帝国ミシン






 カタッ、カタッ、カタッ・・・・車輪を思いきり手前に引き、同時に足でペダルを踏む。
 それでも2,3針しか動かない。
 ミシン油をあっちこっちと注いでみてもダメだから「これかな」と上下の車輪をつなぐ細い革ベルトをつまんでみた。
 ちょっとゆるくなっている。ああ、駄目だ、我が家にはペンチがない。
 革のつなぎめを留めてあるピンをあきらめきれずに曲げてみるけど、頑丈にできている、
 そんなに簡単に曲がるわけがない。
 両手を膝に置き、しばらくミシンと、裾上げしようとしていた息子のズボンを眺めていた。


  今でも、ありありと浮かんでくる、幼いころの1シーン。
 母が、私の黄色いワンピースを縫っていて、そばで眺めていた丸っこい手の動き、足踏みミシンの音。
 忙しい母は、なかなか私の服を作ってくれない。
 既製服嫌いで買ってもくれないから、いつも着たきり雀。
  小学三年の頃、同級生の女の子がとても素敵なニットのジャケットを着ていた。
 いろんな色の格子柄で、既製服だった。
 みんなが寄ってきて「いいね」「素敵だね」と言っていたけど、私はうらやましいとは思わなかった。
  母がいつも既製品を見下していたし、私自身【いつも着たきり】に慣れてしまっていたので。
 服は洗い替えがあって、清潔であればいいのだと思っていた。
 でも,本心ではなかった。
  ある日、その子のお母さんが母に
「お嬢さんがいつも素敵なお洋服を着ていらっしゃるから、うらやましいとうちの娘が言いますのよ」
 母は満足そうに私を見て笑った。なんと、皮肉だという事に気が付いていないのだ。
 私の着ているものが手作りであることを相当誇りに思っている為に、友達に比べて圧倒的に数が少なく、
 地味なことにも全く気が付いていないのだった。
 「うちは既製品なんぞ着せないからね」
 「あの子はかわいい服たくさん持っているんだから、いくら手作りでも、うらやましいなんて思うわけないよ」
 母はまじまじと私の顔を見た。
 本当に、まじまじと瞬きもせず見つめられた気がする。
 悪いこと言っちゃった、と思ったけど、母はその時何も言わなかった。
 今にして思えば、かなりショックを受け、言葉が出なかったのかもしれない。
 夕食の時、父の前で
 「ずいぶん可哀そうな思いをさせていたよ」うるむ目を笑ってごまかしていた。
 その後、黄色いワンピースを縫ってくれた。
 「自分でデザインしてごらん。色も好きな色でいいよ」と言われ書いて見せたのが、半そでのシンプルな形で、
 スクリューネックに2センチ程の細い白えり。
 「ほう」と笑った。明かるい黄色の無地なんて恐らくダメ出しされる。
 汚れの目立たない色や生地しか私は着たことがなかったから。
 でも、その時だけはデザインの細かいところを聞きながら、そのまま作ってくれた。
 そのワンピースだけは毎日着ていても平気だった。


  私も忙しさにかまけて最近はミシンの前に座ることがなかった。
 「よし!」気合を入れて二針づつでも三針づつでもいいから縫おう。
 手縫いより時間がかかるし肩も凝るけど、このミシンと付き合っていること自体が楽しい。
 なんとか裾上げができた。
 何日かして、別のズボンのお尻がほとんどバーコード状態になっているのに気が付いた。
 中から当て布をして、細かくジグザグ縫いをすればまだ使える。大きなお尻で隠れるし。
 今度は裾上げより大変、それでも何とか仕上げた。
 二十三歳になってもまったく色気のない息子は、繕ったのでも平気で履いてくれる。

  次の休みはよく晴れたので、久しぶりに布団を干した。
 ついでに布団カバーを新しくしたが、安物の布団は小さめにできていて、カバーのほうが大きい。
 「あぁ、ミシンの調子が良ければ簡単なのになぁ」と思いながらも、又、、カタッ、カタッ、カタッ
 と縫い始めた。すると急にミシンがスムーズに走り出した。タタタタタ・・・・・

 修理してないのに、いったい何故?
 掛け布団カバーに、真直ぐな線がきれいに伸びていく。
 私の疑問もどこ吹く風、ケロッとして機嫌よく布の上を走っている。
 長い間使っていなかったので、駄々をこねていたのか。
  冗談のきつい年寄りが死んだふりしていたみたい。
 そういえば子供のころ、薄暗くなった二階の奥からシーツを被った母が
「お化け〜」と言って現れ、飛び上がったことがある。
【帝国ミシン】と誇らしげに彫ってある楕円形の鉄板をそっと撫で、唐草模様の足をふきながら、
 母は生きているんだと思った。
戻る