鉄道写真いろいろ@エムサ菌総合研究所
'90年代前半の房総ローカル

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 皆様ご存知のとおり、国鉄時代、通勤・近郊形電車の新車投入先は大都市圏の幹線など 一部に限られ、都市圏外縁や地方の電化線区でローカル輸送を受け持つ車両は大都市圏から 転じてきた「お古」が充てられているものと相場が決まっておりました。
 私の近所では横浜線の103系が該当しましたが、初めてそれを意識したのは法事のために 千葉県鋸南町にあった従兄弟宅を訪れた時に見かけた内房線普通電車でした。 1985年ごろで 当時私は小学生、鉄道の知識はあまりありませんでしたが、横須賀線と同じ色の113系なのに 窓回りのデザインが違っていてなんだか古臭いなぁ、と感じたものでした。
 そして1990年夏、従兄弟宅に初めて遊びで行った際に乗車した内房線普通電車には冷房が なく、屋根上にグローブ形ベンチレーター (以下「グロベン」) が 載っていたこと、しかし車内は更新され横須賀線の113系よりもきれいだったことに軽い カルチャーショックのようなものを受けました。
 そしてそれらの体験が下地になったのでしょうか、カメラを持つようになり行動範囲が 拡がってくると、房総ローカルの113系の姿に接しに行くようになりました。

 このページでは、私が1990年代前半に撮ったものを中心とする『房総ローカル』113系 の写真を展示してまいります。 主に撮影対象としていたのは側面窓が非ユニットサッシ の『丸窓』車両で、似たような写真が多く拙い撮影技術、劣悪な保存状態などで甚だ自己 満足の感もありますが、ご高覧頂ければ幸いです。

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1991.8.19 安房鴨川

 私が初めて撮った房総ローカル113系の写真です。 家族で鴨川へ1泊旅行に行った時で、 往復はクルマだったので早起きして駅まで撮りに行きました。
 写真は外房線240M・千葉行きで、反対側の先頭車は非冷房更新車だったような気がします。  前面種別表示が濃紺地で「LOCAL TRAIN」表記のある普通幕を掲出しているのも、行先表示 幕化以前の房総ローカルらしさ満点だと勝手に思っています。

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 翌1992年夏、習志野市にある母方の祖母宅に遊びに行った際、写真を撮るために千葉駅 まで行きました。
 この頃はJR東日本がローカル電車の冷房化を進めていて、房総ローカルを受け持つ幕張 電車区の113系にも冷房車が出始めた頃でした。 また内房線・外房線の『夏ダイヤ』による 運行本数増加もあって113系が足りなくなったのでしょうか、165系6両編成の代走も見られ ました (撮影はしていない) 。 さらに、それまで『普通』しか 表示していなかった113系の前面種別表示器に色分けされた行先表示幕が入れられたのも この頃でした。
 当時は今と違って情報源が限られ伝達速度も遅く、来た電車の写真を撮るだけで1か所で 長い時間粘ることはしませんでした。 また知識レベルも低かったため同じ列車の反対側の 先頭車に回り込むこともせず、そもそもそうおいそれとシャッターを切れなかったので、 多くの写真を残すことができずに今となっては残念に思います。

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1992.8.12 千葉

 この頃出てくるようになった、AU712分散クーラー搭載による冷房改造車です。
 それまで行なわれていたAU75系集中クーラーによる本式の冷房化工事と比べてコストが 安く工期も短く済むので、この方式をとった冷房車が増えることとなりました。 また 写真の編成は車体更新工事も行なわれており、その後国府津電車区などから経年の浅い 113系が転属してくるまでの間、房総ローカルではこの形態の113系が一般的なものと なりました。
 成田線1459M・成田行きを後打ち。

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1992.8.12 都賀

 この時は千葉駅で写真をちょっと撮って、一旦モノレールで都賀へ行き、JRをちょこちょこ 撮りながら千葉に戻る・・・ というルートで回りました。 今思えば大したことのない 移動距離ですが、当時横浜市に住んでいた高校生には千葉から2駅奥というだけで とてつもなく遠くに来たと感じたものでした。
 都賀に入ってきた総武本線373M・銚子行きは113系の4両編成『マリ96 ( 幕張電車区96番編成、の意) 』、全車非冷房で最後尾のクハ (写真、 東京方) はグロベン搭載車という、今の私が見たら熱くなること間違いなしの車両 ですが、当時の私はただ撮っただけ。

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1992.8.12 千葉

 都賀から千葉に戻る際に乗ったのが写真の『マリ276』編成でした。 この車両、側窓 開口部の下辺に腐食によるものと思われる親指大の穴が開いており、驚くとともに 相当状態が悪いんだなぁと感じました。
 東京方の前照灯が原形の『デカ目』で、腰の塗り分け位置が高い横須賀色では湘南色 以上に凄みのある表情にように感じます。 後に知ったことですが、房総ローカルでは シールドビーム化改造が行われていた車両が相当数あり、若番車の多さの割にデカ目は 少なかったようです。 ただ当時はそんなことに意識が向かなかったので、『房総ローカル のデカ目写真』は私が撮ったものではこれが唯一です。
 折り返し総武本線1375M・成東行きを後打ちで。

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 1993年7月2日、この日に定期運転を開始した255系を撮りに京葉線に行きました。  そうなると撮影後は当然のように蘇我経由で千葉に出て・・・ ということになりますが、 この時はあまり写真を撮っていません。 入っていたフィルムを最後まで撮り切るだけで 終わりにしたのは、その時使っていたコンパクトカメラの調子が完全ではなかったことや、 天気があまり良くなかったこともあったかもしれません。

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1993.7.2 千葉

 蘇我から千葉まで乗った列車に組み込まれていたモハ112-120、グロベンを搭載したAU712に よる冷房化車両です。
 わかりにくいですが車内の扉は鋼製のままと見え、またクロスシート背もたれの手すりも 半円形の原形で、純粋に冷房化改造のみを行ったようです。 確か先頭車に乗って千葉まで 行き、ホームで眺めていて車番とクーラーに目が向いてこれを撮ったのでしょう、車内の様子 には時に気に留めていませんでした。

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1993.7.2 千葉

 中間にモハ112-120のユニットを組み込んだ『マリ252』・4両編成です。 写真手前・安房鴨川 寄り先頭車の側扉窓支えは205系と同様の押さえ金式で、側面にも行先表示機が設置されている ので、少なくともこの車両は車体更新工事を行なったものと思われます。

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1993.7.2 千葉

 幕張電車区の113系には、東京地下線に対応した総武快速線運用の11両編成とその増結車で ある4両編成、そして房総ローカル用の4両編成と6両編成がありました。 このうち6両編成 には、東京地下線にも対応した車両で組成された『300番代』を名乗る編成が何本かありました。

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 デビューした255系が特急『ビューさざなみ』で内房線を走る、これには私が反応しない はずがありません。 早速これに乗って従兄弟宅へ遊びに行こうと考えました ( 親戚関係には私の鉄道好きが知られていたので、お誘いもあった) 。 しかし 『ビューさざなみ』の停車駅は当時少なく、館山まで行って戻ることになるので、それ だったらと同じく255系でデビューした『ビューわかしお』に乗って外房線経由で行く ことにしました。
 そしてこの指定券を乗車1ヶ月前の発売当日に買いに行った足でディスカウントショップに 行き、セールで安くなっていた一眼レフカメラを買いました。 そうなると従兄弟宅には当然 これを持参ということになり、従兄弟も鉄道にまったく興味がないわけではなかったようで、 一緒に従兄弟宅の近所を自転車で撮影に回りました。

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1993.8.11 保田−安房勝山

 吉浜を行く113系『マリ242』・4両編成。 クハは車体更新+AU712クーラーという『房総 ローカルのスタンダード』。

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1993.8.11 保田−安房勝山

 妙本寺を行く『マリ240』。 この当時はまだ沿線の道路整備が進んでおらず、夏の レジャーとしての海水浴の地位が高かったんでしょうね。 夏ダイヤにも元気があり、 運転本数も通常期と比べて多く効率よく撮影できました。

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1993.8.12 安房勝山−岩井

 長い直線コースだからでしょうか? 地元では「長道」と呼ばれるところを行く4両編成 『マリ242』。 吉浜然り妙本寺然り長道然り、地元民の案内があり自転車でないとこうも 細かく撮影地を回れません。

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1993.8.12 安房勝山付近

 一時期、液晶式の列車番号表示装置の試験運用が複数の電車区で行なわれました。
 幕張電車区でも実施されており、写真のとおり既存の列車番号表示はそのまま使用停止 とし、助手席側窓に液晶式の表示装置を取り付け、そこにあった編成番号札は既存の列車 番号表示の下に移設していました。 この編成の反対側はわかりません。 何故ならそれは この列車が187M・安房鴨川行きで、『新聞電車』クモユニ143を連結していたからです。
 結局液晶式は本採用にならなかったようです。 年数を経てLED式の表示機が採用され ましたが、幕張電車区の既存編成には取り付けられませんでした。

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 従兄弟宅から祖母宅へそのまま遊びに行きました。 しかし祖母宅では特にやることがなく、 結局写真を撮りに動いていました。

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1993.8.15 都賀

 この時もモノレールで都賀へ行き、JRで千葉に戻りがてら撮影していました。
 シートピッチ非拡大・ユニットサッシ車による『マリ77』・6両編成です。 2桁後半の 編成番号は東京地下線に対応していない車両で組成された房総ローカル用6両編成で、 ユニットサッシ車と丸窓車が混在していたと記憶しています。 ただ、同一編成内での 窓形態が異なる車両の混在例は少なく、地上用のユニットサッシ車自体そう多くなかった ように思います (それなりにいればもっと撮ってると思うので)
 このクハのタイフォン位置、若干高いような・・・?

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1993.8.15 千葉

 都賀から千葉に戻る際に乗ったモハ112-67。 冷房化されているものの車体更新はされて おらず、側扉も鉄製でした。
 この車両は当時幕張電車区に在籍していたモハユニットの最若番ではなく ( 『64』がいた) 、グロベン+AU712の取り合わせも先のモハ112-120で既に見て いますが、鉄道雑誌に「グロベン車が冷房改造された」という記事で載っていた車両で あったため、その存在が私の中では大きなものとなっていました。

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 1993年12月のダイヤ改正で上野口の夜行列車が整理されましたが、それを前にそれを 撮ろうと京浜東北線や常磐線の沿線まで遠征やロケハンに出かけ、そのついでに千葉まで 行くこともありました。

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1993.10.12 蘇我

 JR東日本では、1992年9月に成田線の踏切で113系と大型ダンプカーが衝突し電車の運転手が 殉職するという事故を受けて、全社的な踏切事故対策を実施、既存の通勤形・近郊形・急行形 の各電車は前面をステンレス板で強化する工事が強力に推進されました。 工事の優先順位 には踏切の多い少ないも考慮されたのか、房総ローカルの113系については特に早く工事が 進められました。 当初は工期の短縮のためか塗装を省略し、ステンレス板に帯ステッカー を張っただけの『鉄仮面』スタイルで登場しましたが、あからさまな感じがして私はどうも 馴染めませんでした。
 『マリ78』・6両編成、外房線1282M・千葉行きを後打ち。

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1993.10.12 蘇我

 113系ではないものの、房総ローカルを語るには外せない『新聞電車』クモユニ143です。  もともとは身延線電車の新性能化に伴い登場した車両で、鉄道郵便輸送の終了により 幕張電車区に移動してきたものです。
 鉄道による荷物輸送もこの新聞電車が最後のものとなりました。 現在では113系が荷物車 代用としてこの任に当たっています。

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1993.10.12 本千葉

 前面強化工事よりも僅かに早く着手された『簡易シールドビーム化改造』を受けた 113系です。 前照灯を原形の『デカ目』からシールドビームに改めるもので、それまでは 外からは痕跡がわからない本式の工事を行なっていましたが、やはり工期短縮のために 行なわれるようになった手法です。 しかし前面強化工事に替えられたこと、房総ローカルの 113系では既に本式のシールドビーム車 (改造車を含む) が相当数 いたことから、ここでの簡易シールドビーム車はそれほど多くなかったのではないかと 思います。
 『マリ264』編成、外房線1279M・上総一ノ宮行き。

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1993.10.12 千葉

 国府津電車区から転属してきた『マリ265』・4両編成は、しばらくの間湘南色のままで 運用に就いていました。 雑誌で取り上げられたことで私がそれを知って偶然ですが撮る ことができたので、走行期間は長かったものと思います。

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1993.10.12 千葉

 『マリ54』・6両編成の内房線197M・安房鴨川行きです。
 少なくとも安房鴨川方先頭車の全ての窓ガラスが黒色Hゴム支持となっているので更新工事 済みであることが伺えますが、更新車の扉の窓支持方法に複数種類あるのは、更新前の状況に よるのでしょうか?

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1993.11.5 我孫子

 現在では運転系統上常磐線の一員となりE231系が走る成田線・成田−我孫子間ですが、 当時は松戸電車区の103系とともに幕張電車区の113系も運転されていました。 列車番号は 百の位が「8」の房総バージョンで、これは今でも同様です。
 写真の車両は『マリ220』・4両編成で、このように総武快速線の増結車が房総ローカル 運用に就くこともまま見受けられました。

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1994.8.5 幕張電車区

 幕張電車区の一般公開の折、リフティングジャッキで持ち上げられていたのがモハの1018 ユニットでした。 この頃、特に夏場は数少なくなった非冷房車の活躍機会が激減していた ようで、非冷房のこの車両は側面のHゴムから白い汚れが垂下し、予備車であったことが 伺えます。
 予備車は、幕張電車区の総武緩行線や京成線から見える位置によく留置されていました。  もっとひどく汚れた車両、ドアが半開きになっている車両・・・ 放置っぽく見え物悲しい 雰囲気を感じましたが、あれを撮れる機会があればなぁ、とも思ったものです。

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1995.8.13 都賀

 厳密には房総ローカルの113系とはいえませんが、総武快速線運用に就く『マリ220』・4両 +11両編成・快速『エアポート成田』です。
 前面強化工事が施工され、そのステンレス部分も塗装されています。 前面窓下手すりの 台座があったり足載せが歯数の多いアンチクライマーになっていたりするのが目立ちますが、 やはり塗装によって違和感が大分薄れます。

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1995.8.20 富浦−那古船形

 クルマの運転免許を取ったことで行動範囲が広がり、横浜から東京湾フェリー経由で 撮影に行くようにもなりました。
 写真は総武快速線から館山 (千倉?) まで直通する臨時電車 『ホリデー快速・内房号』です。 平屋グリーン車を2両組み込んだ『マリ109』・11両編成 で、国鉄時代の快速『青い海』が復活したようなものでしょうか? 近年の内房線ダイヤの 惨状を見ると、内房線もこの頃までだったのかぁ・・・ と思えてしまいます。

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2005.5. 富浦−那古船形


2005.5. 富浦−那古船形

 撮影時期が思いっきり後の写真ですが、一応ここで触れているのと同じ房総ローカル113系の まともな写真ということで・・・。 時既に『丸窓』がかなり姿を消していて、多分ドライブ がてら消化試合的にカメラを持って行ったんだと思います。

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 房総ローカルの113系は冷房化が進んだ後はそれほど大きな変動はなかったようですが、 横須賀〜総武快速線E217系や東海道線E231系の投入により経年が低く状態がいい113系が 幕張電車区に房総ローカル用として転属してきて、丸窓+車体更新+AU712冷改という 古い113系を置き換えていきました。 さらに211系の投入もあり、ここ何年かの動きは それまでと比べて激しいものとなってます。
 『房総ローカル=丸窓』という印象が強い私は、丸窓が消えたことで房総ローカルに 対する興味や関心が薄れていて (それはここだけに限らない) 、 ドライブの折時々見かける211系や113系シートピッチ拡大車などは場違いというか 違和感のようなものを未だに憶えてしまいます。 多分、利用者としてごく日常的に 乗るなど接し方が変わらないと、印象は変わらないのではないか? と思っています。

 ありがとうございました。

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2009.2.13 エムサ菌