現在・過去・未来
令和三年九月九日、元夫の榊は今日も元気。天井を向いていた新葉は少し痩せたがそれでも頭を持ち上げている。
大きい葉っぱの裏に隠れていた葉は相変わらずちょっとだけ覗いている。
神様と先祖の榊は一か月前後で買い替えるのに、元夫の榊に花が咲いたり新葉が芽吹いたりするうちに、
少しづつ私の気持ちも変わってきた。
この「帝国ミシン」の文章を書くまでは、つらく思うたびに
日記のように書いては破り、また書いては破って、誰にも言えない思いをごみ箱に捨てていくうちに考えが変わって
、子供の頃の幸せだったこと、おっとりと生きていたこと等思い出して、自分自身の心の平和の為に書いていたものです。
永い間私は生きて行くことだけに必死で、何も人のお役に立つことをしてこなかった。
せめて私の無駄の多い失敗だらけの人生の中で、誰かのお役に立つこともあるかもしれないし、
教えて頂けることもあると思って、恥も外聞もなく書いています。
夫も私も四苦八苦を背負って生きてきた同じ「人間」
人はみな過去の生き方に合わせて縁が生じ、現在の状態になっているのだと佛教に縁を得て教えていただいた。
今ひとつ父の過去・私の過去の理解に苦しんでいたが人間がこの地球上に初めて存在してからの、
有史以来の過去なら在り得る。
動物に限りなく近い状態から今日まで、魂は生き続け、戦い・争いの繰り返しで歴史が成り立っているのだから。
どんなに恵まれた人でも、人生の中で四苦八苦を経験するのはそういうことなのかと思う。
決して今見える状態を悔しいとか人を羨ましく思うことはないのだ。
悔しい思いをさせた相手も四苦八苦、羨ましく思う相手も過去・現在・未来の中でつらい思いを経験して生きるのだから。
父の兄弟と父の子である私の兄弟が全く同じ構成になっている。
多分だけど、将来自分の因縁で悩む私が、仏教に縁を得てから解りやすいように神様が、
そのように生命を与えて頂けたのかな、ふと、そう思った。私が結構鈍感で解るまで年月がかかるから。
「元夫」が「夫」であるうちに気が付けばよかった、サラッと思ったが
佛教を勉強しなければ解らなかったこと、していなかった重要なこといくつもあることにも気が付いた。
父の長兄と次兄が若くして亡くなり、祖父母は和裁の技術を習わせる為三男を上京させ、末の長女が婿を迎えて家業を継ぎ
父は丁稚奉公しながら技術を身に着けた。
、長女がお茶農家を継ぐよう婿を迎えるために長女の子金恵さんが、親せきをめぐる内に父といとさんの養子となった。
金恵さんにはそのいきさつが、心の傷として少なからずあったと思うけど、父のもとで育てられたのは幸せだったと思う。
母も、長男を初婚の家に置いてきた悲しみがあった。
父の妹も私の母も、そして私も長男と生まれて間もなく離されているのを考えると
私の方はそういう因縁だったことが解かる。
もっと早く仏縁を戴きたかったと思ったけど、つらい思いをさせられたのも、おっとり刀の私には必要だったんだなあと
今になって気づく。おかげさまで、いろんな職場でいろんな人と対応するうちに
、血液型がO型なのにA型と思われるほどテキパキと動けるようになったようだ。
長兄次兄三男の兄たちは誰も過去の悪い因縁を受けてこなかった。
父の仏縁と徳のおかげで兄弟みな元気で幸せに暮らしてきた。
私だけがいきなり濁流にのまれ流され、生きていただけ何の価値もない。
それでも私は父からの仏縁を戴いて、ようやく今平和を取り戻しつつある。
そんな自分に今更何ができるのだろうと思いながら、自分を文章でさらけ出す中から
誰かが私のようなひどい目に遭わないよう、何かひとつでもお役に立つことを見つけて欲しいとの思いで書いています。
やはり元夫にも長男にかかわる因縁があった。ただ私の方は三人とも長男が生まれて間もなく母親と離されたが、
元夫の方は複雑で生涯長男夫婦と父親夫婦がうまくいかなかったり、離婚で父親だけ離されたり、子供事態なかったり等。
租祖父の一周忌が済むと祖父は列島を縦断して東京に。それ以来百年以上お墓参りをしていないと義妹が言っていた。
はっきりと祖父本人にも家族全員にも、後々にその因縁が現れているようだ。
義父母が元気な時は、毎年大みそかに全員家族を連れて集まり、にぎやかで楽しかったのを思い出すから
こんな事を列記するのも悲しすぎるけど、因縁がはっきりと現れているのを多くの人に見てもらって
対処する人が一人でも現れたら供養になると思うので書きます。
先祖の扱いに不備があれば本気で早めに行動して頂ければと思います。
元夫の十人兄弟の状況
義父は、長男の腕を認めずだれにも仕事自体継がせず、辞めた後他人に店を譲ってしまった。
次男は離婚して一人っ子の長男を母親がつれていった。
三男は男女二人の子が大学にまだ在学中に夫婦とも次々と病で亡くなってしまった。
四男は子供自体出来なかった。
五男は離婚再婚を何度も繰り返していたので仔細は解らない。
六男は前述のとうり。
長女は二人男の子を連れて離婚。
次女は子供にめぐまれなかった。
三女は女の子一人いるが、まだまだという年齢でご主人が亡くなってしまった。
四女は独身、五十歳の若さで亡くなった。
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