鉄道写真いろいろ@エムサ菌総合研究所
2008春 東北〜新潟一周乗り

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 特に使うアテも無いのに買った今回の『青春18きっぷ』を手にする度に、使わないのはやはり 勿体無い、しかしこれでどこに行こうか、と相当考えました。
 そうこうしているうちに有効期間が残り半分を切ってしまいましたが、行ったことのない ところに行こうと、仙台から新潟にかけて1周回ってくることにしました。

 今回は全体に接続時間が短くあまりじっくり撮っている暇がないのでデジカメ1本で行き、また そのような状況でお気軽に撮るだけだったので、似たようなアングルの画像ばかりになってしまい ますが、どうぞご覧下さい。

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 2008年3月26日朝、常磐線・松戸駅で『青春18きっぷ』の1日目を使用開始、常磐線下り1329Mを 待ちます。
 朝食を摂らずに出発してしまい、どこかでエネルギーの調達が必要でしたが、どこかに立ち寄る ような時間的余裕がなく、朝の下り中電は混んでいる・・・ という経験から、グリーン車を奮発 して列車内で軽く食事を済ませることにしました。

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2008.3.26 水戸

 水戸からは水郡線329D・郡山行きに乗ります。 水郡線はキハ100系だと思っていましたが、 いつの間にか新型車に置き換わっておりました。 キハE130系、ですね。
 首都圏のE231・E233系と同等な『 (いわゆる) 走ルンです』の第2世代 と見受けられます。 カーテンを省略するための緑色がかったガラスが、車窓の美しさを台無しに しています。 もっとも車窓は期待していたほどではなく、郡山までの3時間は退屈でした。
 もう一つ気になったのは、ギアチェンジの衝撃の大きさです。 コンピュータ制御されている はずなのに、はっきり言ってヘタですね。 さらに車外の音が筒抜けになっているようで騒々しい。  片側3扉で都市近郊輸送に対応できる車両なんでしょうが、キハ100系列よりも劣っているのでは ないか? と、この時は思いました。

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 最後の一駅間は東北本線を走って郡山着。 ここから磐越東線732D・いわき行きに乗ります。
 水郡線の郡山口・磐越東線のいわき口はともに列車本数が少ないものの、329Dと732Dとの接続 時間は45分とタイミングが適度に良かったので、実現の可能性が低いと思っていたこのルートで 乗り継いでいくことにしました。

 磐越東線沿線には二度ほどドライブに来たことがあり、小野新町−小川郷間で夏井川渓谷に沿って 走る景色が楽しみでした。
 やってきた車両はキハ110系の3両編成、座席が埋まり立ち客もいる状態で郡山を発車しました。  クルマだと単調に感じた郡山−小野新町間は、けっこう急な上り勾配区間だったんですね。  このディーゼルカーの実力を垣間見ました。

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2008.3.26 いわき

 いわきに着くと、強い雨が降っていました。
 磐越東線の車窓は、グレー系のガラス越しでしたがキハ130ほど酷くなく、また横桟がないので 開放的でした。 夏井川渓谷も、木々は冬衣装と冴えないものでしたが、もしこれが緑の季節だった ら草木で眺望が妨げられていたのかも知れず、これはこれで良かったのでしょう。
 キハ130で気になったギアチェンジの衝撃は小さく、また騒音もそれほど気になりませんでした。  車体構造、扉の構造と数、窓の構造・・・ の違いの結果でしょうか?

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2008.3.26 富岡

 いわきからは常磐線を乗り継いで仙台に向かいます。
 やってきた671M・原ノ町行きは415系1500番台車の4両編成でした。 学生時代の1年間、103系 とともによく通学のお世話になった車両です。 常磐線上野口から撤退して水戸線及び常磐線友部 以北に活躍の場を移しているとは聞いていて、当たるかな? とは思っていました。
 私は懐かしさとともに乗りましたが、415系自体はそれより前からこの区間を走り続けている ので、地元の方から見ればどうってことはないんでしょうね。

 画像は、列車行き違いのため数分停車した富岡で、雨が上がっていたので撮りました。

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2008.3.26 原ノ町

 原ノ町からは259M・仙台行き (画像・右) に乗ります。

 415系の車内には、水戸近郊での運用に備えて『首都圏路線案内図』の最新版が天井横に掲げられ、 側扉の鴨居には常磐線上野口時代の路線図がそのまま残っており、その点ではまだ『首都圏の車両』 であることを感じさせます。
 一方、E721系の車内には野球の『楽天』の中吊りが見られ、自分が仙台圏に来たんだなぁ、と 実感しました。 それでも車内放送は山手線などと同じ声の自動放送で、やっぱり同じ会社なんだ なぁ、と当たり前のことですが思いました。
(ただ、この区間の車掌は自動放送後に肉声の放送を入れていました。 この自動 放送は発車直後の駅名の案内が1回だけとやや不親切で、水郡線では騒音もあって特に聞き取りにく かったので、肉声放送は好感が持てました。) 

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2008.3.26 仙台駅前

 仙台に着きました。 建設時期が同じだからか、何やら友人宅に遊びに行くのに何度か使った 宇都宮駅と似たような造りですね。

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 明けて3月27日。 仙山線823M・山形行きに乗るつもりでしたが、その前の作並行きに間に合った のでとりあえず乗りました。

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2008.3.27 陸前白沢

 E721系6両編成。 行き違いのための数分間停車中に撮りました。
 今でこそ電化され電車ばかりが走っているこの地方でも、いわゆる『電車区間』と違ってホームの 高さは客車に対応した低いもののままとなっています。 それ故、それまでは乗降口にステップが ついた車両か、高い段差を承知でステップのない車両が走っていましたが、『段差』がラッシュ時の 乗り降りの妨げになっていたのでしょうね、E721系では乗降口のステップを無くし、かつ車両の 床面高さを低くすることでホームとの段差を解消しました。
 車体の高さや前面貫通扉・窓の位置は変わっていないようなので、側面を見ると床下が薄くて頭 でっかちな印象を覚えます。

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2008.3.27 作並

 途中下車して暇をつぶせそうな駅があれば・・・ と思っていましたが、結局作並まで来ました。
 仙山線には勾配区間が多く国鉄時代は仙台近郊でも駅間が長かった、と聞いていましたが、急 勾配と急カーブが続く線形を見ると納得です。 なるほど山岳区間の様相を呈していますね。

 首都圏で交流電化というと新幹線や常磐線取手以北が思い浮かびますが、ここ仙山線はそれより 前に交流電化の実地試験を行った『交流電化発祥の地』なんですね。 駅のホームに記念碑と案内板 が建てられており、駅近くの国道に掲げられた作並駅の案内看板にも、このことが触れられています。

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2008.3.27 山形

 仙山線823Mで山形に到着、ここで1時間ほど待ち時間があるので、駅構内をウロウロしてみます。
 まずは山形新幹線『つばさ』。 何度も見かけた車両ですが、同じ高さでしかも柵のないところ で見るのは初めてなので、新鮮でした。

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2008.3.27

 次に、左沢線用のキハ100系。 キハ100系列にはいろいろなバージョンがあるんですよね。

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 山形からは米沢行き428Mに乗ります。
 車両は、仙山線ではすれ違うだけだった719系を期待しましたが、『 (いわゆる) 走るんです』の第1世代である701系でした。 側面窓配置の具合や汚れまくった車体、実用的な前面 など、申し訳ないですが209系以上の『安物』車両と思えてなりませんでした。

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2008.3.27 米沢

 米沢からは、接続時間が長い福島方面には行かずに米坂線に向かいます。 428Mと米坂線1129D・ 坂町行きとの接続時間は9分、短いですがそれでも撮れる所では撮っておきます。
 まずは米沢駅の引込線で休むキハ52 121。 新潟色、ですね。 このホームの駅舎寄りには もう1両の新潟色のキハ52が停まっていました。

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2008.3.27 米沢

 そして左を向くと、一般色のキハ52 137が停まっていました。 上の画像と合わせてみると、 両運転台車の利用価値の高さが伺えますね。
 目指す1129Dはこの奥のホームからの発車です。

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2008.3.27 坂町

 1129Dは一般色のキハ52 122を、画像の色のキハ47がサンドウィッチする3両編成でした。  私はキハ52に乗りましたが、米沢で撮った上の2枚の車両とは『向き』が逆でした。

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2008.3.27 坂町

 坂町からは新潟行き936Mに乗りますが、1129Dとの接続時間は本行程最短の2分! しかし同じ ホームの反対側に移動するだけだったので、米沢の時より余裕でした。
 115系の4両編成で、中間には首都圏では見られなくなった『丸窓』 (側面の開閉 窓がユニットサッシになっておらず、開口部の隅にRがある) の車両が入っていましたが、 けっこう混雑していたので新潟まで前展望しました。

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2008.3.27 新潟

 新潟近郊の区間で115系とともに活躍してるE127系です。
 側面は701系と同じに見えます。 しかし701系ほど安物に見えないのは不思議です。

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2008.3.27 長岡

 新潟から長岡までは、快速『くびきの2号』に乗っていきます。
 特急『いなほ』などで使われている485系特急形車両で、往年のモーターサウンドを期待してモハ車 に乗りましたが、走りだしてみるとこれが実にまったりしていて『らしさ』はゼロ。 それでも 普通列車よりも所要時間は短いので、平均速度は速いはずなんですが、停まらない分だけまったり 感に磨きがかかっているような印象もあります。
 もっとも、あまり速すぎるとその車両の本来の用途である特急や新幹線との兼ね合いもあるので、 速くできないところなんでしょうね。 あるいは、車両の設備を考えた結果普通列車としてでは なく快速列車とした、ということもあるのかもしれません。 根拠のない推測ですが。

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2008.3.27 長岡

 続いて乗るのは上越線1742M・水上行きです。 この列車は本来越後中里行きですが、3月中に限り 上越国境を越えて水上まで足を伸ばします。 そのおかげでこのコースが成立しました。
 車両は115系の4両編成ですが、『クハ+サハ+モハ+クモハ』という京葉線の103系にも見られた 組成で、ちょっと興味深いです。

 途中、新潟県中越地震で被災した地域を通ります。 そしてこの地方では積もった雪で窓が壊れ ないような対策や床面を高くして対処している家がそこここに見られるので、雪が深い地域だという ことが理解できます。 そのような環境の中で被災された方たちのご苦労は、雪のほとんど降らない 地域で平穏に暮らす私には想像ができません。

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2007.3.27 水上

 1742Mは越後中里で列車番号を8742Mに変え、上越国境の清水トンネルを走り抜けて水上に着き ました。 ここからは750M・高崎行き (画像) に乗ります。
 見慣れた湘南色の115系ですが、高崎線・宇都宮線から撤退して何年も経ち、車内の路線図が 高崎を起点とした両毛線・信越線・上越線のものになっているところに、常磐線の415系では感じ なかった『都落ち』を思わずにはいられません。

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2008.3.27 高崎

 750Mの水上発車時点では3両編成の座席定員の半分程度の乗り具合でしたが、高崎に向かって 乗客が増える一方、最終的にはかなりの立ち客を出していました。
 途中駅で対向列車が踏み切りで安全確認をしたということで5分ほど足止めを喰らい、高崎駅に 遅れて到着しました。 画像は折り返しとなる渋川行きで、ホームには連絡要員として携帯電話を 手にした係員が出ていました。 5分程度の遅れでこのようになるというのも大変だなぁと思う とともに、遅れないことを前提にダイヤが組まれていて、普段はそれがごく普通に行われていること に、日本の鉄道の『定時運転率の高さ』というものを感じました。

 ここからは高崎線で赤羽、京浜東北線で日暮里、常磐線で松戸、と乗り継いで終わりにしました。  とりあえず1駅でも区間を重複させませんでしたが、新潟を通らず新発田から新津に抜けてしまい、 かつ湘南新宿ライン・山手線経由で常磐線に乗り換えれば『向きも変えずに』1周できたな、と思う と、ちょっと詰めの甘かったようですね。

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2008.3.27 倉賀野

 最後に。 もう少し早くこのコンテナが撮れていれば・・・

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2008.4.13 エムサ菌