高松琴平電気鉄道@エムサ菌総合研究所
謎の電話機

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 古い話で、今では失われているのですが・・・ 長尾線・平木駅で電車を降り、改札口を出て待合室に入ると、一角に家庭のような空間がありました。 

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2007.2.4 平木

 駅の待合室という公共の空間にあって、家庭的な黒い電話機は場違いで、ちょっとした違和感を醸し出しています。
 懐かしの、いわゆる黒電話か? と思いましたが、ちょっと違うようです。 いろいろと、謎です。

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2007.2.4 平木

 正面の掲示によれば、この“謎の電話機”、平木駅が存在する香川県三木町が運営・設置していた、『有線放送電話』なる通信手段の端末のようです。

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2007.2.4 平木

 もうちょっと近くから見てみましょう。

 本体部分が縦長で、ダイヤル部分の下というか手前に何やらルーバーのようなものが埋め込まれています。  ダイヤルと受話器の部分は、一般的な黒電話と変わらないようです。

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 このページを作るにあたり、ちょっとだけ調べてみました。

 そもそも、有線放送電話とは何ぞや!? というところから。
 有線放送電話は、昭和30〜40年代に、電電公社による一般加入電話が普及していない農村・漁村において、地域内の放送業務と音声通話を行うために個人や農協・漁協、市町村が設置したもので、概ね事業区域内の音声通話と地域内に向けての放送という機能をもっていました。 しかし、1960年代には一般加入電話の普及が進んだことで早くも廃れ始め、1980年代には有線放送電話を廃止する地域・事業者が続出した・・・ そうです。
 端末の本体手前にあるルーバーのようなものは、放送を流すスピーカーだそうです。
 私には“一般加入電話が無い地域”には縁が無かったのに加え、年代的にも微妙に外しているので、このシステムが実際にどういうものだったのか? 実体験を伴った知識がなく調べたところで今一つわかりかねるのですが、地域限定の電話と、防災行政無線&コミュニティFMのようなラジオ放送が同居したもの・・・ と考えてみました。どうでしょう?

 三木町のそれについても調べてみました。 三木町勢要覧2007年度版 (抜粋) によれば、1961年2月にそれまで農協が運営していた有線放送業務を三木町が引き継いで事業を開始し、1970年4月に有線放送電話局舎完成、同年9月にダイヤル式になり、時期が下って2005年3月31日をもって廃止した・・・ とあります。
 電話機を撮影したのが2007年2月なので、その時点で既に廃止されていたんですね。
 道理で、ホコリまみれで使った痕跡が乏しかったわけです。
 この時私は「有線放送電話って何?」状態で、下手に適当にダイヤルして通じてしまった場合、いわゆる“電凸”“間違い電話”になってしまい、それはさすがにまずいと思って手を出しませんでした。廃止済みがわかっていたら、たぶん遊んでいたでしょうね。

 なお、先に“1980年代には有線放送電話を廃止する地域・事業者が続出した”と記しましたが、2016年現在でも新潟県上越市 (旧・高田市域。上越市有線放送電話協会) 長野県山ノ内町岐阜県池田町などなど、これが現役で稼働している地域がいくつかあり、インターネット接続サービスも提供するなど、時代に応じての変化も遂げているようです。

 このページは、当サイトと相互リンクを結んでいる大山崎すとりぃむサイト内『鉄道小ネタ050・ことでん・平木駅観察』 (2016年8月13日公開) を拝見し、それに感化されてCD-ROMから古い画像を引っ張り出して作ってみました。
 撮影に用いたカメラは、2007年当時使っていた“先代のデジカメ”なので、もともとの解像度が低ければ画像サイズも小さく、またコピーを何度か経たこともあって、画質は悪いレベルではありますが・・・ お楽しみ頂けたら幸いです。

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2016.8.23 エムサ菌