鉄道写真いろいろ@エムサ菌総合研究所
西武トレインフェスティバル2011in横瀬

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 西武鉄道には博物館のような施設はないものの、まとまった数の廃車車両を横瀬車両基地で 静態保存しています。 この中でも、1984年から1987年にかけて廃車となった電気機関車・ 4形式4両は、大正末期から昭和のはじめにかけて路線や列車の電化に備えて鉄道省 (後の国鉄) や青梅鉄道 (現.JR東日本・青梅線) が欧米のメーカーから輸入したものを西武鉄道が譲り受けて使用してきたもので、その後国内 メーカーの手により製造された機関車とは異なり舶来品という呼び名が相応しいデザインで、 また鉄道の歴史から見てもその存在は貴重なものといえるでしょう。
 私は、2004年12月の秩父夜祭に伴う臨時列車の撮影や101系さよなら運転に参加したことを きっかけとして西武鉄道に対して極めてゆる〜い関心を持っていました。 それより前から 保存されている輸入電機の存在は知ってはいましたが、それらが毎年10月のトレインフェス ティバルで展示されると聞き、いつかは行きたいものだと思っていました。 しかし実際には 都合が合わなかったり開催時期を失念したりして行けておらず、2011年になってようやく念願 が叶うことになりました。

 このページでは、2011年10月2日に開催された『西武トレインフェスティバル2011IN横瀬』 の際に撮影してきた写真を展示してまいります。 例によって私の備忘録のようなページ ではありますが、お楽しみ頂ければ幸いです。
 なお、撮影日・撮影場所等は全て同じ (2011年10月2日、西武鉄道横瀬車両 基地) ですので各々の画像に対する表記は省略させて頂くほか、西武鉄道に関しては 以下単純に「西武」と記させて頂きます。

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 まずは、展示されていた各保存車両について車両別にご覧頂きます。 車両の説明については 西武に詳しくない私が多くを書くまでもないということで、私見塗れのごく簡単なものに留める ことにします。

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 E41形E43です。 青梅鉄道がイギリス・E.Eデッカー社より輸入した車両で、製造は 1930 (昭和5) 年2月、戦時中の国有化を経て西武入りしました。
 同形車が東武鉄道・近江鉄道で活躍していたこともあり、私鉄の輸入電機のなかでは比較的 ポピュラーな車両と言えましょうか?

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 E51形E52です。 鉄道省がスイス・ブラウンボベリ社より輸入した車両で、製造は 1924 (大正13) 年2月です。
 前面窓が大きいのに対してずらりと並んだ側面窓が小さく、動輪が大きく腰が高い車体、 妻面両側が絞られていてスリムに見えるところなど、他の輸入電機と比べて一味違った雰囲気を 持っています。 この車両を見たいがために横瀬に行ったようなものです。

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 E61形E61です。 鉄道省がアメリカ・ゼネラルエレクトリック社より輸入した車両で、 1923 (大正12) 年4月製造。 国鉄ではED11形を名乗り、2両存在した うちのもう1両は浜松工場の入換用として使用された後保存され現在はリニア鉄道館に展示されて いるため、2両とも現存していることになります。

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 ED10形ED10 2です。 鉄道省がスイス・ウェスチングハウス社より輸入した車両で、 製造は1923 (大正13) 年1月です。 輸入電機のなかでこの車両だけ 車号や塗装が違いますが、これは西武で廃車された後に国鉄当時の姿に復元されたもので、 西武での現役当時はE71形E71を名乗り、塗装も他の形式と同じでした。

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 D15形D16です。 1969 (昭和44) 年にブリヂストン東京工場 専用線用として日本車輌で製造された総重量15トンのディーゼル機関車で、同線の廃止に伴い 西武入りしたものです。 既に西武でも廃車となっていますが、車両基地内での入換用として 現在でも使用されています。

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 E851形E854です。 1969 (昭和44) 年の西武秩父線開業に よる石灰石輸送用として4両用意されたうちの1両で、民鉄で唯一のF級 (6軸 駆動) の電気機関車です。 石灰石輸送のトラック輸送化や老朽化により1996 ( 平成8) 年に4両揃って廃車され、E854号機1両が保存されています。

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 E31形E31です。 1986 (昭和61) 年から翌年にかけて、 それまで保線資材輸送に使用していた前記の輸入機の代替用として所沢車両工場で4両が製造 されたもので、国鉄から譲り受けたDT20A形台車の他、手持ちの電車用部品を多用した車両です。
 保線資材輸送の機械化や機器の老朽化に伴い2010 (平成22) 年に 廃車されました。 3両は大井川鉄道 (「鉄」は旧字体が正当) に譲渡 され、西武ではE31号機が保存されています。

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 スム200形スム201です。 袋詰のセメントを運ぶ「鉄側有蓋車」です。
 車号の下に2本線が引かれているのは、国鉄への直通運転ができる車両であることを示す ためのもので、車種としての鉄側有蓋車ともども今となっては希少な残存例ではないかと 思います。

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 ワフ100形ワフ105です。 これもまた今では希少となった「有蓋緩急車」です。
 会場で頂いた告知ポスターに載っている去年の会場の様子を示す写真が載っていますが、 これに写っているスム201・ワフ105ともに塗装の剥がれやサビが見られました。 しかし 今回展示されていた車両はどちらもつやのある塗装になっているので、1年以内に塗り直された ようです。

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 モハ501形モハ505です。 1954 (昭和29) 年より手持ちの 機器類と自社・所沢車両工場で製造した車体を組み合わせた車両で、後年411系を経て351系に 改称され、晩年はMTMの3両編成を組んで多摩湖線で活躍していた車両です。
 廃車となったクモハ355は解体を免れ、1998 (平成10) 年に旧塗装に 復元した際に車号がもとのモハ505に戻されました。

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 5000系クハ5503です。 1969 (昭和44) 年の西武秩父線の 開業に合わせて準備された特急車で、『レッドアロー』の愛称で知られています。
 陳腐化したため10000系『ニューレッドアロー』に代替されて廃車となりましたが、竣工が もっとも早かったクハ5503と5504は西武で保存されているほか、車体のみが富山地方鉄道に 譲渡され、JR他より譲り受けた床下機器と組み合わされて現在でも稼動しています。

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 101系クハ1224です。 西武秩父線開業に合わせて製造が始まった通勤車で、一時代の 西武を代表する形式といって差し支えないと思います。
 クハ1224は多摩川線で101系としては最後まで運用されていた車両のうちの1両で、どうやら 正式に保存する運びとなったようです。 廃車後床下と車体に対して再塗装が行なわれて窓周りの ベージュ塗装も復活し、きれいな姿になっています。

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 保存車だけではなく、現役のトンネル補修用のモーターカーも展示されていました。
 説明文の『トンネル裏の隙間を埋める作業』という表現が、同行していた友人・I田氏の ツボにはまったようです。

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 そして保存されているのは車両だけではありません。 池袋線山手跨線橋 ( 池袋−椎名町間で山手線を跨ぐ橋) で使用されていた橋桁と煉瓦造りの橋台もごく一部分 だけではありますが移設の上保存されています。
 建築物など施設の保存は難しいと聞きますが、これの保存に西武鉄道の歴史に対する意識の 高さや器の大きさを感じ入った次第です。

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 ここからは、エムサ菌的視点で撮って選んだイベントの点景のような写真をご覧頂きます。

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 E31とE52の並び。 E31の秩父方にはさよならのヘッドマークが貼られたままになっています。
 ちょうどこの写真を撮る前あたりに係員が各車のパンタグラフを上げに来たので、パンタを 下ろした車両の写真も混在しています。 再度撮りに回れないこともなかったのですが・・・

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 E31とE52。 後者は前者に置き換えられて廃車となったのですが、それから25年経って旧型機を 追いやった新型機も老朽化のために廃車になって、保存車として並ぶことになりました。

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 E71とED10 2の並びです。 撮影タイム中に撮ったもので、手前側に黄色いテープによる 規制線があり、それを持った係員が右手に写っています。 ちなみに撮影タイムは車両ごとに 10〜15分ずつ設定されていました。

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 E43+ワフ105。 E43の空気ホースに触れる幼児が映っていますが、他にも大人も子供も 連結器を操作していたり子供をデッキに乗せて記念撮影する親も多くいたりと、他社のイベント だったらまずできないシーンをそこここで目撃しました。 イベント主催者側が車両に触れる ことを否定していないのが大きいのでしょうが、見学者側の危険に対する自己責任の意識も 規制されていない分だけ高いのかもしれません。
 ちなみにスム201はE52と連結されていました。

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 車両にそれなりに近寄れるから・・・ というわけではないですが、スム201の足回り・2段 リンクを撮ってみました。
 軸箱の上に「十三」の標記があります。 ワフ105には「十五」と書かれていますが、これは 耐軸重のトン数でしょうか? それにしても床下まできれいに再塗装され、嬉しい限りです。

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 E61の側面です。 「下が切れた円で囲った野球のボール」の社紋 (「西」を 図案化したものらしいが、囲む円と繋がっていないのでボールにしか見えない) は プレートになっているものの、車号はペンキ書きとなっています。 てっきり切り抜き文字でも 付けているのかと思っていました。

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 電車、それも古い世代の車両が展示されていると、どうしても床下に目が向いてしまいます。
 画像はモハ505が履いているDT10形台車で、原形は平軸受だったはずなので後年西武の手で コロ軸受化改造を行なったものと思われます。 美しく保たれているのですが、主電動機を 載せていないのがちょっと残念です。

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 西武は戦後すぐから国鉄の車両や機器を譲り受けたことから、高性能化前の西武の車両では 旧型国電でおなじみとなっている機器類が多く見られます。 モハ501形は手持ちの機器を利用 したそうですが、それでもやはり旧型国電の機器が目立っています。 またモハ505は名義上木造 国電を譲り受けた車両らしく、台枠も木造国電のものを流用しているらしいです。

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 モハ505の反対側の床下機器です。 旧型国電であるならばこちら側には電動空気圧縮機や 電動発電機が鎮座しているはずですが、それらは固定編成を組んでいた付随車に搭載させて いたそうです。 全体的に国鉄臭が他社より強い西武の車両ですが、機器の分散配置による 重量の平均化を図るところは、やはり民鉄の車両ですね。

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 撮影タイムの間に限って、クハ5503にはヘッドマークの復元品が取り付けられていました。  確かにヘッドマークのない顔は、どこか間の抜けた感じがしています。
 写真には運転区間の書かれたヘッドマークがついていますが、これは初めて見ました。

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 クハ1224にも、撮影タイム中は「急行・奥武蔵」の円いヘッドマークが付けられていました。  しかし行先表示が白無地で種別板も付いていないのはやはり物足りないです。
 行先表示幕が多摩川線運転当時のままだから無表示なのか、車輪に塗り残しがあり在姿の まま再塗装したことが窺えて残念、電気連結器がないのも残念、とは同行したI田氏の弁。  来年に期待しましょう。

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 初訪問で勝手がわからなかったことに加え、クルマで行き会場裏手の駐車場から直接入れた ためにイベントの全容を把握したのが撮影を始めてからで、同行していた友人の目的や移動も あって結果的に撮影タイムなどほとんど関係なく適当に撮りに回っていました。 それ故 公式写真的な撮影は困難が伴い、さらにED10 2やE854は停められた場所の関係で側面の撮影は できませんでした。 もっとも、展示車両の配置は毎年違えているそうで、また撮影タイムに 合わせて撮りに回れば効率がいいことがわかったので、次回以降の楽しみにしておきましょう。
 イベント開催から本ページ公開まで日数が空いているため、既にインターネット上には いくつかのレポートページがあるようで、実車の知識に乏しく地理的に遠い私にかかると 「後出し」感が強くなってしまいます。 留置線の規模と展示車両の多さのバランスによる 相対的な狭さであったり、写真撮影のみを前提とした展示方法ではなかったためか、撮影できる アングルはどうしても限られてしまうので、他所様のレポートで見たのと同じような画像の羅列 になってしまっているんだろうなぁとは思っています。
 なお、イベントとしては鉄道グッズや鉄道部品の即売、ヤギの展示、子供向けのミニSLや遊具 などもありましたが、これらについては撮影をしていないため掲載を見送りました。

 ご覧いただきありがとうございました。

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2011.10.5 エムサ菌