところが店舗になっているのではないかと思われます。
駅無人化によって空いたスペースの有効利用ですね。


神岡鉱山前駅

2006.09.10 訪問
神岡鉱山前駅です。誰がこれを「駅」だと思うだろうか…。

国鉄時代は「神岡口」と呼ばれていました。
その名に恥ぬ風貌の駅です。

まさに鉱山の洞穴みたいな駅で、駅名が無ければ鉱山跡に出来た資料館か何かと勘違いしてしまいます。

ビニールシートを被ったディーゼル機関車が上に見えます。
ホームに登れば正面にこの機関車が見えます。
駅の真向かいに船津橋。橋を渡った向こうに工場群が聳えます。
その昔、工場廃水に含まれたカドミウムによってイタイイタイ病の発生源となった水域ですが、現在は橋の下に釣りをする人の姿も見られます。
んんん?
神岡警部という警察官がいる交番ですか?
船津橋を渡った先に交番があるようですが、随分変わった名前の交番ですね(笑)
駅の中に入ってみましょう。

まるで地下道のような四角いコンクリートのトンネルを進むと、やがてホームへ登る階段に出ます。

ジュースの自販機以外は何も無く、殺風景な駅です。
ホームへ登ったところにある待合室の内部です。

病院の待合室によくあるような長椅子が並び、駅文庫の書籍が正面にあります。

左の扉がトイレで、右側には写真には写っていませんが、きっぷの券売機が据え付けてあります。
駅のホームは二線の島式ですが、列車が発着するのは右側だけです。

ホームの先に駅の事務室がありますが、きっぷの改札等はありませんので、基本的に無人駅と扱いは変わりません。

列車の交換時には、駅員が出てきてタブレットの交換があります。

左側のホームは営業運転には使われず、洗車や回送といった業務に使われていました。
こちらがホーム左側の様子。
洗車装置のほか、車庫が建てられていました。




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