父は仏教徒

  まだ青年だった父が自分より若い菩提寺の和尚さんの弟子になり、すでに改名まで頂いていたという。
 父は昔の昆布巻き式のおむつの当て方で股関節脱臼になってしまったらしいとと母から聞いた。
 長男・次男はそういう目にあわなかったのに三男の父だけ、生まれたばかりで生涯つらい思いをすることになってしまった。
  祖母はそんな父にも容赦なく、三人の兄弟に一人一本ずつ畑から大根を抜いてくるよう言い、
 長男と次男はさっさと帰ってきたが、父は引きずってくるしかないので家に着いた時、大根は無惨な状態になっていたという。
 昔は障碍のある人に世間は甘くなかったから、強くなるように鍛えたのだろうと思う。
  戦争がはじまると、赤紙で男は駆り出されお国のために戦う。
 そんな時、病人や障碍のある人はお役に立てない。当時白血病で除外された人が、周りから次々と知り合いがいなくなる中で
 辛かったという話を聞いたことがある。 若かった父が、仏教に救いを求めた思いが解る。
  戦後、男性が戦地に向かう中、玄関には女性たちが外まで溢れたという。
 父は和裁、母は洋裁の教師の資格のあることが噂になったからで、苦学生も多く受け入れていた。
  小学五年生くらいだったある日、玄関の上り口で座っている父に、母がそばで何か言っている。
 「どうしたの」というと母が振り向いて「行きたくない」っていうからさ、と笑う。
   父が戦後の混乱期に苦学生を多く養成したことを知っている人たちが「なんだ、まだ貰ってないのか」
  と役所に行って手続してくれた。
  そんなわけで賞を頂けることになったので、出かけるところだという。
  市からも国からも頂いて母は緊張気味、微笑む父の写真の胸に大きな白いバラのリボン
  いい夫婦だったなあと遺影を見る度に思う。
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