障碍児

  子供の世話ができなかったので、長男は三才になってもしゃべれない。
 だから子育てしたいと言って家にいると、また勝手に仕事を決めてきてしまう。その繰り返し。
  そのわずかなあいだの保育園か幼稚園の頃、今思い出しても不思議なことが2度あった。お帰りの道で
 普通の子のように、私の顔を見ながら楽しそうに一生懸命話しかけてくる。言葉は全くわからないが園の中での様子らしい。
  「うん、うん、そうなの」と相槌を打つとぴょんぴょん跳ねて喜ぶ。後で何度思い出しても夢ではない。
  同じ頃、夜眠れないので台所に行くと、すぐに追いかけてきて「かあしゃん、ねなしゃい」と泣きそうな顔で何度も言い
 私のパジャマの腕を引っ張った。私の生涯で二度だけ普通の母と子になれたひとときだった。
 後々思い出すたびに、あれはいったい何だったんだろうと不思議に思う。そして心が空っぽになる。
  ある時、長男が近所の同じ年の子ふたりに、ごみ用のポリバケツをかぶせられてコンクリート通路に倒れたまま、

 泣いて訴えることもできないのを見つけ、兄弟が絶対必要だと思った。
 もうこれは夫のわがままなど聞くはずがない!憤然と決行し、元気な次男が授かった。
  次男が生まれたことで、長男は生まれた時点ですでに、訴えることのできない子だったことが分かった。 
 長男は授乳していてもくわえたままじっとしている。私は初めてだし解らないから眠いのかと思い、外すとすぐくわえる。
 その繰り返しだったのでミルクに替えるのが早かった。看護師も忙しかったのか何の指導もなかった。
  次男の時はくわえるとすぐ、顔中真っ赤にしてそっくり返って泣き叫ぶので、腕から落ちないか焦ったが、
 すぐ気をとりなおしてむしゃぶりつく。またそっくり返って悲鳴のように泣き、あわてて看護師が飛んできた。
 そのおかげで分かったのは、母乳の出が良すぎて乳首が固まってしまうという。
 だから授乳と授乳の合間に常にもみだしていないと飲みたくても飲めないのだ。哺乳瓶に蓄えて
 保存してもらうことになった。
  このことがあってその後の成長を見ても、生まれた時点で性格はもうすでにあるんだなと分かった。
 長男は抱っこもせがまない、電車に乗っても窓外の景色を見ることもなく大人しくジッとしている子だった。
 ただ、これが障害児なんだという現象がいくつかある。理由も解らないが急に大声で泣きだし止まらない。
 同じ語を繰り返す。食事中にお箸をなげる。ちょっと目を離したすきに二階の窓から塀を乗り越え裸足で走り去る。
 何度も県外の警察から保護の連絡をいただいている。
  電車内やホームに大の字になって絶対動かない。誰も障碍児だとわからないから、「親の教育がなっとらん」と
 紳士風の老人が吐き捨てるように言われたこともある。


  長男は情緒障害.知恵遅れで、養護学校高等部から、都立なのに青森にある施設に今現在もお世話になっている。
 年に一度一泊二日で帰省できるのだけど、仕事もあり、ずっと呼べなかった。
 最近になってコロナウイルスの前に一度帰省させることができた。 
 小さい頃から次男がしっかりお兄ちゃんの腕を組んで歩いてくれたけど、本当に久しぶりとは思えないほど自然に
 打ち解けあっていた。
  これからは毎年必ず、と楽しみにしていたらコロナウイルスの騒ぎでできなくなってしまった。
 今まで都内の施設を見学したり、関係者の話も聞きに行ったりしたけど青森の方が環境もいいし
 何といっても言葉が優しい。親の都合より慣れたところ、馴れた人達と暮らす方が幸せかもしれないと
 この頃になって思うようになった。
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