「運命」の人
私が22歳の頃、結婚には全く興味がなかったのに、実家に挨拶も無く結婚式場の予約、日時まで勝手に決めて
向こうの父親を通じて母に電話連絡をしてきた人。
実はこの人の勝手な行動に「まずい!!」と思ったから、上京して2年も経たないのにアパートを解約、
楽しく働かせて頂いていた職場も残念だけど辞めて、実家に戻っていた。
何故かというと、会って1週間しか経っていないのに、お互いの情報もほとんどないのに
「結婚」というワ-ドも口にしていないのに「結婚してもいいと思っているんだ」なんて言うから。
それ以来一切連絡しなかったのだ。
始めたばかりの仕事が楽しくてすっかり忘れていた頃電話があり、
喫茶店を出てからはっきりお断りしたのだが...仕事仲間と待ち合わせていた。
今思えばその時すでに決めていたようだ。仕事仲間の車で走った先で、私だけ車内で待たされ、
戻ると「決まった」という。不動産の営業のことだと思ったら二人で住むアパ−ト。
「母が心配するから」と言って自分のアパ−トに戻り荷物まとめて、急いで全てにけじめをつけて新幹線に乗ったのだった。
思い出せば悲しくなる結婚式。飾り気のないシンプルなホール、私の方は母と三人の兄。
元夫の方は両親と十人兄弟とその家族だけでも賑やかい。
母.兄たちに申し訳なくて顔を上げられなかった。目の下には、およそ結婚式とは思えない粗末な料理。
私がはっきり断ったから、慌てて予約したせいもあるかもしれない。惨めな思いを消したくてこのように書いたけど、
単に見くびられていたってことでしょう。
年頃にしては、普段から華やかさに欠けていた、アクセサリーもたまにポイントが必要かと思った時、バッジをつけるぐらい。
自分が婚約指輪も結婚指輪もしていないことすら気がつかなかった。
結婚してから、「銀座のホステスとしか付き合ったことがない、普通の人は初めてだ」と言っていた。
大女優に似た気に入りのホステスにかっこつけたのだろう、大金を預けたら持ち逃げされたとも話していた。
私のような「世間知らずの田舎者」のほうが、扱いやすい、おそらくそれだけの理由。
二十七歳でも「遊び疲れ」の人。
だから新婚でも愛情らしいことを感じたこともない。初夜に会話もなくあっち向きでサツサと寝てしまう。その様子を見て
「これからは、尼さんになったつもりで生きていこう」なぜかそういう気持ちになった。
上京していた理由が突然の父の死。その時遅ればせながら気が付いたのが、兄達の誰も結婚していないこと。
だから父は孫も見ずに逝ってしまった。
私が原因かもしれない、小姑なのだ私は、一時も早く家を出るべきだ。それが第一の理由。
母には「イラストレーターの勉強するから東京に行く。仕送りはいらない。働きながら勉強する」それは第二の理由。
母は私がイラストやレタリングを通信で勉強しているのを知っていたので、微笑みながらうなづいてくれた。
新幹線の中でまず考えたのが、仕事と住む所一緒がいいかも、ということ。、
真直ぐ代々木ビルの屋上にあった学生援護会に向かった。
以前と違いすっかりビルがさびれていた。階段を見上げると真っ暗、まるでお化け屋敷。
そこですぐ方向転換すればよかった。こんなビルなのに一階が不動産屋。ドアを少しだけ開けたら人がいた。
聞くと部屋のど真ん中に赤い公衆電話があり、「援護会は引っ越したよ。電話すれば?」と言いながら、
十円玉をいくつか入れる。電話が終わるとその間に書いたのか、メモを渡され、
「落ち着いたらここに電話して。ゴーゴー踊りに行こう」 ゴーゴーには興味ないし。
それにしても二・三人は子供がいそうなのに「気の若いおじさん」と思ったが、儀礼上バッグに入れた。
結局、駅で拾った新聞でその日から住み込みで働けたが、一人だけいた店員が交代で辞めて、つまらないから情報誌で
もっと楽しく働けるところを見つけた。アパートとデッサン教室も決まって張り切っていた一年半だった。
職場も安定していたし、デッサン教室でも美術館に一緒に行ってくれる友達ができたし
そんな時、バッグの中に・・・
ちょっと知らない世界を見るのもと、軽く考えていた。
全く私の存在自体、場違いなところだった。不動産屋は驚くほど慣れた感じでマンボとかジルバとか次々と楽しそうに踊る。
一時も早くここを出たいと思ったその時私に「踊ろう!」という。早々の体で店を出た。
当時ハウスキーパーのアルバイトをしていた先が、フラメンコのお店のオーナーで
ママが連れて行ってくれた時、客席でエスカルゴをごちそうになって
ママと素敵な踊り子たちのステージを拝見させていただけた。
だからゴーゴーも、ちょっとコーヒーブレイクで鑑賞のつもり。
まさか「踊ろう」なんて、逃げるしかないでしょ。ゴーゴーも知らない人にいきなり社交ダンスなんて。
生きていく世界の全く合わない人。27歳独身太り気味だったのはスポーツをやめたからだった。
その一週間後「結婚してもいいと....」そんなわけで実家に逃げ帰っていたのです。
夫は「子供はいらない」という。
兄達より先に結婚したからには、私にとって子供は必須だった。
体温計をくわえて計画出産。早朝に陣痛があっても起きてくれないから一人で病院まで歩いて行った。
病院のベットに乗ると同時に看護師が小さく「あっ!」と叫びすでに出産が始まっていた。
夫は病院からの連絡で入院の手続きに来たけど、私には顔も見せず一言もなく、初めての自分の子も見ずに帰った。
それでも不思議なくらいわだかまりも感じず、心は平静だった。
お互いの人生設計が真逆どうしで、そんな話し合いもしないうちに、無理やりジェットコースターに押し込めるのだから、
仕方ないでしょ。アパートの賃貸契約のようなわけにはいかない。キャンセルして実家に帰るよりはましでしょ?
それでも、生まれて2〜3か月のうちに実家に3人で行き、母が抱っこして記念写真を長兄が撮ってくれた。
よく行ってくれたと思う。無理強いしたわけでもないのに、それだけは心から感謝する。本人は絶対行きたくなかったはずだから。
それ以降1度も私の実家に行ったことはない。
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