鉄道写真いろいろ@エムサ菌総合研究所
惜別 新京成電鉄800形
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 新京成電鉄の自社発注車第2弾として、また同社初のカルダン駆動車として1971年に登場 した『800形』が、2010年7月17日に行なわれるダイヤ改正による運行本数見直しで余剰と なり、遂に姿を消すこととなりました。

 1975年にかけて36両が製造された800形は、車体が従来の新京成車両 (京成 電鉄から譲受された更新修繕施工車) より大型化されたものの、京成3200形の前面と 従来形の側面を合わせたようなデザインとなり、台車は京成3300形に準じたコイルバネ式、 MT車比率は1対1、主電動機出力は130Kw、ブレーキは自動空気式と全般的に手堅くまとめられ ました。
 1985年以降全車が冷房化と発電制動付き電磁直通ブレーキ化改造を受けたことで8000形と 同等レベルの車両となり、また1995年にはスピードアップ対応のための編成組み替えが 行なわれる (この時に付随車8両が廃車) など情勢の変化に応じて 手を加えられながら活躍してきましたが、1990年に旧型車が全廃されて以降は800形が最も 古い形式となり、近年のN800形新造車の導入や京成千葉線直通運転に関係する車両陣容の 変化から一部車両の廃車が行なわれた結果、2010年4月1日現在8両編成2本・計16両が主に 朝ラッシュ時用として残るのみとなっています。
 その後登場した車両と比べて乗り心地はそれほど悪くなく、車内の手入れも行き届いている ように思うのですが、車体外部を見るとやはり老朽化が隠せなくなっているのが窺えます。  そしてd1D4D4D2 (先頭車の場合) の側面配置や、片開き式側扉の 窓が上下に小さいところ、そして車内の塗装部分がその後の車両と比べて多いところに、 実際の経年よりも古い車両であるような印象すら受けてしまいます。

 このページでは、私が遠い過去に撮影していた800形の写真を少しと、元気に活躍していた 当時の写真を貼ってまいります。

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1987.1.2 京成津田沼

 私が初めて撮った800形です。 1985年に始まった冷房改造の前後で前面デザインが何度か 変わり、この顔は5種類存在したうちの『3番目』のものです。 冷房化の際に貫通路を埋めら れてこの顔になったそうです。

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1987.1.2 八柱

 原形のイメージを濃く残している『2番目の顔』の800形です。 モハ804ほか。
 原形は、向かって左の標識灯の右にジャンパ栓受らしき箱と、貫通扉にサボ挿しがあり、行先 表示は向かって右腰に折り返し式のものが付いていたそうです。

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1989.3.30 京成津田沼

 今に至る『5番目の顔』です。 中央の幌枠のようなステンレス帯は飾りで、非貫通となって いるのは変わりありません。 この顔に至る前に、行先表示幕はそのままにライトを腰に下ろし 幌受けとほぼ同じ大きさのステンレスの飾りを付けた『4番目の顔』が2両存在していたそうです。
 このときもまだ『2番目の顔』の車両がいて撮影した記憶もあるものの、アルバムに入って いませんでした。 アルバムに入れる際にボツにしたのでしょうか? (出来 上がった写真は逆光がきつかった記憶がある)

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1996.10.12 くぬぎ山車両基地

 くぬぎ山車両基地の一般公開の折に撮った、新京成電鉄の車両ラインナップです。  当時の最新型は8900形で、その赤帯の色も現在とは異なり『桜色』でした。
 画像の両隅にも800形が写っており、この時点で既に800形は第一線から引いていたことが 窺えます。

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1998.1.9 新鎌ヶ谷付近

 朝目が覚めると外は雪化粧、用事がないならこんな日は撮影だ! ということで、カメラを 持って外に飛び出しました (ただ、何故新京成を選んだのかは憶えて いない)
 新鎌ヶ谷駅近くを走る、モハ811〜モハ810の8両編成です。 現在この付近では高架化工事が たけなわで防護柵などがものものしく、走行写真の撮影は望むべくもありません。

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1998.1.9 新鎌ヶ谷付近

 新鎌ヶ谷駅に停車中の、モハ818〜モハ809の6両編成です。
 高架化工事による仮線・仮ホーム移設前はご覧のとおりの対向式ホームで、松戸方面のホーム へは一旦津田沼方面のホームに上がってから跨線橋を使って移動するようになっていました。  新京成の駅開業時から高架化の具体的な計画があったのか、駅施設は新駅とは思えない仮設 風味で、ホームの駅名標や広告類に電照式のものがないなど全般的にとにかく安く仕上げたと いうような印象がありました。

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1998.1.9 北習志野

 モハ811〜モハ810の8両編成の松戸行きを後打ち。 このときはポジフィルムを ヘタなのに使っていましたが、逆光に加えて露出の設定を失敗し、 画像化の際に補正を試みたもののこのあたりが限界でした。 当然のことではありますが、 やはり原版以上の出来にはなりませんね。

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1998.1.9 北習志野

 この日は撮影しているうちに時刻表通りに電車が走っていないことに気付きました。 日中 10分間隔のはずなのに、8〜9分程度の間隔で次の電車が来ていました。 撮影していたのが昼前 以降だったので朝からの乱れが続いていたとは考えにくく、雪に備えて臨時電車を走らせていた のかもしれません。
 なお、この日の800形は6両編成と8両編成が1本ずつ、計2本が動いていました。 

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1998.1.9 薬園台−前原

 モハ809を先頭に、夕陽を浴びて疾走する。
 いくら快晴とはいえ真冬で日没は早く、これの撮影条件もかなり厳しかったと記憶しています。  靴の中まで濡れたのも厳しかった・・・

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2005.10.25 新津田沼

 昼間の運用に就いているモハ818〜モハ809の6両編成です。 もう1本あった6両編成はN800形 の登場を受けてこの時点で既に姿を消しており、この編成も2007年に8800形の編成組み替え完了 に伴い廃車となりました。

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2010.4.26 新鎌ヶ谷

 8両編成2本体制になった時点で、先はそれほど長くない・・・ と感じた一方で、8800形の 編成を組み替えたためか8両編成の本数がギリギリになっていたようで (朝 ラッシュ時の8両編成運用に6両編成が計画的に代走するということもあった) 、 新造8両編成の導入がない状況では800形は案外細く長く生き延びるかも・・・ と思っていた こともありました。
 800形の全廃が報じられた2010年6月発表の『ダイヤ改正のお知らせ』では、その理由が『朝 ラッシュ時の運転間隔の一部延長 (エムサ菌注、運行本数を削減) に よる余剰のため』とされ、代替車もN800形6両編成1本だけとのことで、どちらも予想できな かった結果に驚くとともに、話がずいぶん急に出てきたなぁとも思いました。

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 ここからは、私が『昭和30年代の雰囲気を今に伝える』と勝手に思っている、800形の車内の 様子を見てみましょう。

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2009.5.28 松戸(停車中車内)

 まずは車内の全景から。 車両はモハ811で、運転台背後から見てみます。
 座席下の蹴込み板やカーテンキセ、吊手支持棒は塗装仕上げとなっています。 貫通路は 1100mmと幅広で、車内枕木方向の吊手も無いため開放感があります。
 戸袋窓の車内側には、京成の片開き扉車両と同様に横桟が入り保護棒も付いています。  側面の2段窓のうち下側は後天的な改造により固定され、開かないようになっています。  サッシ下両隅の止め具があった場所には、改造が行われた当時の最新型だった8900形の正面 イラストが描かれたプレートが付いています。
 壁面は濃い目のクリーム色無地の化粧板ですが、1997年頃に化粧板の色がベージュ系だった 800形に乗った記憶があります。 1998年頃の雑誌記事を見てみると別の編成が定期入場の際に 化粧板を交換したという記事が載っているので、1997年の記憶は化粧板交換前で今の車両は 化粧板交換済み、ということなのでしょう。 全体的に古臭くはあるものの、色褪せた化粧板が そのままの近年の8000形と比べれば手入れは行き届いているように感じています。

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2009.5.28 松戸(停車中車内)

 モハ811の乗務員室と客室の仕切りです。
 仕切り直後には座席が無く、吊手と側面窓下に手すりがあります。 仕切り窓の着色ガラス化 は近年の施工で、同業他社の流れとは逆を向いているようです。

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2008.7.30 松戸(停車中車内)

 中間車化の関係で貫通路幅が狭くなっている個所があり、そこには引き戸が設けられています。  800形の扉は側面・乗務員室仕切りともにステンレス製無塗装 (窓ガラスは 押さえ金支持) ですが、貫通扉に関しては塗装仕上げ (窓ガラスは Hゴム支持) となっている車両もあり、少なくとも画像のモハ816とサハ857を確認して います。

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2009.5.28 松戸(停車中車内)

 サハ859の乗務員室撤去跡の様子です。 この車両は乗務員室の痕跡を残し機器を撤去した だけのスタイルで実質的な中間車化改造が行なわれており、助手席側には扉がなく立ち入れる ようになっていて (運転台側は扉が閉ざされ入れない) 、独特な空間 を味わうことができます。

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2008.7.30 松戸

 サハ859 (左) とモハ812の連結部分です。 側面の窓ガラスは 乗務員室扉と同じ幅の窓ガラスが、Hゴム支持で入れられています。
 乗務員室撤去車は各編成の中ほどに1組、当該部分が向かい合うように組成されています。

 もともと800形のモハは全車先頭車だったので、中間車スタイルのモハ800形は乗務員室の 痕跡を残さず完全な客室に作り変えているものです。 パンタグラフ搭載位置と側扉の開く方向 が乗務員室と反対側にあるので、車号の偶数奇数の関係とともに改造された個所の判別は容易 です。
 またサハ850形はクハとして登場した車両と最初からサハとして登場した車両があり (車号による区分はなかった) 、元クハはモハと同様に車体の中心 と中央扉の中心が一致しておらずに全体の配置が後に寄っているのに対し、もとからのサハは 車体中心と中央扉の中心が一致しているため、隅柱の幅の違いで改造車か否かを見分ける ことができます。

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2010.7.7 エムサ菌